ミステリ・テニス・ハムスター・モルモットについてあれこれと……
by slycat
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文雀さん、有難うございました

吉田文雀さんが亡くなった。尊敬する人、愛する人との別れは、長く生きていればいつかはやってくるとはわかっていながら、悲しくて堪らない。

文雀さんが舞台に現れると、途端に空気が引き締まり、清々しくそれでいて柔らかい風が吹く。彼が操る人形は肌に艶を帯び、ものの哀れを語り出す。

文雀さんが人形を遣った作品で大好きだったのは、やはり『葛の葉』と『摂州合邦辻』だろうか。人の姿を借りた狐が、愛する我が子を残して去る決意をしながら去り難く、思いのたけを語る場面の素晴らしさ。流れる涙を止めることすらできなかった。また、玉手御前が実家を訪ねる合邦庵室の段、文雀さんは、玉手御前は本当に俊徳丸が好きなのだ、というスタンスで人形を遣った。お家を守るため、だけではない、悲しい報われない恋心と死の覚悟。文雀さん亡き後、誰がこれを表現できるのだろうか。

文雀さんは、人形を遣うのが大好きだった、幸せだった、と仰り引退なさったが、その「大好き」のお気持ちこそが私たちの心を摑み、自然に物語の中に導いてくださったのだと思う。さようなら、決して忘れません。
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# by slycat | 2016-08-22 19:54 | 文楽

二度見

最寄り駅から一番近くにあった書店が、1か月ほど前、気づいたら閉店していた。雑誌はともかく読みたい本はほとんど置いていなかったのでダメージは少ないが、駅前に書店もないとは、つくづく文化果つるところだと思う。

同じ通りを北にしばらく進むと、実はもっと以前から営業している書店が1軒あり、大昔、友人が学生だった頃アルバイトをしていた店でもある。
ここも品揃えと言えば雑誌、児童書、人気作家の小説くらいで、それほど魅力があるわけではないのだが、ミステリ系も新刊なら多少置いてあるので、たまに利用する。

今日久しぶりに覗いたら興味を引くものがあったので2冊購入。創元推理文庫『愚者たちの棺』(コリン・ワトスン)とハヤカワミステリ『ジャック・リッチーのびっくりパレード』(ジャック・リッチー)。

面白かったのは代金を支払ったときのこと。店の人、レジに金額を打ち込み、「2,830円です」と読み上げたのだが、自分で言っておいて「え?」みたいに金額を確認したのである。

ま、そりゃ驚きますよね、こんなペラペラの文庫と新書サイズの本がたった2冊でこの値段とは。私もそう思うけれど、仕方ないんだな発行部数が少ないと1冊あたりの価格を上げるしかないんで。ホントにつらいです買うほうも。

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# by slycat | 2016-03-31 23:40 | ミステリ

ぱんつちゃん、有難う

最後にこのブログをアップロードしてから早3年以上。パソコンを立ち上げ、毎日つらつらと書くことが億劫になり放置していた。3年の間にはさまざまなことがあり、今もなおstruggling中のため、このまま二度と書くことはなかったかもしれない。それが今日、突然書き始めたのには勿論理由がある。どうしても、ある人とあるモルモットにお礼が言いたかったから。

ある人とはみどぱんさんといい、あるモルモットとはぱんつちゃんという。

ぱんつちゃんは、モルモットとしては驚異の9年半を生き抜いた。昨年の夏から脚が立たなくなり寝たきりになっていた。そしてみどぱんさんはぱんつちゃんを完全介護してきたのだった。

みどぱんさんのブログを毎日楽しみにしていた。読みながら、同時に、自分にはこれほどの愛を生き物に捧げることができるのか、いやとても無理ではないかと悲しかった。

ときどきぱんつちゃんが牧草などを食べている動画が載っていて、一所懸命食べるぱんつちゃんを見ると、命って凄い、尊いと圧倒された。生き物とは、生きているだけで尊いものなんだと思った。何度も泣かされた。歳とともに枯れていく感情が、再び燃え立った。

辛かっただろうに、明るい文体で記事を書き続けてくれたみどぱんさん、有難うございます。最後まで頑張ったぱんつちゃん、有難う。どうか天国で幸せに。
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# by slycat | 2016-02-04 19:11 | モルモット

有難うアンディ

ついにアンディ・ロディック引退のときが来てしまった。あっという間の10年。2003年最年少でNo.1になった彼だったが、それ以来とうとう一度も1位に返り咲くことはなかった。翌年から、奇跡のようなフェデラー時代が始まったから……。

ちょっと傲慢なプレイヤーだと思っていた。「ロッカールームの嫌われ者」などという噂もあったし、有明で本物を見たときも、コートの上だと何かヤなヤツ、という感じを拭い去れなかった。
しかし、一方で彼は熱心にチャリティに取り組む一面をもっており、特に子供たちのための努力は惜しまない人であった。チャリティの会に顔を見せるはずだった著名人がドタキャンした際、困った主催者が友人であるアンディに電話をしたところ、快く引き受けた彼は吹雪の中駆けつけたという。また、2004年だったか2005年だったか忘れたが、ローマ大会のとき、テニスプレイヤーたちが宿泊していたホテルで火災が起こったことがあったが(サフィンのラケットは燃えてしまったとか)、率先して人々の救助にあたったのもアンディだった。米国テニスのエースと呼ばれるに相応しい振る舞いの数々は、実はコートの外で行われることが多かったのかもしれない。

忘れもしない2007年全豪オープンでの歴史的敗退のときも立派だった。不思議なことに、彼は負けたときこそ人格の素晴らしさを見せつける人だった。ウィンブルドンで一度は優勝して欲しかった。それはとうとう叶わぬ夢となってしまったが、負けても格好良かったじゃないか。別にanother Andyを責めるわけではないけれど、ロディックは負けても泣かない人だった。泣きたい気持ちであったとしても、上手なスピーチで観客を沸かせることができた。

そのアンディが、デルポトロ戦で負けを意識したとき、泣きそうで陣営のほうを見ることができなかったと試合後語った。この1週間、まるで子供が公園で遊ぶような気持ち、innocentな気持ちでテニスを楽しんだ、そう話すのを見たとき、涙を堪えられなかったのは私だけではあるまい。

トップ4はともかく、最近どうも個性を感じられないプレイヤーが増えてきたような気がする中、アンディは、誰にも真似のできないビッグサーブで観る者を圧倒した。半面、リターンのほうは正直言ってお粗末な印象もあったことは否めないが、これほど個性的な人はいなかった。これほどチャーミングな人も。

アンディ・ロディックの引退により、確実に何かが終わった。そう思う。さようなら、アンディ。長い間楽しませてくれて有難う。お疲れさまでした。
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# by slycat | 2012-09-07 02:30 | テニス

長いお別れ

2011年6月30日午前1時半頃。モルモットのプーが息を引き取った。ちょうど4歳になったばかりだったが、残念ながらプーの命は尽きてしまった。長患いすらしないで、あっという間に私達の手を飛び立った。

息子が親に黙ってこっそり買ってきたプー。最初に見たときはゴールデンハムスターかと思ったが、よくよく見るとハムスターとは何か雰囲気が違っていた。のんびりした子で動きは鈍かったが、若いときには結構走り回っていたものだ。最近は走るどころか身体の向きを変えるのにも時間がかかっていた。いつの間にか歳をとっていたのだが、元々おとなしいのであまり気にも留めていなかった。

プーは身体が弱かった。後ろ脚には力が入らないし、頸は斜頸のようだったし、おまけにダニ疑惑で注射を打たれたりと動物病院通いが長かった。季節の変わり目になると体調を崩し、食欲がなくなったり、小屋の床に敷いてあるペットシーツを食べてしまったりして飼い主を泣かせた。何度強制給餌をしたことか。しかし、身体が弱かったためか大変穏やかな性格で、獣医さんに診ていただいても一度も暴れたことがなく、おとなしかった。お尻を撫でてやると喜んで鳴いた。鳴き声もちょっぴり風変わりだった。

29日の朝、出勤前に餌をやったときにはケージを控えめに齧っておねだりしていたのに……。夜10時過ぎに覗いたとき、身体をまっすぐに伸ばして寝ていて、何だか変だと思った。息子が与えた野菜も食べていなかった。そのとき、変だという漠然とした感じを、もっと発展させて考えていれば、何か手当をしていれば、ひょっとしてプーはあともう少し生きていたのだろうか、そう思うと後悔してもし切れない。

毎日午前1時頃、プーはもう呼吸がうまくできなくなっていた。同じような症状は以前ハムスターで何度も見たことがあるので、あぁもう駄目なんだということがわかった。水を飲ませようともしてみたが、すでに飲み込む力は残っていなかった。部屋には冷房を入れているので寒いかと思い、タオルでくるんでやったが、抱っこしたプーはその直後に逝ってしまった。目を開けたまま、口も少し開けたままで、まるで縫いぐるみのように愛らしく、とても生きていないとは思えない顔だった。

プーを飼い始めて1年半ほど経った頃、お嫁さんを迎えようとペットショップに行ったのだが、女の子がおらず、売れ残っていた男の子を買って帰ったため、ついにプーの子孫を見ることはなくなった。プーがいなくなった今、後から来たその子が1匹取り残されている。プーがいたときには、餌の時間に声を張り上げていたものだが、いなくなってからはあまり鳴かなくなり、何となく元気がない。仲間がいなくなったことに気付いているのだろう。

人間のほうも寂しい。プーが逝った日は会社を休んだ。家中がショックを受けていた。小さなモルモットだけど私達の心の中では大きな位置を占めていたのである。プーが開けていった穴は、しばらく埋まりそうにない。

6月28日に撮った写真。これが最後の写真になった。
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ひとりぼっちになった。名前はモー
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# by slycat | 2011-07-02 18:17 | モルモット

パンを焼く

地震の翌日から、近所の食料品店、スーパーなどで買い占めが始まった。我が家ではちょうど米が切れてしまったのだが、買おうと思って出かけたら店から消えていた。仕方なく適当にネットで米を注文したのだが、届いた米は精米から4ヵ月が経過しており、保管の状態も悪かったらしく、とても食べられる代物ではなかった。寒天を入れたり蜂蜜を入れたりして炊いてみたが、炊く途中の臭いもひどい。慌てて信頼のおけないところで買ったのは馬鹿だった、と反省してみたものの、何とかしなければならない。

米は別に探して、お米農家が直接売ってくれるところから買うことにしたが、それが届くまでの間、12年ぶりに自分でパンを焼くことにした。以前は主にフォカッチャなどイタリアのパンを焼いていたが、そのうち飽きてしまい全然作っていなかった。今はインターネットで懇切丁寧に作り方を解説してくださる方がたくさんいらっしゃるので大いに助かる。

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これは某サイトで紹介されていたコッペパンの材料を丸めて、ふだんラザニアや肉・野菜の重ね焼きなどに使っている深めのバットに入れて焼いたもの。強力粉200グラムに対して薄力粉50グラム、砂糖、塩、ドライイースト、牛乳を使う。サイトではこの材料にマーガリンを加えるが、バターにしてみた。
「作品」としては3作目。最初はレシピどおりコッペパンを作ったが二次発酵が十分でなく、冷めると硬くなってしまった(温めると食べられた)。次には別のレシピで白パンを作り、これはまあまあの出来だった。

我が家にはもちろんパン焼き機などはないがオーブンがあるので発酵させるのは楽であるが、パン種を捏ねるのは大変だ。ふだん全然運動をしていないので翌日両腕に筋肉痛を感じた。しかし、始めると楽しくなり結構喜んで作った。それに形は悪いが、それなりのものができることにも満足を感じた。自己満足ではあるけれど……。

パンを作るコツは、しっかり二次発酵させ、十分膨らませてから焼くことと、焼く前に霧吹きで湿り気を与えることだと思う。1キログラム入りの強力粉を買えば4〜5回はパンを焼けるのでそれなりに経済的でもあり、今回をきっかけに料理も少し見直して、なるべく自分で何とかするようにしようと思う。
 
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# by slycat | 2011-03-24 18:19 | 日常のこと

自宅勤務命令

月曜日から、希望者は自宅勤務OKになっていたのだが、今日から全社自宅勤務のお達しが出た。無理矢理出社させて何かあったら却って補償が面倒だという判断ではないかと思う。私が住んでいる地域は私鉄が動いており地下鉄も利用でき、計画停電の予定もないので、出社しても構わないのであるが、来るなと言われているのに行くのもどうかと思われ、今日は朝から家でメールチェック。海外からお見舞いメールが次々と入ってきているのが非常に心強く有り難い……そのたびに苦手な英語で返信するのは少々辛いけど。

海外の人たちは意外なほど日本の惨状についてよく知っているようだ。静岡に友人がいるというフィラデルフィアの同僚(米国人)は「あなたのところは計画停電大丈夫?」などと訊いてくる。静岡の人は19時から22時まで停電だったというのに震度4の地震にまで見舞われ、非常に怖かったと言っていたそうだ。震度4ならばそれほど心配いらないけれど、真っ暗で怖かったでしょうねと返信した。バルセロナにいる日本人の同僚は「お悔やみ申し上げます」というメールを送ってきた。う〜ん、長いこと海外にいて日本語忘れちゃったのかな、などと思うが、気持ちはとても有り難い。

被爆を恐れて関西、九州方面に旅立つ人も多いようだ。昨日、一昨日出社した際には、旅行用鞄を下げた人、キャリーケースをガラガラと引きずって歩く人を多く見かけた。会社に行くと、子供だけでも実家に行かせたほうがよいのではと話す人がいた。我が家の場合、西には親戚がいないのでどこへも逃げられない。原発にもしものことがあれば、覚悟するしかない。
 家にいるなら、やはり少しは備蓄しておいたほうがいいかな、とも思ったのだが、なんせスーパーの棚は空っぽだ。たまたま米が切れそうなので買いに行ったが餅米しかなかった。仕方なくネットで注文したらあっさり買えたのでよかったものの。みんな静かではあるがパニックに陥っている。

しかし家にいても仕事どころじゃない。規模が小さいとはいえしょっちゅう地震で揺れるし、テレビではひたすら放射能の恐ろしさについて語っているし、心の休まるときがない。自宅勤務も楽ではない。……因みに夫の会社では、災害時であるため「定時」で帰ってもよい、という「許可」が出ているそうだ。会社によって対応もまちまちである。
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# by slycat | 2011-03-16 14:14 | 日常のこと

帰宅困難者と呼ばれて……

この土日はテレビをつけっ放し。ずっとニュースを見ている。たまにCNNのワールドリポートにチャンネルを替えては、世界のメディアが日本の災害をどのように見ているかもチェック。被災した方々が早く安心できることを、そして安否不明の方々が早く発見され家族と再会できることを願ってやまない。

3月11日金曜日。水曜日に会社で使っているPCが壊れてしまい、渡された代替機がこれまた使い物にならず2日間もまともに仕事ができなかったため、IT担当者と険悪な会話を交わした後、13時を少し回った頃昼食をとるため外へ出た。14時過ぎに職場に戻り、歯を磨いてから机の前に座った。同僚が会社のキャビネットに残っていた古いPCを引っ張り出してきてくれたので、とりあえずwebメールでメールチェックしようとしていた、そんなときに地震は起こった。

左隣に座っている上司が「大丈夫、大丈夫」とチームの皆を落ち着かせようとする(因みに彼の実家は新潟の大地震で半壊したそうだ)が、揺れが激しくなるにつれ、自宅に1人でいるはずの子供を思って大声を上げる人が出るなどフロアは小パニックに陥った(こういう一大事にどんな行動をとるかで他人への評価が変わってくることと思うが、上司は偉かった。「揺れが治まったら回線が混雑してかからなくなるから、揺れている間に自宅に電話したほうがいい」と勧め、自分で彼女の自宅に電話して受話器を渡してあげた)。
 オフィスがビルの9Fなので余計に揺れたのかもしれないが、今回の地震は本当に怖かった。椅子に座っていてもじっとしていることができず、机の上にしっかり手を置いて自分の身体を固定しなければならなかった。周囲のキャビネットはすべて扉付きだったので物が飛んでくることはなかったが、自分の机に重ねてあった書類や書籍はがたがたと崩れ落ちた。
 やっと揺れが治まったかと思ったら、今度はビルの館内放送が「火事です」。一瞬皆凍り付く。しばらくの後、スプリンクラーの誤作動で火災ではなかったことが判明したが、とにかくビルの外に出ることになった。9Fから下へ階段で下りる際、ほかの階をちらっと見ると、天井板が落ちている。やっぱり古いビルは怖いな、下の階であればあるほどヤバいな、と思いながら下りて行く。

その後総務・人事部の指示で皇居近くの和気清真呂像前まで歩く。1時間ほど寒空の下でうろうろしていたが、上層部の決定があり社員は順次帰宅してよいことになった。いったん会社に戻り(9Fまでの階段がキツかった!)、同じ方向に帰る社員たちと一緒に再び下へ。ふだんなら1Fのタクシー乗り場にタクシーが2、3台待っているのだが、災害時には1台もいない。
 日比谷まで歩いてタクシーを探すという千葉方面のグループと別れ、3人で九段方面に歩く。途中、天井が落ちてきて死者の出た九段会館を横目に見ながら武道館を通り過ぎ、四谷見附まで小1時間ほど歩いたところで、一緒にいた同僚が突然走り出した。市ヶ谷の会社に戻ろうとしていた人たちが渋滞に音を上げてタクシーを降りたのをめざとく見つけたのだった。馴れない長時間の徒歩に膝がガクガクいっており、寒さも厳しくなってきた折りのことだったので、タクシーに乗れたのはまさに奇跡だった。

しかし、渋滞は予想以上に凄かった。四谷から東新宿方面に出て早稲田、落合を目指したが、小滝橋通りに行き着くまでに5時間かかった。途中トイレを借りるため代わる代わる沿道のコンビニに走ったが、用を済ませて戻っても置き去りにされることはなかった。
 タクシーの運転手さんは知的な雰囲気の人で、安心して乗っていられた。いろいろ話をしながら走ったが、お嬢さんと連絡が通じないのを気にしていた。私の携帯はauで、通話こそできなかったがPCのメールアドレスとは連絡が取れたので助手席でちょくちょくメールチェック(自動受信ができず“新着メール確認”で受信していた)をしていたが、彼の携帯はDoCoMoで、ずっと「圏外」になっていると言う。ソフトバンクの携帯メールにはとうとう送信できなかった。因みに、タクシーの中から、公衆電話の前に列ができているのをよく見かけたが、固定電話もIP電話のほうが通じやすかったということだ。

6時間半かけてようやく自宅に辿り着いた。小平、吉祥寺に向かう同僚に別れを告げ、マンションの階段を上って家に入る。1人で家にいた息子がある程度片付けてくれていたので、思ったほど家の中はぐちゃぐちゃになっていなかった。モルモットのカゴも無事だった。
 同じ千代田区に勤めている夫は徒歩で帰ったのだが、タクシーに乗れた私よりも先に家に着いていたのは笑えた。3時間くらいで帰宅できたそうだ。よくよく考えれば勤務先が近いのだから一緒に歩いて帰ればよかったのだが、全く念頭に浮かばなかった。20年以上結婚しているのに、災害時の家庭内ガイドラインというものがなかったのである。

東京に住んでいると、いつか関東大地震が来るのではないか、そうなったらどうしようか、と心の底で常に思っている。思っているのだが、実際に来たらどうするかについてはあまり深く考えない、いや考えたくない。しかし今回の地震で、そんな甘いことじゃいかん、と思い知らされた。
 いろいろ知らないこともあった。息子が「ガスが止まっている」と言うので、ずっとそうなのだと思い込んでいたら、何のことはない、安全装置が働いて止まっていただけで、解除したらあっさりガスを使うことができた。東京ガスに電話しようとしてつながらず、HPを見てみたらちゃんと地震の際に安全装置が働くことが書かれており、解除方法も掲載されていた。

しかし、自分が「帰宅困難者」「帰宅難民」になるとは……。夢にも思っていなかった。幸い無事帰宅できたが、帰れずにさいたまスーパーアリーナやパシフィコ横浜などで夜を明かした人たちは、さぞ寒く、大変だったことと思う。

災害はいつ起こるかわからない。その時のために、もう一度家族内のルールを決めておかなければ……。もちろん、こんなことはもう二度と起こって欲しくないのだが。
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# by slycat | 2011-03-13 17:17 | 日常のこと

バッドカンパニー東京公演

2010年10月26日 @東京国際フォーラム

10代の頃から好きだったバッドカンパニー。なけなしのお小遣いをはたいてLPレコードを買い、ステレオのボリュームを上げて大声で歌ったものだ。生演奏を聴くことは一生ないと思っていたのだが、ある日地下鉄東西線に乗っていたら、車内吊り広告に息が止まりそうになった。「バッドカンパニー来日決定」!! え〜っどうしよう、見たい聴きたい、でも最後にライブに行ったのはローリングストーンズ(2回目)の公演ではなかったか。心乱れたが、これを逃したら恐らく死ぬまで彼らを観ることはない。決意してチケットを購入。当日は会社で何かのパーティなんぞが入っていたが、そっちは遠慮させていただいて、そそくさと東京国際フォーラムに向かった。

かつてはライブと言えば武道館、新宿厚生年金会館に渋谷公会堂、東京ドームといった会場がメインだったが、今回は東京国際フォーラムである。学会の会場じゃないの? ホールAに向かうと、案の定「公衆衛生学会」が開催中であった。
 ドキドキしながらエスカレーターを上がって行く。久々のライブを楽しもうとロック魂を誇示してバックルのついたハードなデザインのブーツに革ジャンを羽織って出かけたのだが、周囲を見渡せば、果たして会社から直行したのであろう背広をまとったサラリーマン風の男性がほとんど。昔みたいに気合いを入れてお洒落している人はほとんどいなかった。

会場は中高年の熱気に溢れていた。オヤジ率が異常に高い。失礼ながら、頭が寂しくなっている方々もかなりいらっしゃる。まぁ仕方ないよね、バンドのメンバーだって還暦超えてるんだから。今回参加するはずだったギタリストは病気で来られないって言うし。一抹の悲壮感はあるものの、ここに来ている人たちのほとんどがバッドカンパニーを愛し、まさかの来日に胸躍らせている。その事実がさらに気分を高揚させる。

19時となり、いよいよ開演。しかし前座があった。この年になるまで前座バンドを聴いた経験はなかったのだが、今回はよりによってリードボーカル、ポール・ロジャーズのご子息、スティーブが前座を務めていた。何じゃこりゃ。ロックスターもお父ちゃんだったんだな、と思う。公演依頼の際の条件だったのだろうか(ステージの最中にも'How was Steve?'なんて聞いたりして、かなり親馬鹿、もとい息子さんを愛しているのだと思う)。
 しかしスティーブはなかなかよい歌手だった。ギターも巧い。何より、曲調や歌い方がお父さんに似ている。それがイマイチ売れない理由のひとつなのかもしれないけれど、悪くない。何より、ポールの息子だと思えば、しっかり聴かないわけにもいかないでしょ。いい感じでスティーブのステージが終わり、舞台は再び暗闇に包まれる。そこでしばし休憩。

そして……。いよいよ彼らが現れた。観客が一斉に立ち上がる。もちろん私も慌てて立つ。"Can't Get Enough"、1stアルバムの最初に入っている曲からステージは始まった。その後、すでに順番は覚えていないが、"Movin' on"、"Ready for Love"など次々と名曲が続いた。
 「彼ら」と書いたものの、オリジナルメンバーはポールとサイモン・カークのみ。ボズ・バレルはすでにこの世の人ではない。それでも、往年の輝きは全く失せていなかった。周囲の人たちも燃えていた。リズムに合わせて手を打っていると隣の人とぶつかってしまうのだが、そんなことは一向に気にならない。ポールが客席にマイクを向けると、皆大声で歌う。バンドもベテランだが、観客もベテラン、お約束はきちんと守られる。破綻のない安定したステージだった。

自分でもびっくりしたことに、ちゃんと歌詞を覚えていた。何しろ私のバドカンコレクションは「LP」なので、最近は聴きたくても聴くことができない。『Bad Company』だけはiPodに入れてあるのだが、海外盤なので歌詞カードもない。それでもちゃんと歌えるではないか。高校生のときの記憶って凄い。

ポールの声は少しも衰えておらず、むしろ艶を増したかのようだった。マイクスタンドをくるくると回したり、宙に投げ上げたりというパフォーマンスには瞠目した。歌ばかりでなく、ギターも弾いたしピアノも披露した。すっごく素敵だった。サイモンのドラムにもシビれた。やっぱりこれぐらい腹に響かないとねぇ。ギタリスト(申し訳ないが名前がわからない!)も素晴らしかったし、途中でゲストミュージシャンが加わるとさらに音の厚みが増した。サービス精神に溢れていた。当然アンコールがあることは承知のうえで一旦去る際、ポールは「帰リハ気ヲツケテネ〜」などと日本語で呼びかけてくれたし(奥様が日本人だと記憶しているので、結構話せるのかもしれないけれど)。

1回目のアンコールでは"Bad Company"を歌ってくれた。もちろんポールのビアノで。もう、本当に感動しました。年をとるとなかなか感情が動かないのだけれど。フリー時代の曲も歌ってくれた。そして彼らは2度のアンコールに応え、最後はブルースで締めくくってくれた。約2時間のステージだったが、あっという間に過ぎてしまった。最初で最後だと思うと非常に切なかった。帰る前にグッズ売り場の列に加わり、パンフレットとTシャツを買ったのは言うまでもない(携帯ストラップはパス)。

しかしウドー音楽事務所、恐るべし。この後11月末にオリビア・ニュートン・ジョンとボンジョビの公演が控えており、その後もスティングにダリル・ホール&ジョン・オーツの来日が予定されている。これってモロにわれわれの世代がターゲットにされているよね。洋楽こそが聴くに値すると思っていた世代、バブルを経験している世代、そして何と言っても40〜60代になり、そこそこお金を遣える世代だ。なかにはニューアルバムを引っさげてくるアーティストもいるのだろうが、ほとんどは懐かしのメロディである。実に手堅い。こんなビジネスチャンスを開拓するとは……なかば呆れつつも賢い戦略だと感心した。どうせならアーティスト公認グッズにはロゴ入りUSBメモリとか、iPadケースとか、大人の喜びそうなものを加えていただきたいものである。
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# by slycat | 2010-10-28 01:38 | 音楽

今さらながら、全仏男子決勝のこと

Roland-Garros 2010, Men's Singles Final
R. Nadal d. R. Soderling 6-4, 6-2, 6-4

もう3日も経ってしまったが、いまだ感動中。ナダルは頑張った。偉かった。もちろん、ソダーリングだってかなりイイ線行っていたが、勝ちに行ったときのナダルの凄みというか、(ホントに再三ソダリングには申し訳ないけれど)選ばれし者の底力というものを見せつけられた感じがする。

何と言ってもソダーリングは背が高いし、サーブが速い。これと言って何が凄いのか説明しづらいナダルと比べると、明快に魅力を語れる選手である。高く上がったボールを思い切り打ち込めば、ナダルといえども打ち返すことなくうなだれるしかない。彼が天から授かった才能は大きい。しかしそれでもナダルは負けない。なぜなんだろう。

昨年はここ全仏の舞台でまさかの敗北を期し、何と決勝にすら進むことができなかった。ディフェンディング・チャンピオンであったのに、ウインブルドンを欠場した。その後もいまひとつすっきりしないまま、No. 1の座をフェデラーに譲ったまま、ファンをやきもきさせていた。

私はずっと、彼の不調は怪我のせいだと思っていたのだが、出張先で合流したバルセロナの同僚に聞いたところ、スペインではナダルの不調は両親の離婚によるものだ、というのが定説だという。「彼もまだお子ちゃまということよね」などと言われた。今回WOWOWの放送でもダパディさんが少し触れていたが、ナダルにとって親の離婚は相当ショックだったらしい。彼の強さが、家族や友人や親戚など、周りを取り巻く人々の絆によって培われていたものだということがいよいよはっきりした。

しかしこの決勝の日のナダルの素晴らしさ。ボルグを基準とするとかつては考えられないほどの筋肉、日々の厳しいトレーニング、天賦の才、彼の場合はその上に強靭な精神力が乗っかっている。そのどれが欠けても彼のバランスは崩れてしまう、が、ひとたび強い精神が戻ってくれば、多少の疲れや不調は何の妨げにもならない。

大切な両親が別れてしまったことで受けたダメージを乗り越えて、ナダルは大人になった。そして、大人になったからこそ、優勝が決定した後、あれほど涙を流すことができたのだろう。経験の乏しい子供は、自分にとっての大きな出来事を目の前にしても泣かないものだ。彼が泣く様は、昨年全豪オープンの優勝を逃したフェデラーの泣き顔とダブった。そうだ、フェデラーも泣き虫なのではなく、さまざまな経験を人一倍しているからこそ、あの場面で泣いたんだね。

2年連続で準決勝となってしまったソダーリングは本当に気の毒だが、ここはちょっぴり我慢して欲しい。あの涙のわけをもし慮ってくれるなら、勝ち負けはともかく、とてもいい試合であったことに満足してくれるなら、許して欲しい。

今年はナダルに勝って欲しかった。その願いが実現したことに感謝したい。
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# by slycat | 2010-06-09 23:47 | テニス