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ミステリ・テニス・ハムスター・モルモットについてあれこれと……
by slycat
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長いお別れ
2011年6月30日午前1時半頃。モルモットのプーが息を引き取った。ちょうど4歳になったばかりだったが、残念ながらプーの命は尽きてしまった。長患いすらしないで、あっという間に私達の手を飛び立った。

息子が親に黙ってこっそり買ってきたプー。最初に見たときはゴールデンハムスターかと思ったが、よくよく見るとハムスターとは何か雰囲気が違っていた。のんびりした子で動きは鈍かったが、若いときには結構走り回っていたものだ。最近は走るどころか身体の向きを変えるのにも時間がかかっていた。いつの間にか歳をとっていたのだが、元々おとなしいのであまり気にも留めていなかった。

プーは身体が弱かった。後ろ脚には力が入らないし、頸は斜頸のようだったし、おまけにダニ疑惑で注射を打たれたりと動物病院通いが長かった。季節の変わり目になると体調を崩し、食欲がなくなったり、小屋の床に敷いてあるペットシーツを食べてしまったりして飼い主を泣かせた。何度強制給餌をしたことか。しかし、身体が弱かったためか大変穏やかな性格で、獣医さんに診ていただいても一度も暴れたことがなく、おとなしかった。お尻を撫でてやると喜んで鳴いた。鳴き声もちょっぴり風変わりだった。

29日の朝、出勤前に餌をやったときにはケージを控えめに齧っておねだりしていたのに……。夜10時過ぎに覗いたとき、身体をまっすぐに伸ばして寝ていて、何だか変だと思った。息子が与えた野菜も食べていなかった。そのとき、変だという漠然とした感じを、もっと発展させて考えていれば、何か手当をしていれば、ひょっとしてプーはあともう少し生きていたのだろうか、そう思うと後悔してもし切れない。

毎日午前1時頃、プーはもう呼吸がうまくできなくなっていた。同じような症状は以前ハムスターで何度も見たことがあるので、あぁもう駄目なんだということがわかった。水を飲ませようともしてみたが、すでに飲み込む力は残っていなかった。部屋には冷房を入れているので寒いかと思い、タオルでくるんでやったが、抱っこしたプーはその直後に逝ってしまった。目を開けたまま、口も少し開けたままで、まるで縫いぐるみのように愛らしく、とても生きていないとは思えない顔だった。

プーを飼い始めて1年半ほど経った頃、お嫁さんを迎えようとペットショップに行ったのだが、女の子がおらず、売れ残っていた男の子を買って帰ったため、ついにプーの子孫を見ることはなくなった。プーがいなくなった今、後から来たその子が1匹取り残されている。プーがいたときには、餌の時間に声を張り上げていたものだが、いなくなってからはあまり鳴かなくなり、何となく元気がない。仲間がいなくなったことに気付いているのだろう。

人間のほうも寂しい。プーが逝った日は会社を休んだ。家中がショックを受けていた。小さなモルモットだけど私達の心の中では大きな位置を占めていたのである。プーが開けていった穴は、しばらく埋まりそうにない。

6月28日に撮った写真。これが最後の写真になった。







ひとりぼっちになった。名前はモー




# by slycat | 2011-07-02 18:17 | モルモット
パンを焼く
地震の翌日から、近所の食料品店、スーパーなどで買い占めが始まった。我が家ではちょうど米が切れてしまったのだが、買おうと思って出かけたら店から消えていた。仕方なく適当にネットで米を注文したのだが、届いた米は精米から4ヵ月が経過しており、保管の状態も悪かったらしく、とても食べられる代物ではなかった。寒天を入れたり蜂蜜を入れたりして炊いてみたが、炊く途中の臭いもひどい。慌てて信頼のおけないところで買ったのは馬鹿だった、と反省してみたものの、何とかしなければならない。

米は別に探して、お米農家が直接売ってくれるところから買うことにしたが、それが届くまでの間、12年ぶりに自分でパンを焼くことにした。以前は主にフォカッチャなどイタリアのパンを焼いていたが、そのうち飽きてしまい全然作っていなかった。今はインターネットで懇切丁寧に作り方を解説してくださる方がたくさんいらっしゃるので大いに助かる。



これは某サイトで紹介されていたコッペパンの材料を丸めて、ふだんラザニアや肉・野菜の重ね焼きなどに使っている深めのバットに入れて焼いたもの。強力粉200グラムに対して薄力粉50グラム、砂糖、塩、ドライイースト、牛乳を使う。サイトではこの材料にマーガリンを加えるが、バターにしてみた。
「作品」としては3作目。最初はレシピどおりコッペパンを作ったが二次発酵が十分でなく、冷めると硬くなってしまった(温めると食べられた)。次には別のレシピで白パンを作り、これはまあまあの出来だった。

我が家にはもちろんパン焼き機などはないがオーブンがあるので発酵させるのは楽であるが、パン種を捏ねるのは大変だ。ふだん全然運動をしていないので翌日両腕に筋肉痛を感じた。しかし、始めると楽しくなり結構喜んで作った。それに形は悪いが、それなりのものができることにも満足を感じた。自己満足ではあるけれど……。

パンを作るコツは、しっかり二次発酵させ、十分膨らませてから焼くことと、焼く前に霧吹きで湿り気を与えることだと思う。1キログラム入りの強力粉を買えば4〜5回はパンを焼けるのでそれなりに経済的でもあり、今回をきっかけに料理も少し見直して、なるべく自分で何とかするようにしようと思う。
 
# by slycat | 2011-03-24 18:19 | 日常のこと
自宅勤務命令
月曜日から、希望者は自宅勤務OKになっていたのだが、今日から全社自宅勤務のお達しが出た。無理矢理出社させて何かあったら却って補償が面倒だという判断ではないかと思う。私が住んでいる地域は私鉄が動いており地下鉄も利用でき、計画停電の予定もないので、出社しても構わないのであるが、来るなと言われているのに行くのもどうかと思われ、今日は朝から家でメールチェック。海外からお見舞いメールが次々と入ってきているのが非常に心強く有り難い……そのたびに苦手な英語で返信するのは少々辛いけど。

海外の人たちは意外なほど日本の惨状についてよく知っているようだ。静岡に友人がいるというフィラデルフィアの同僚(米国人)は「あなたのところは計画停電大丈夫?」などと訊いてくる。静岡の人は19時から22時まで停電だったというのに震度4の地震にまで見舞われ、非常に怖かったと言っていたそうだ。震度4ならばそれほど心配いらないけれど、真っ暗で怖かったでしょうねと返信した。バルセロナにいる日本人の同僚は「お悔やみ申し上げます」というメールを送ってきた。う〜ん、長いこと海外にいて日本語忘れちゃったのかな、などと思うが、気持ちはとても有り難い。

被爆を恐れて関西、九州方面に旅立つ人も多いようだ。昨日、一昨日出社した際には、旅行用鞄を下げた人、キャリーケースをガラガラと引きずって歩く人を多く見かけた。会社に行くと、子供だけでも実家に行かせたほうがよいのではと話す人がいた。我が家の場合、西には親戚がいないのでどこへも逃げられない。原発にもしものことがあれば、覚悟するしかない。
 家にいるなら、やはり少しは備蓄しておいたほうがいいかな、とも思ったのだが、なんせスーパーの棚は空っぽだ。たまたま米が切れそうなので買いに行ったが餅米しかなかった。仕方なくネットで注文したらあっさり買えたのでよかったものの。みんな静かではあるがパニックに陥っている。

しかし家にいても仕事どころじゃない。規模が小さいとはいえしょっちゅう地震で揺れるし、テレビではひたすら放射能の恐ろしさについて語っているし、心の休まるときがない。自宅勤務も楽ではない。……因みに夫の会社では、災害時であるため「定時」で帰ってもよい、という「許可」が出ているそうだ。会社によって対応もまちまちである。
# by slycat | 2011-03-16 14:14 | 日常のこと
帰宅困難者と呼ばれて……
この土日はテレビをつけっ放し。ずっとニュースを見ている。たまにCNNのワールドリポートにチャンネルを替えては、世界のメディアが日本の災害をどのように見ているかもチェック。被災した方々が早く安心できることを、そして安否不明の方々が早く発見され家族と再会できることを願ってやまない。

3月11日金曜日。水曜日に会社で使っているPCが壊れてしまい、渡された代替機がこれまた使い物にならず2日間もまともに仕事ができなかったため、IT担当者と険悪な会話を交わした後、13時を少し回った頃昼食をとるため外へ出た。14時過ぎに職場に戻り、歯を磨いてから机の前に座った。同僚が会社のキャビネットに残っていた古いPCを引っ張り出してきてくれたので、とりあえずwebメールでメールチェックしようとしていた、そんなときに地震は起こった。

左隣に座っている上司が「大丈夫、大丈夫」とチームの皆を落ち着かせようとする(因みに彼の実家は新潟の大地震で半壊したそうだ)が、揺れが激しくなるにつれ、自宅に1人でいるはずの子供を思って大声を上げる人が出るなどフロアは小パニックに陥った(こういう一大事にどんな行動をとるかで他人への評価が変わってくることと思うが、上司は偉かった。「揺れが治まったら回線が混雑してかからなくなるから、揺れている間に自宅に電話したほうがいい」と勧め、自分で彼女の自宅に電話して受話器を渡してあげた)。
 オフィスがビルの9Fなので余計に揺れたのかもしれないが、今回の地震は本当に怖かった。椅子に座っていてもじっとしていることができず、机の上にしっかり手を置いて自分の身体を固定しなければならなかった。周囲のキャビネットはすべて扉付きだったので物が飛んでくることはなかったが、自分の机に重ねてあった書類や書籍はがたがたと崩れ落ちた。
 やっと揺れが治まったかと思ったら、今度はビルの館内放送が「火事です」。一瞬皆凍り付く。しばらくの後、スプリンクラーの誤作動で火災ではなかったことが判明したが、とにかくビルの外に出ることになった。9Fから下へ階段で下りる際、ほかの階をちらっと見ると、天井板が落ちている。やっぱり古いビルは怖いな、下の階であればあるほどヤバいな、と思いながら下りて行く。

その後総務・人事部の指示で皇居近くの和気清真呂像前まで歩く。1時間ほど寒空の下でうろうろしていたが、上層部の決定があり社員は順次帰宅してよいことになった。いったん会社に戻り(9Fまでの階段がキツかった!)、同じ方向に帰る社員たちと一緒に再び下へ。ふだんなら1Fのタクシー乗り場にタクシーが2、3台待っているのだが、災害時には1台もいない。
 日比谷まで歩いてタクシーを探すという千葉方面のグループと別れ、3人で九段方面に歩く。途中、天井が落ちてきて死者の出た九段会館を横目に見ながら武道館を通り過ぎ、四谷見附まで小1時間ほど歩いたところで、一緒にいた同僚が突然走り出した。市ヶ谷の会社に戻ろうとしていた人たちが渋滞に音を上げてタクシーを降りたのをめざとく見つけたのだった。馴れない長時間の徒歩に膝がガクガクいっており、寒さも厳しくなってきた折りのことだったので、タクシーに乗れたのはまさに奇跡だった。

しかし、渋滞は予想以上に凄かった。四谷から東新宿方面に出て早稲田、落合を目指したが、小滝橋通りに行き着くまでに5時間かかった。途中トイレを借りるため代わる代わる沿道のコンビニに走ったが、用を済ませて戻っても置き去りにされることはなかった。
 タクシーの運転手さんは知的な雰囲気の人で、安心して乗っていられた。いろいろ話をしながら走ったが、お嬢さんと連絡が通じないのを気にしていた。私の携帯はauで、通話こそできなかったがPCのメールアドレスとは連絡が取れたので助手席でちょくちょくメールチェック(自動受信ができず“新着メール確認”で受信していた)をしていたが、彼の携帯はDoCoMoで、ずっと「圏外」になっていると言う。ソフトバンクの携帯メールにはとうとう送信できなかった。因みに、タクシーの中から、公衆電話の前に列ができているのをよく見かけたが、固定電話もIP電話のほうが通じやすかったということだ。

6時間半かけてようやく自宅に辿り着いた。小平、吉祥寺に向かう同僚に別れを告げ、マンションの階段を上って家に入る。1人で家にいた息子がある程度片付けてくれていたので、思ったほど家の中はぐちゃぐちゃになっていなかった。モルモットのカゴも無事だった。
 同じ千代田区に勤めている夫は徒歩で帰ったのだが、タクシーに乗れた私よりも先に家に着いていたのは笑えた。3時間くらいで帰宅できたそうだ。よくよく考えれば勤務先が近いのだから一緒に歩いて帰ればよかったのだが、全く念頭に浮かばなかった。20年以上結婚しているのに、災害時の家庭内ガイドラインというものがなかったのである。

東京に住んでいると、いつか関東大地震が来るのではないか、そうなったらどうしようか、と心の底で常に思っている。思っているのだが、実際に来たらどうするかについてはあまり深く考えない、いや考えたくない。しかし今回の地震で、そんな甘いことじゃいかん、と思い知らされた。
 いろいろ知らないこともあった。息子が「ガスが止まっている」と言うので、ずっとそうなのだと思い込んでいたら、何のことはない、安全装置が働いて止まっていただけで、解除したらあっさりガスを使うことができた。東京ガスに電話しようとしてつながらず、HPを見てみたらちゃんと地震の際に安全装置が働くことが書かれており、解除方法も掲載されていた。

しかし、自分が「帰宅困難者」「帰宅難民」になるとは……。夢にも思っていなかった。幸い無事帰宅できたが、帰れずにさいたまスーパーアリーナやパシフィコ横浜などで夜を明かした人たちは、さぞ寒く、大変だったことと思う。

災害はいつ起こるかわからない。その時のために、もう一度家族内のルールを決めておかなければ……。もちろん、こんなことはもう二度と起こって欲しくないのだが。
# by slycat | 2011-03-13 17:17 | 日常のこと
バッドカンパニー東京公演
2010年10月26日 @東京国際フォーラム

10代の頃から好きだったバッドカンパニー。なけなしのお小遣いをはたいてLPレコードを買い、ステレオのボリュームを上げて大声で歌ったものだ。生演奏を聴くことは一生ないと思っていたのだが、ある日地下鉄東西線に乗っていたら、車内吊り広告に息が止まりそうになった。「バッドカンパニー来日決定」!! え〜っどうしよう、見たい聴きたい、でも最後にライブに行ったのはローリングストーンズ(2回目)の公演ではなかったか。心乱れたが、これを逃したら恐らく死ぬまで彼らを観ることはない。決意してチケットを購入。当日は会社で何かのパーティなんぞが入っていたが、そっちは遠慮させていただいて、そそくさと東京国際フォーラムに向かった。

かつてはライブと言えば武道館、新宿厚生年金会館に渋谷公会堂、東京ドームといった会場がメインだったが、今回は東京国際フォーラムである。学会の会場じゃないの? ホールAに向かうと、案の定「公衆衛生学会」が開催中であった。
 ドキドキしながらエスカレーターを上がって行く。久々のライブを楽しもうとロック魂を誇示してバックルのついたハードなデザインのブーツに革ジャンを羽織って出かけたのだが、周囲を見渡せば、果たして会社から直行したのであろう背広をまとったサラリーマン風の男性がほとんど。昔みたいに気合いを入れてお洒落している人はほとんどいなかった。

会場は中高年の熱気に溢れていた。オヤジ率が異常に高い。失礼ながら、頭が寂しくなっている方々もかなりいらっしゃる。まぁ仕方ないよね、バンドのメンバーだって還暦超えてるんだから。今回参加するはずだったギタリストは病気で来られないって言うし。一抹の悲壮感はあるものの、ここに来ている人たちのほとんどがバッドカンパニーを愛し、まさかの来日に胸躍らせている。その事実がさらに気分を高揚させる。

19時となり、いよいよ開演。しかし前座があった。この年になるまで前座バンドを聴いた経験はなかったのだが、今回はよりによってリードボーカル、ポール・ロジャーズのご子息、スティーブが前座を務めていた。何じゃこりゃ。ロックスターもお父ちゃんだったんだな、と思う。公演依頼の際の条件だったのだろうか(ステージの最中にも'How was Steve?'なんて聞いたりして、かなり親馬鹿、もとい息子さんを愛しているのだと思う)。
 しかしスティーブはなかなかよい歌手だった。ギターも巧い。何より、曲調や歌い方がお父さんに似ている。それがイマイチ売れない理由のひとつなのかもしれないけれど、悪くない。何より、ポールの息子だと思えば、しっかり聴かないわけにもいかないでしょ。いい感じでスティーブのステージが終わり、舞台は再び暗闇に包まれる。そこでしばし休憩。

そして……。いよいよ彼らが現れた。観客が一斉に立ち上がる。もちろん私も慌てて立つ。"Can't Get Enough"、1stアルバムの最初に入っている曲からステージは始まった。その後、すでに順番は覚えていないが、"Movin' on"、"Ready for Love"など次々と名曲が続いた。
 「彼ら」と書いたものの、オリジナルメンバーはポールとサイモン・カークのみ。ボズ・バレルはすでにこの世の人ではない。それでも、往年の輝きは全く失せていなかった。周囲の人たちも燃えていた。リズムに合わせて手を打っていると隣の人とぶつかってしまうのだが、そんなことは一向に気にならない。ポールが客席にマイクを向けると、皆大声で歌う。バンドもベテランだが、観客もベテラン、お約束はきちんと守られる。破綻のない安定したステージだった。

自分でもびっくりしたことに、ちゃんと歌詞を覚えていた。何しろ私のバドカンコレクションは「LP」なので、最近は聴きたくても聴くことができない。『Bad Company』だけはiPodに入れてあるのだが、海外盤なので歌詞カードもない。それでもちゃんと歌えるではないか。高校生のときの記憶って凄い。

ポールの声は少しも衰えておらず、むしろ艶を増したかのようだった。マイクスタンドをくるくると回したり、宙に投げ上げたりというパフォーマンスには瞠目した。歌ばかりでなく、ギターも弾いたしピアノも披露した。すっごく素敵だった。サイモンのドラムにもシビれた。やっぱりこれぐらい腹に響かないとねぇ。ギタリスト(申し訳ないが名前がわからない!)も素晴らしかったし、途中でゲストミュージシャンが加わるとさらに音の厚みが増した。サービス精神に溢れていた。当然アンコールがあることは承知のうえで一旦去る際、ポールは「帰リハ気ヲツケテネ〜」などと日本語で呼びかけてくれたし(奥様が日本人だと記憶しているので、結構話せるのかもしれないけれど)。

1回目のアンコールでは"Bad Company"を歌ってくれた。もちろんポールのビアノで。もう、本当に感動しました。年をとるとなかなか感情が動かないのだけれど。フリー時代の曲も歌ってくれた。そして彼らは2度のアンコールに応え、最後はブルースで締めくくってくれた。約2時間のステージだったが、あっという間に過ぎてしまった。最初で最後だと思うと非常に切なかった。帰る前にグッズ売り場の列に加わり、パンフレットとTシャツを買ったのは言うまでもない(携帯ストラップはパス)。

しかしウドー音楽事務所、恐るべし。この後11月末にオリビア・ニュートン・ジョンとボンジョビの公演が控えており、その後もスティングにダリル・ホール&ジョン・オーツの来日が予定されている。これってモロにわれわれの世代がターゲットにされているよね。洋楽こそが聴くに値すると思っていた世代、バブルを経験している世代、そして何と言っても40〜60代になり、そこそこお金を遣える世代だ。なかにはニューアルバムを引っさげてくるアーティストもいるのだろうが、ほとんどは懐かしのメロディである。実に手堅い。こんなビジネスチャンスを開拓するとは……なかば呆れつつも賢い戦略だと感心した。どうせならアーティスト公認グッズにはロゴ入りUSBメモリとか、iPadケースとか、大人の喜びそうなものを加えていただきたいものである。
# by slycat | 2010-10-28 01:38 | 音楽
今さらながら、全仏男子決勝のこと
Roland-Garros 2010, Men's Singles Final
R. Nadal d. R. Soderling 6-4, 6-2, 6-4

もう3日も経ってしまったが、いまだ感動中。ナダルは頑張った。偉かった。もちろん、ソダーリングだってかなりイイ線行っていたが、勝ちに行ったときのナダルの凄みというか、(ホントに再三ソダリングには申し訳ないけれど)選ばれし者の底力というものを見せつけられた感じがする。

何と言ってもソダーリングは背が高いし、サーブが速い。これと言って何が凄いのか説明しづらいナダルと比べると、明快に魅力を語れる選手である。高く上がったボールを思い切り打ち込めば、ナダルといえども打ち返すことなくうなだれるしかない。彼が天から授かった才能は大きい。しかしそれでもナダルは負けない。なぜなんだろう。

昨年はここ全仏の舞台でまさかの敗北を期し、何と決勝にすら進むことができなかった。ディフェンディング・チャンピオンであったのに、ウインブルドンを欠場した。その後もいまひとつすっきりしないまま、No. 1の座をフェデラーに譲ったまま、ファンをやきもきさせていた。

私はずっと、彼の不調は怪我のせいだと思っていたのだが、出張先で合流したバルセロナの同僚に聞いたところ、スペインではナダルの不調は両親の離婚によるものだ、というのが定説だという。「彼もまだお子ちゃまということよね」などと言われた。今回WOWOWの放送でもダパディさんが少し触れていたが、ナダルにとって親の離婚は相当ショックだったらしい。彼の強さが、家族や友人や親戚など、周りを取り巻く人々の絆によって培われていたものだということがいよいよはっきりした。

しかしこの決勝の日のナダルの素晴らしさ。ボルグを基準とするとかつては考えられないほどの筋肉、日々の厳しいトレーニング、天賦の才、彼の場合はその上に強靭な精神力が乗っかっている。そのどれが欠けても彼のバランスは崩れてしまう、が、ひとたび強い精神が戻ってくれば、多少の疲れや不調は何の妨げにもならない。

大切な両親が別れてしまったことで受けたダメージを乗り越えて、ナダルは大人になった。そして、大人になったからこそ、優勝が決定した後、あれほど涙を流すことができたのだろう。経験の乏しい子供は、自分にとっての大きな出来事を目の前にしても泣かないものだ。彼が泣く様は、昨年全豪オープンの優勝を逃したフェデラーの泣き顔とダブった。そうだ、フェデラーも泣き虫なのではなく、さまざまな経験を人一倍しているからこそ、あの場面で泣いたんだね。

2年連続で準決勝となってしまったソダーリングは本当に気の毒だが、ここはちょっぴり我慢して欲しい。あの涙のわけをもし慮ってくれるなら、勝ち負けはともかく、とてもいい試合であったことに満足してくれるなら、許して欲しい。

今年はナダルに勝って欲しかった。その願いが実現したことに感謝したい。
# by slycat | 2010-06-09 23:47 | テニス
At last......無事帰国
ドタバタしているうちに終わった出張日程。空いた1日は上司がご褒美にフィッシャーマンズワーフに連れて行ってくれた。もう一度行きたかったのでラッキー。

またまたでっかいパンケーキが4枚。メープルシロップ2瓶にホイップバター、ソーセージ(ハムまたはベーコンから選べる)切ったイチゴと牛乳つきで16ドル

午前中少し仕事をして昼過ぎにホテルのロビーで待ち合わせ。タクシーでPier 39へ向かう。朝、ルームサービスで頼んだパンケーキがまだ胃にもたれていたが、カニを食べずには日本に帰れないもんね。いかにも観光客向けの『Crab House』とか何とか言うレストランに3人で入る。地ビールとカニ、パスタ、サラダを頼んだ。カニの写真は撮り損なったが、茹でたカニをさらにガーリックソースで味付けしてあったようだ。食べているのは日本人なので、みな口々に「北海道のカニが美味しいよねぇ」などと言う。パスタは結構美味しかった。サラダは×。ドレッシングが甘くて耐えられない。ビールはアメリカに来て飲んだ中では一番よかった。

肝腎のカニの写真を撮れなかった。サービスのパン

食後はお上りさん気分で店など見て回る。ここにはSea Lionがたくさんいて、集団で寝ているのを観光客が喜んで写真に撮る。もちろん私も撮る。だってこんな風景、今まで見たことないでしょう。会社の人たちへの土産物をまた少々買う。まだケーブルカー未体験の同僚が乗りたいというので、じゃぁ行こう!と停車場へ。私が独りで行ったときとは別の停車場だが、同じストリートミュージシャンが同じようにギターを弾きつつ歌っていた。今回は窓のある車両のほうに乗ったが、同僚は外の一番後ろにへばりつき、身体を乗り出していた。私はハラハラしたが、彼女は全然平気で「面白かった!」と言っていた。

果物がいっぱい売られているPier 39
トドの群れ。何だかブーブー言っているし、ちょっと臭う

2度目のケーブルカー

再度ミーティングをして解散した後、我が家のおっさんに頼まれていたDVDを買いにBest Buyという家電量販店に行くが、目当てのものはなかった。しかも帰りは知らない場所に取り残されて途方に暮れた。店の前に何人かタクシーを待つ人がいたけれど、全然来ない。家電を買ったらしい若い男性が苛々しながら待っていたが待てど暮らせど来ないので、「あんたもタクシー待ってるの? 俺はもう行くよ、Good luck!」か何か言って去って行った。向こうの人はよく他人に話しかけてくる。東京じゃあんまり考えられないが。怖いけど仕方がないのでワンブロック歩いて大通りに出ると、タクシーを拾いホテルまで乗せてもらう。運転手さんはたぶんパキスタンあたりの人だったと思うが、親切だったのでよかった。

その後再びタクシーに乗り(ホテルではドアマンがいるので安心なのだ)、今度は『Tommy's Toy』という有名レストランへ向かう。ここが今夜夕食を食べる店である。荒川静香(店のオーナーが胸を張って教えてくれた。写真も飾られている)やクリント・イーストウッドも来店したという人気の店で、中華料理だがちょっとフレンチ風だ。
 全員集まったところで前菜を食べ、今度のメインは全員同じ北京ダック。写真を撮らなかったのが残念だが、香港のとは全然違う。美味しいけれど物凄い厚切りで、本来北京ダックを食べるときに包むはずの薄い皮は、ふっくらとしたマントウのようだった。ボリュームがあるのはいいが、すぐ飽きてしまった。アメリカで食べたものの中ではマシな部類に入るけれど、やっぱり香港で本場の中華料理を食べてしまった口には合わない。有名店だからといって日本人にとって美味しいかどうかは別の話だ。荒川静香さんに料理の感想を訊いてみたいものだ。

食事の時間は楽しく過ぎて行ったが、帰ったら今度は荷物をまとめなければならない。それにすぐ近くに『Rasputin Music』というフリーキーな店があることがわかったので、おっさんに頼まれたDVDを買う最後のチャンスを逃さず、翌朝開店と同時に行こうと決めていた。それで飛行機に乗り損なったらおっさんに弁償してもらおう。

パッキングしている間に目が冴えてしまい、なかなか眠れなかった。午前2時半頃には朝刊が届き、それから1時間くらいしたら、今度はホテルの料金明細が投げ込まれた。何の気なしに明細書を見てみると、なぜか「PARKING」という項目がある。Parking? 駐車料金? 何じゃそりゃ。最初は先に買物を済ませていったんホテルに戻り、チェックアウトをしようと考えていたが、これだと時間がかかりそうだ。

朝8時に起きて身支度を整え、10時前にフロントへ。さっそくなぞの項目について聞くと、やはり間違いだった。当たり前だ、東京からどうやって自動車でサンフランシスコに来るというの。第一私は免許証すら持っていないんだから。いろいろ言いたいことはあったが、「I don't have a car.」だけで通じてしまった。5分くらいで金額を訂正した明細書を発行してもらい、チェックアウトは終了。

ちょっと買い足したいものがあったのでファーマシーに寄り、10時20分頃にはラスプーチン・ミュージックの前へ。ほかにも開店を待つ人が何人かいる。どういう店なのかはさっぱりわからないが新品・中古のDVDを扱う風変わりな店、という情報だけはあった。
 しかし、多少予想はしていたのだが、開店の10時半になっても店が開かない。まったく、怠け者のアメリカ人めと舌打ちしながら待つ。15分くらい経過してようやく開き、店に飛び込んだが、おっさんが欲しいDVDがどこにあるんだかわからない。店員に訊くとやる気なさそうに、これは3階、こっちは2階の4番目の棚、などと言うが、3階は閉まっておりどうにもならない(何なんだ、アイツは)。とにかく空港に行かなければならないので目についたものだけ買い、ホテルに預けた荷物を出してもらって、タクシーに乗り込む。ドアマンに空港まで、と言ったら、イエローキャブのようなタクシーではなく、数日前に乗った個人タクシーのような黒塗りの車が来た。ちょっとイタリアンなおじさんが運転手。英語が巻き舌だった。でもいい人だったので怖くなかった。しかも高速を使ったので20分で空港に到着。早く着いたのでまたチップをはずんでしまったが、運転手さんも喜んで握手を求めてきた。まぁいいや。

チェックインをしようとしたら、荷物が重量オーバー。土産のチョコレートが2.5 kgもあったのだ。これを機内持ち込み手荷物のほうへ移し、何とかなった。オーバーをそのままにすると50ドルの追加料金を取られるそうだ。旅慣れていないので全然知らなかった。
 座席は行きと同じくプレミアムエコノミーで席番号も決まっていたはずだったが、なぜか席がなくなっており、おかげでビジネスクラスの席になった。これは嬉しい。何か前世でよいことをしたのかな、なんて思う。

少し時間ができたので空港のSOMAショップで土産など買い、フードコートの日本食店『Ebisu』に行く。寿司がウリだが、うどんやラーメンもある。なんだか変な感じだが、とりあえずDragon RollとTuna Nigiriを頼んでビールを1本頼む。う〜ん、美味しいものでは決してない。シャリがまずいし酢に深みがない。Dragon Rollに巻かれていたのはソフトシェルクラブを素揚げしたもので、柔らかいので普通に噛み切れた。アメリカの寿司なんてこんなものだ、ということだけはわかった。
だしのきいたうどん、などと書かれている
ドラゴンロールとマグロの握り。エビスビールがあるのに気づかずドライビールを頼んでしまったのは不覚

そろそろ手続きをしようと上に上がると、手荷物検査の係は長蛇の列。あぁしまった、と思ったが間に合わないことはなさそうなので列に並ぶ。非常に時間がかかるうえ、履いている靴まで脱がなければならないのは面倒だ。ホント、アメリカなんか大嫌い。

ビジネスクラスだと専用のラウンジに入れたのだが、残念ながら搭乗時間になってしまった。しかし優先搭乗できるのはいい気分。座席のつくりも違うし、もちろん食事も、スチュワーデスらの客あしらいも全然違う。機内食はビジネスと言えども美味しいとは思わなかったが、アルコール類は非常に贅沢で、シャンパンなどきちんとしたものだった。

機内では見逃した映画『インビクタス/負けざる者たち』(面白かった)と『シャッタードアイランド』(つまらなかった)を観て、それでも時間が余るのでパックマンなどゲームをやっているうちに眠くなり、少し仮眠をとる。かなり疲れたが、とにかく飛行機は落ちずに成田に着いた。
 途中まで迎えに来てもらい重い荷物を持ってもらった。地元の蕎麦屋でうどんを食べて帰宅。狭くて汚い我が家だが、やっぱりここが落ち着く。しみじみ、自分の国が一番と思った海外出張だった。
# by slycat | 2010-06-06 17:58 | 旅行
6日目でようやく
サンフランシスコは食べ物が美味しいと聞いていたが,食べる時間がないのでは確かめるすべがない。忙しいので昼食をとる時間はなく,夜も店が開いている時間に仕事が終わらない。昨日も24時間営業のKinko'sでひと晩中プリントしたりコピーをとったりしていたため,食べ損なってしまった。なかなか終わらないプリントを待つ間にちょっと外に出かけると,有難やセブンイレブンがあったので中に入り,煙草とカップの辛ラーメン,ミントガムをゲット。日本にいるときにはカップ麺は食べないのだが,お湯だけでそれなりに満足できるのだからホントに素晴らしい。天下の大発明だ。朝の4時半に食べる辛ラーメンは格別であった。

海外に行くと梅干しや海苔,白いご飯が恋しくなると言う。昔香港に行ったときはたった3~4日の滞在にもかかわらず白いご飯が食べたくてたまらなかったが,今回は全くそういう欲求を感じない。若い頃と比べるとだいぶ食生活が変わり,必ずしも毎日米を食べなくなったし,代謝が悪くなって太るからという理由で,なるべく夜に炭水化物を摂らないようにするのが習慣化しているので,思っていたほどの飢餓感はない。

だけど,同じ炭水化物でも麺類は無性に食べたいときがある。ここに来ても,立ち食い蕎麦の店があればなぁ,なんてことを思うし,ラーメンが恋しい。先日行ったタイ料理屋の麺は,やたらと細くて日本のとは全然違った。帰ったらまずラーメン屋かつけ麺屋に行こうと固く心に誓う。

大体,アメリカの食べ物には甘いものが多い。時間がないからスターバックスで何か買おうか,と思ってもマフィンやパウンドケーキなど甘いものばかり置いてあり,見ただけでげんなりする。これは軽食というよりお菓子だよなぁと思う。バルセロナの同僚は全然平気らしいが,そうでなければ日本を出て海外で暮らすなんてことはできないのかもしれない。だけど私はしょっぱいものが欲しい。

今日まで時間がなかったので買い物もろくろくしていなかったが,やっと外に出るチャンスがあったので近くのショッピングセンターに入っていたH & Mで安いジャケットを買った。お馴染み,日本上陸済みのファストファッション店だが,行列がいやで一度も訪れたことがなかったのに,出張に来て異国の店舗で買うとは不思議なものだ。単純に,洋服を見ていても誰も寄って来ず(つまり誰とも英語で話さなくてもOK),安心して試着したりできるので都合がよかっただけなのだけど。
 その隣のファーマシーでサプリメントや化粧品なども買った。時差ボケに効くというのでずっとメラトニンを買いたかったのだが,買い物をする時間がなくてようやく入手できた。サンフランシスコにもあと2日しかいないのに。まぁ最後くらいはぐっすり眠りたいしね。

ファーマシーで買ったサプリメント類
Co-Q10は結構高い

甘い辛いは別として,そもそも食事らしい食事はほとんどしていないのだが,今日は渡米6日目にしてようやくきちんとしたレストランに行くことができた。その名もEureka,ホントに待ち望んだ,という感じ。会社の同僚(とは言うものの初対面の人ばかり)と上司と,総勢8人での食事である。

カリフォルニアスタイルなのか,メニューに載っているアルコール飲料はすべて甘いものばかり。Ginger martiniというのがあったので少しはマシかと思ってオーダーしてみたら,ライムウォッカとジンジャーリキュールとグレナディンシロップのカクテル?で,甘いの何の。後にお代わりは要らないかと聞きにきたときには,classic martini, pleaseとか言ってみたら,ちゃんと普通のドライマティーニが出てきた。最初から普通のマティーニと言えばよかった。

前菜はみんなでシェアということで複数の皿を回しながら食べ,メインディッシュを自分で選ぶことになった。Creol bouillabaisseに決定。やっぱり魚系が食べたいんだな,これが。それにスープ状になっているから,ナイフとフォークがどうの,マナーがどうの,と心配することもない。意外とさっぱりしていて,日本人向きかも。説明されても正体がよくわからなかったがコロッケ状のものが2つ付いてくる(それにも酸味のあるソースが付いている)。

カリフォルニアスタイルなのでさっぱりとしたスープ風。カニ、エビ、白身魚や貝が入っている

バルセロナオフィスにいる日本人の同僚が,連日の徹夜でめげたらしく先に帰ってしまったため,帰りは1人になってしまった。タクシーに乗るのも怖いのだが,スペイン人のみんなが口ぐちに,サンフランシスコは安全だ,大丈夫,ホテルに帰るくらい何でもないよ,と言うので,頑張って1人で帰った(全員宿泊先が違うのである。それにほかのみんなはこの後遊びに行くらしい)。
 比較的若い白人の運転手さんで,話しかけてみたら答えてくれたので,ホテルまでず~っと話しながら行った。文法なんて目茶苦茶だったと思うが,東京に比べるとサンフランシスコは大きい街ですね,とか,英語は難しい,中学生からずっと勉強しているのに話せない,などと言い訳しながら行くと,あっという間にホテルに着いてしまう。日本では『24』や『LOST』を見てますよ~アメリカのドラマ大好きですよ~なんてことを言ったらなぜかとてもウケた。何か変なことを言ったか?

安心してタクシーに乗れたのがうれしかったので,チップをかなり奮発してしまった。結果的に相場の3倍くらいの額になってしまったことに反省の余地はあるが初単独タクシー乗車の記念ということで,自分を許したい。
# by slycat | 2010-06-03 18:56 | 旅行
ナイトツアー
当たり前だが,仕事で来ているので忙しい。30日は午後まで死んだように寝ていたが,夕方からは打ち合わせが入っていたのでだるい身体にムチ打って出かけた。朝も昼も,食欲が全然湧かない。これが時差ボケというものか。

初日と違い空は雲っている。サンフランシスコにいる間、昼は晴れても朝はこんな空が多かった


まず16時過ぎにバルセロナの同僚が到着。ホテルにあるスターバックスでコーヒーを飲みながら話す。その後上司が到着。クライアントと打ち合わせ開始。いろいろと揉めている案件なので気が重い。しかもなかなか話が終わらない。この日はバルセロナチームの一員に誕生日を迎える人がいて夜はみんなで食事をする予定だったのだが,結局23時近くまでミーティングが長引いてしまい,とても食事どころではなくなった。上司は疲れていたので自分のホテルに帰った。

しかしこの日は何も食べていなかったし,ルームサービスも終了していたので,同僚と2人なら怖くない。ホテルの前の道を渡るくらいならできそうだ。そこで向かいにある『BAR & BISTRO』に入った。アメフトやバスケなどのスポーツ番組を見ながらお酒や食事を楽しむ店らしい。ここでバルサミコ酢ドレッシングのグリーンサラダ(なぜか苺入り)とクラブケーキ(カニコロッケのようなもの)を2人で分けて食べた。夜中なのでこれくらいがちょうどよい。いずれにせよ24時には食べ物のオーダーはできなくなる。

翌31日も忙しかった。まず午前中にサンフランシスコにいるメンバーとバルセロナのメンバーとで電話会議。その後,会議の結果に合わせて書類の作成・修正。勝手がわからないところでプリントしたりするのは大変だ。またもや昼食を食べ損なった。
 午後16時頃,再び打ち合わせ。そこでもいろいろ意見がまとまらず紛糾する。やっと18時過ぎに終わると,上司たちは自分のホテルに帰れるけれど,私と同僚はまたまた書類の修正・プリント。合間に東京にメールを打つ。

昼間はこんな感じで快晴


しかし,いやいやながら仕事を片づける中で,フロントの人にとても親切にしてもらったり(プリントに手間取っていたら,好きに使ってよいと自由にさせてくれた),コンシェルジェには23時過ぎでも営業していて,しかも安全だというタイ料理の店を教えてもらったりと,人との触れ合いがあったおかげで元気が出てきた。マーケットストリートにあるアップル社のビルの角を曲がったところにある店で,久々に東洋っぽいものを口にしてホッとした。ちなみにトムヤムクンと何かスパイシーなチキンを頼んだが,それほど辛いものではなくアメリカンナイズされていると思った。

タイ料理店『バンコク』で食べた料理。ここではアルコール飲料は頼めない

夜中に,われわれが開催する会議の招待状をポスティングするため,タクシーを拾おうと思い,ホテルの東洋系のお兄さんに訊いてみたら,知り合いで「town car」をやっている男がいるから呼んでやる,タクシーで7ヵ所も回っていたら,凄まじい料金になるよ,この男に頼めば結局割安だよ,と熱心に勧める。じゃあお願いしますと言い,ついでにチップを5ドルばかり渡したら,バナナリパブリックやブルーミングデール,メイシーなど,次から次へと割引クーポンを持ってきてくれた。それからサンフランシスコの地図やガイドブックも渡された。車が到着するまで,あれこれと世話を焼いてくれて,あまりの仕事熱心ぶりに驚くばかりだった。

1人だったら絶対にできなかったが,2人だったので,夜中に知らない街でちょっと怪しげな車に乗り,市内のホテルを次々訪れてはフロントに手紙を置いていくというヘンテコな「業務」も,それなりに面白かった。アルカトラズに行った日はあれほど晴れていたのに,この日は深い霧が立ち込めており,「霧のサンフランシスコ」は嘘じゃないということがわかった。

回るホテルはユニオンスクエア付近に固まって建っているが,街をぐるぐる走るだけでもちょっとした観光だ。「あそこが僕の好きなSUSHI屋だよ」などと教えてくれた先には,藍地に白抜きでSUSHIと書かれた暖簾がかかっていた。「ここら辺はサンフランシスコでも一番霧が多いところだ」と教えてくれたところには由緒あるホテルが建っていて,つい昨日までオバマ大統領が宿泊していたのだとか。マイクと名乗る運転手さんはとても親切で,手紙を置かなければならないホテルに着くたびに,ちゃんとドアを開けてくれ,フロントの場所がわかりづらいホテルでは一緒に行って案内してくれたり,夜遅いためドアを閉めているホテルではドアボーイ(なぜかどのホテルのドアボーイとも親しそう)に言って開けてくれたり。全部回って60ドル,couple of dollersのチップをあげてね,と言われていたが,10ドル上乗せして支払ったら喜んでくれた。

明日も早起きなんだけれど,明日の夜は平穏に過ごせるだろうか。こういう体験も悪くないけれど。
# by slycat | 2010-06-01 18:51 | 旅行
絶海の孤島を訪ねて
サンフランシスコと言えば,やっぱアルカトラズでしょ(?)。サンフランシスコ最初の2日間は比較的自由に時間を使えるため,『Alcatraz Tour』に行こうと決意。サイトを見ると,29日は土曜日であり,人気ツアーというだけあってどの便も満席。午前11:30を逃すと,ナイトツアーだけになってしまう(それは怖すぎる)。そこで慌てて11:30出航のツアーを予約した。

遅めに起きてホテルのレストランで朝食をとる。その名もJoe's Special(ジョーって誰?)。しかしスペシャルに旨いものなし,ただの具入りスクランブルドエッグじゃん。物凄い量でとても食べ切れない。おまけにホテルの従業員が親切すぎて,しょっちゅうオレンジジュースのお代わりはいかが,コーヒーはどう?と言いながら寄ってくるので,すぐに満腹になってしまった。

写真だとわかりづらいが、3〜4人分はありそうなJoe's Special

ホテルからタクシーでPier 33へ。そこからツアーの船が出る。坂を上ったり下がったり,途中チャイナタウンを抜けて埠頭を目指す。ホテルを出るのが思っていたより遅くなってしまい,間に合うかどうかハラハラしたが,10分ほどで目的地に着いた。タクシー代は7ドル弱だったが10ドル渡し,「釣りは?」と聞かれたので「OK」。ここに来てからOKとThank youばっかり言っている気がする……。

チケット売り場には長蛇の列ができている。しかしpre-paidなので自分のチケットはあっさりゲット(自分でもプリントできるのだが我が家にはプリンタがない……)。乗船する人々のほうの列に並んだ。

ほどなく出航。日焼けを気にしながらデッキに出れば,海はとても美しい。同じ海なのに,日本と違って磯の匂いがしないのは不思議だ。ヨットがたくさん浮いている。遠くにはゴールデンゲートブリッジも見える。アルカトラズ島は映画やテレビで見るのと全く同じだ(当たり前)。脱獄不可能な絶海の孤島は意外とサンフランシスコ市街から近い。あっという間に島に着いてしまう。

埠頭の様子を船から

ゴールデンゲートブリッジ
これが絶海の孤島アルカトラズ

まずは国立公園の係官によるオリエンテーション。「トイレは下にいるうちに行っておけ,上には600以上のトイレがあるが,全部使えないからな」などとジョークを飛ばす。さりげなく館内にある喫茶店のアピールなどもする。

最初に目につく看板

説明が終わってブラブラと歩き出すと,目につくのはやたらとでかいカモメだ。我が家のモルモットより大きい。あちらこちらに彼らから抜けた羽が落ちている。もともとこの辺の島は彼らの棲家だったのだろうが,人間が勝手に移って来て,要塞にしたり刑務所に使ったりしていた。人が住まなくなった今,島は彼らの許に戻ったということだろう。

島の近くまで来ても、あまり刑務所という感じはしない
要塞だった頃の砲台
何かの建物跡
カップル(?)らしきカモメたち
1羽でいるカモメも
屋根の上にはたくさんのカモメ
見張り台

館内はそれぞれ音声ガイドに従って進む。各国語が用意されており,もちろん日本語もある。ヘッドフォンを装着し,いざ,と階段を上れば監房だ。
 人が幽閉されていた場所に立つのは不気味だ。たとえそこにいたのが悪さをした人たちだったとしても。いくつかの監房は自由に出入りできるように開けてあるが,ちょっと足を踏み入れても何となく気持ちが悪い。人はこのような狭い場所に閉じ込められるべきではない。
 アルカトラズでは一度も死刑は執行されていないが,脱獄を企てた者たちによる銃撃戦はあった。囚人・看守それぞれに死者が出たという。銃弾の痕もまだ残っている。ちゃんと脱獄できた者も3人だけいたそうだ。彼らは食事用スプーンを何十本と使って監房の壁を削り,配管を伝って外へ逃げた。彼らがサンフランシスコの岸辺に泳ぎ着いたかどうかはわからない。溺死したというのが有力な説だという。
 周りを海に囲まれているのに,外を眺めれば手が届きそうな距離に自由が見える,パーティの音楽が聞こえてくる。それが囚人にとってはたまらなかったのだそうだ。二重の拷問だね。刑務所内の図書館で人気を集めたのが大衆小説ではなく,ショーペンハウアーやカントなどの哲学書だったというのもうなずける。

観光客でいっぱい
監房の外側。『ダーティハリー3』ではこの広場の出口付近で相棒が撃たれた
手の届きそうなところに見えるサンフランシスコ市街

音声に従いゆっくりと館内を巡ると,2時間ほどが経過する。本など土産を少々買って,再び船に乗るため列に並ぶ。帰りもあっという間だ。しかしこれだけの距離を,脱獄囚たちは泳ぎ切ることができなかった。見た目の美しさとは裏腹に水温が非常に低いことが原因しているそうだが,何だかしんみりしてしまう。

戻ってきたところは,かの有名なフィッシャーマンズワーフなのだが,土曜日ということで非常に混雑しており,とてもウロウロ見て回る勇気はなかった。おまけにひどい時差ぼけが始まっており,眠くて眠くて死にそうだ。それでも,会社の人たちにお土産だけは買わなければ,と無理してギラデリチョコレートをごっそり買ったのだが,後でホテル近くのドラッグストアでも普通に買えることが判明,しなくてもよい苦労などしなければよかったと後悔した。悔しいから,後で合流する同僚ともう一度フィッシャーマンズワーフに来ようと誓った。

旅慣れていないくせに,どうしてもケーブルカーにだけは乗りたい,と思ったので停車場に行くと,アルカトラズツアーのチケット売り場の3倍くらいの長さの行列ができていた。何じゃこりゃ。どうも地元の人々ではなく,休日を利用してサンフランシスコに遊びに来ている人たちのようだ。行列を見てひるんだものの,ほかに代わる交通手段もなく(またタクシーはいやだし,バスや路面電車は乗り方がよくわからない),ここでまた1時間くらいつぶれた。
 どうもケーブルカーとは観光客専用の乗り物らしい。走っている際にも,ケーブルカーを写真に撮ろうと待っている人がたくさんいたし,道行く人がみんなケーブルカーを見つめる。乗ろうとして満員だと係員に断られ憮然とする人も多数。一緒に乗った人たちは1日乗車券のようなものを振りかざしていたので,まず地元民ではなさそうだったし。地元の人々はどこへ姿を消したのだろう。
 しかし延々待たされた挙句に乗ったケーブルカーは面白かった。特に坂を下るときが最高だ。よく事故が起こらないものだと感心するほどの急勾配。しかも,どうも運転士の勘と経験に頼っている感じである。香港のケーブルカー(の一番前の座席に座るの)も好きだったけれど,サンフランシスコのケーブルカーの,チープな感じはエラく気に入った。ここにいる間にもう一度乗りたいな。

停車場。奥に見えるのがギラデリスクエア
常に1台待機しているにもかかわらず、なかなか乗車できない
中から見上げたケーブルカーの天井
一番前に乗れればかなり面白い風景が見られるはず

ホテルに帰ってテレビをつけたら,何と『ダーティハリー3』が放送されていた。そう,アルカトラズ島での銃撃戦がクライマックスというあれ,である。当たり前だが,本当にアルカトラズだった。さっきこの目で見た風景と何も変わらない。外側は映画のほうが今より少しきれいだったかも。クリント・イーストウッドと同じ土を,この足が踏んでいたのだと思うと感慨もひとしおである。無理して行ってよかった。

しかしかなり疲れた。昼食をとる時間がなかったので,夕食くらいはきちんと食べようと思ったものの,外に出る気力がない。ルームサービスを頼んでみた。サラダだけでよかったのだが,バッファローチキンまでオーダーしたら,届いたものを見て愕然とした。……どう見ても4人前はある。ルームサービスってこういうものなのか,それともアメリカだからこんなに量が多いのか。余計なお世話でフォカッチャまでおまけについていた。そしてバッファローチキンは,名前に惹かれたのだが決して美味しいものではないことがわかった(深みのない辛さ)。

カバーを載せた皿が積んである。上にフォカッチャ。ナプキンで冷めないように包まれている
見る者を圧倒する量。Mission Saladのミッションは店の名前であり、ホテルがある通りの名前。シュリンプがいっぱい
バッファローチキン。手羽中や手羽元を揚げて辛いソースに漬けたもの、らしい

いつもなら旅行に行くと,何か美味しいものに出合えるのだが,今回は難しそうだ。同僚の合流により,少しは食生活がマシになることを望みたい。
# by slycat | 2010-05-31 09:11 | 旅行
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