ミステリ・テニス・ハムスター・モルモットについてあれこれと……
by slycat
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カテゴリ:ミステリ( 28 )

二度見

最寄り駅から一番近くにあった書店が、1か月ほど前、気づいたら閉店していた。雑誌はともかく読みたい本はほとんど置いていなかったのでダメージは少ないが、駅前に書店もないとは、つくづく文化果つるところだと思う。

同じ通りを北にしばらく進むと、実はもっと以前から営業している書店が1軒あり、大昔、友人が学生だった頃アルバイトをしていた店でもある。
ここも品揃えと言えば雑誌、児童書、人気作家の小説くらいで、それほど魅力があるわけではないのだが、ミステリ系も新刊なら多少置いてあるので、たまに利用する。

今日久しぶりに覗いたら興味を引くものがあったので2冊購入。創元推理文庫『愚者たちの棺』(コリン・ワトスン)とハヤカワミステリ『ジャック・リッチーのびっくりパレード』(ジャック・リッチー)。

面白かったのは代金を支払ったときのこと。店の人、レジに金額を打ち込み、「2,830円です」と読み上げたのだが、自分で言っておいて「え?」みたいに金額を確認したのである。

ま、そりゃ驚きますよね、こんなペラペラの文庫と新書サイズの本がたった2冊でこの値段とは。私もそう思うけれど、仕方ないんだな発行部数が少ないと1冊あたりの価格を上げるしかないんで。ホントにつらいです買うほうも。

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by slycat | 2016-03-31 23:40 | ミステリ

モースはやっぱりチャーミングだがルイスも頑張る

ケーブルTVがデジタルになってミステリーチャンネルが見られるようになり、時間があるときはホームズやポワロ、ミス・マープルにバーナビー警部、フロスト警部と、イギリスのテレビシリーズを楽しめるようになった。そしてついに、ずっと見たかった『主任警部モース』シリーズを見るチャンスが巡ってきて、ほとんど毎日深夜テレビにかじりついていた。このところそれだけが楽しみだった。

コリン・デクスターの原作は13作、ドラマは33本で、多い分はオリジナル脚本である(と思う。短編のドラマ化があったかもしれないが2〜3本ほど見逃してしまってわからない)。モースとルイスがオーストラリアやイタリアに「出張」したりする回もあった。この2人が一緒に行動しているだけで楽しいので、特に不満はない。ちゃんと原作があるエピソードのほうで、だいぶ脚色されている点が気になったが、それでもファーストネームを尋ねられたモースが「皆はモースと呼んでいる」と答えるお約束のやりとりなどが採り入れられていて嬉しかった。

第1回を見たときは、モースを演じるJohn Thawが何となく怖い感じで、自分が抱いていたイメージと違うなぁと思ったのだが、見続けるうちに慣れ、気にならなくなった。むしろMr. Thawの顔が好きになって毎晩彼に会うのが楽しみになった。それに彼は声がとても素敵だ。ブラウニングやテニスンを引用するときなどは特に素晴らしい。
 そして何と言ってもルイスが最高だ。生真面目で、家族思い。扱いにくいモースを尊敬して常に味方となる彼を、Kevin Whatelyが原作どおりのイメージでバッチリと演じている。『森を抜ける道』だったと思うが、最後のやり取りなど秀逸だ。

Chief Inspector Morse: The glass is always half-full to you, isn't it, Lewis?
Detective Sergeant Lewis: "If you can meet with triumph and disaster, and treat those two imposters just the same".
Chief Inspector Morse: Kipling.
Detective Sergeant Lewis: No, All England Lawn Tennis Association, sir. Its written up above the players entrance, Centre Court.
Chief Inspector Morse: So it is.
(確かにモースの言う通りキプリングの詩なのだが……テニスファンにも嬉しい台詞)

しかしテレビシリーズには必ず最終回というものがある。そして本シリーズの最終回に、避けては通れない悲しい出来事が待っていることはわかっていた。原作が存在し彼が「モース」であるかぎり、どうしたってこの日が来る。

最後のエピソード『悔恨の日』は引退を間近に控えたモースが過去の事件の解決に動く。この回もだいぶ原作とは違っていたが、モースの孤独と悲哀はより色濃く描かれている。John Thaw自身の人生がこのドラマの後それほど残っていなかったことを思うと、さらに切ない。モースがついに倒れる場面は胸も張り裂けんばかりだった。
 そして極めつけはモースの最後の言葉。"Thank Lewis for me". 全英が泣いたに違いない。私は原作の終わり、ルイスが涙する場面で彼と一緒に泣くのだが、ドラマはそこまで追わなかった。霊安室での静かな別れを最後に、幕は下ろされた。

今回、このシリーズの放送があったおかげで原作を再び読み返したくなったが、なぜか手許には『ウッドストック行き最終バス』と『ジェリコ街の女』しか見当たらなかった。全部持っているはずなのだが、探すのも面倒なので改めて買おうと思ったら、「ウッドストック」と『キドリントンから消えた娘』しか残っていないことが判明した。何たるザマか。ミステリ専門出版社としてあまりにも情けない。Amazonで古本を買えそうなのでまぁよしとしておくけれど。
 物凄く腹が立ったが、とりあえず手許にあった「ウッドストック」をもう一度読む。賛否両論はあるだろうが、やはりこの第1作は傑作と呼んでよいだろう。この作品に関してはドラマより断然原作のほうがいい。恋するモースはチャーミングだった。特にラストシーンなど泣かせるじゃないですか。
 そしてすっかり忘れていて今更ながら驚いたのだが、ルイスはモースより年長だった(一体どうして忘れるんだろうか)。ルイスを演じているKevin WhatelyはJohn Thawよりも9歳年下だし、ドラマを見ていても年齢の逆転に何の違和感もなかったのだが……。

現在放送されている『バーナビー警部』『孤高の警部ジョージ・ジェントリー』もなかなか面白く、イギリスのオヤジどもはどうしてこんなに素敵なのだろうかと訝しく思いつつも楽しんで観ているが、やはりとどめはモース警部だ。ドラマの出来不出来はともかく、モースの独特な魅力は、誰にも真似のできるものではない。そしてその魅力を倍増させていたのが、ほかならぬルイスの存在だったのだろう。中年の上級刑事と若僧の図式は同じでも、ルイスに代わる相棒はいないのだった。

便利な世の中になったもので、今では何でもネットで調べられる。John Thawが2002年に亡くなってしまい、どんなに切望してもモース警部は復活できないのだが、ルイスは健在だ。何と何と、その名も"Lewis"というスピンオフがイギリスでは今も続行中ではないか。最新シリーズは2010年5月放送だという。
 真面目なルイス、あんまり学はないけれど思い遣りのあるルイス、万年部長刑事だったルイスが、Inspector(警部)として若い部下とともに事件を解決するTVシリーズだそうだ。写真を見たらルイス君もだいぶ老けたようだが、本当に嬉しい。「モース」シリーズを見た人なら誰でも、あの後ルイスはどうなっちゃったんだろうなぁと気になったはずだ。そんなファンの気持ちを尊重し、ドラマ化を考えたプロデューサーは実に偉い。しかもモースのシリーズが終わってから6年も経ってから始まったシリーズである。残念ながら日本のテレビ局にはこういう真似はできないだろうね。

頑張れルイス! そしていつか、日本でもこのドラマが放送されることを願う。
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by slycat | 2010-05-09 00:19 | ミステリ

よき時代のゲーム

ライノクス殺人事件
フィリップ・マクドナルド/霜島善明 訳 創元推理文庫

謳い文句は「英国本格の技巧派 半世紀ぶりに登場! 結末で始まり発端に終わる実験的手法の得難い収穫」。コピーの出来はよいと思わなかったが(表4の紹介文もよくない……)、先に復刊されていた同じ作者の『鑢』が結構面白かったので読んでみた。

目次を見ると、なるほど最初に「結末」があり、その後第1部から第3部、そして最後に「発端」と並ぶ。さらに要所要所に作者の「解説」が挿入されている。確かに実験的なのかもしれないが、クリスティを筆頭にロイ・ヴィガーズの倒叙物(迷宮課)とかエラリー・クイーンの「読者への挑戦」とか、いろいろな人がいろいろなことをやっているので、今読むとさほどの驚きはない。

半分も読まないうちに何が起こるか、そして犯人が誰なのか、ほぼわかってしまう。擦れっ枯らしのミステリ・ファンならもっと早く気づくだろう。しかし、この小説は単なる謎解きに終わらない面白さをもっており、ガッカリするには及ばない。むしろフェアプレイを通り越して読者にヒントを与えまくる作者の姿勢には、ニヤニヤさせられっ放しである。

さらに本書の後半では、前半の事件から派生する危機的状況を主人公(と言ってよいと思う)がいかに切り抜けるかに興味をそそられる。そしてハリウッド製コメディのようなドタバタ・アクションを楽しんだ後、ようやく「発端」に戻ってしみじみと事の顛末を噛み締めれば、フルコースを食べ終わったような満足感(しかも自分の「推理」能力を勘違いして喜べる)。後味もすっきりである。

殺人事件のトリックについて、解説の臼田惣介氏が日本人作家の「某名作を髣髴させる手の込んだものだ」と書いているが、私もすぐに連想した(実はこの「某名作」を読んだだけでは仕掛けがよく理解できず、映画化されたものをDVDで見てようやく「ああそうだったのか」とわかった、という経緯があって余計に印象に残っていた)。全体に軽い調子で書かれているので読み飛ばしがちだが、肝腎なところはきっちりと、本格推理小説の伝統に従って書き込まれている。この辺も魅力である。

けれども、本書の中で一番光っているのは、常に人生を楽しもうとする“ゲームの精神”だろうか。楽しんでしまえば、殺人事件でさえ幸せの種になる。そんな“逆説”を証明して見せたことが、本書における実験だったのかもしれない。
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by slycat | 2008-05-12 23:56 | ミステリ

悪は罰せられ、正義は勝つ(のかなぁ)

検視審問ーインクエストー
パーシヴァル・ワイルド/越前 敏弥 訳 創元推理文庫

江戸川乱歩が絶賛したという幻の名作(1940年)だそうだ。そう言われると読みたくなるではないか。検視審問という制度が日本にはないので事情はよくわからないが、アメリカでは死因を法的に確定するために行われ、検死官、検視陪審員が証拠、証人の証言を基に事件を審議していたらしい(現在でも行われているかどうかは知らない)。

古き良き時代の雰囲気が漂っているかと思えば、意外と古さは感じないが、お膳立てはオーソドックスである。舞台はコネチカットの小さな町に住む人気作家ミセス・ベネットの館。彼女の70歳の誕生日に起こった殺人事件。犯人は誰か、そして何のために殺したのか。この謎を4回にわたる公判の中で解いていく。

ユーモアのひねりが効いていて、読んでいると思わずニヤッとする箇所がふんだんにある。正論を吐く者に限って大した人物ではないとか、文学と三文小説の違いとか。著者の本業は劇作家だそうで、なるほど登場人物の一人ひとりが生き生きと描かれており、忘れ難いキャラクターが次々と現れる。

以前、「どうして人が殺される話なんかを面白いと思うの?」と訊かれたことがあるが、ミステリを読む楽しみとは、人間性についてあれこれ考えることじゃないかなと思っている。
 現実の世界でも毎日のように事件が起きているが、それはなぜなのか。何が人を追い詰めるのか。ミステリ作家が描きたいのは、つまりそういう問いへの彼らなりの回答なのだと思う。そして悪が滅び、正義が勝つ結末であって欲しいと望むのは、現実においても希望を持ち続けたいからにほかならない。

事件の謎そのものは、こんなものか、という感じだし、割合初期の段階で犯人はそれと知れてしまうのだが、それは本書を楽しむ上では些細なことである。公判において読み上げられる、あるいは語られる証言の裏表に、「ははぁ、そうきたか」「ほぉ〜なるほどね」とうなずきつつページを繰り、最後に本を閉じるときにはふーっと息を吐いて、「いやぁ〜お見事!」と言いたくなる。巧みな話術にぐいぐいと引き込まれていく満足感。作者の人間観察は大したものだ。

最近は面白いミステリを探すのがひと苦労となってしまったが、創元でこうして過去の名作を復刊してくれるのが楽しみだ。本作の続編もいずれ刊行されるというので、期待して待っていよう(あまり間をおかずに訳してくれると有難い)。

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by slycat | 2008-04-21 01:45 | ミステリ

He's Baaaaaack!

眼を開く
マイクル・Z・リューイン/石田 善彦 訳 早川書房
〜アルバート・サムスン・シリーズ〜

シリーズ、と書いたが(嘘ではないが)、前作から13年ぶりの新作である。待ちくたびれたぞ、アル、と言いたい。アルバート・サムスンが登場した頃は、「ネオ・ハードボイルド」の旗手、なんてことを言われていたリューインだが、最近はネオ・ハードボイルドという言葉そのものが死語になってしまった。もともと好きな言葉ではなかったから全然平気だが。例えば映画で言う「ネオ・リアリスモ」や「ヌーヴェル・ヴァーグ」のような衝撃は、ネオ・ハードボイルドにはなかったと思っている。

さて、肝腎のサムスンだが、13年間全くご無沙汰だったかと言えば、ミステリマガジンにたまーに短編が紹介されていた。そこには、探偵免許を剥奪され、その場しのぎの仕事で糊口を凌いでいるような、ちょっとだらしない彼が脇役として姿を見せていた。一体いつになったら「現場」に復帰するのか、と苛々しながら待ち続け、ついに本書が世に出たのである。

実は個人的には、サムスンよりも同じ作者により生を与えられた刑事、リロイ・パウダーのほうが少し好きである。リューインは面白いことをやっていて、パウダーの作品にはサムスンがちらっと出てくるし、サムスンのガールフレンドはパウダーにも縁がある。ガールフレンドであるアデル・バフィントンを主人公に据えた作品もある。すべてインディアナ州インディアナポリスが舞台となっている。今回も、主人公はサムスンだがパウダーもアデルも出てくる。パウダー物もしばらく新作がないので、彼に会えたのはとても嬉しいことだ。しかも相変わらず頑固そうで、風変わりで、なのにしっかり頭が冴えているところが好ましい。

本書は、何年も失ったままだった私立探偵の免許をようやく取り戻したサムスンが、探偵業に復帰するところから始まる。仕事を取り上げられ、鬱々と楽しむことのなかった日々とはおさらばだ。読者にとっても喜ばしいことで、さぁどうなるか、とわくわくしていると、親友であるジェリー・ミラー警部が不利になるような仕事を請け負うはめになる。ミラー警部はサムスンから免許を奪った張本人であるが、その事実に傷ついてはいるものの、ミラーに対して友情を感じなくなったわけではない。うーむ、これは……復帰した途端、早速悩める事態の勃発である。

ワンパターンだとは口が裂けても言わないが、リューインの作品は、いつもいくつかの事件が同時に起こり、一見何も関係がないように思われる事実の一つひとつが実は深く結びついており、最後の最後で一点に集約されるところが醍醐味となる。サムスン・シリーズに限らず、パウダー物でも、近年発表されている探偵一家、ルンギ・ファミリーのシリーズでも、同じ手法が使われている。今回も、些細なことのすべてに関連があり、一気に読み通した後の晴れやかな充実感は格別だ。

しかし本書のツボは、数年の間身に降りかかった災難を嘆き、周りが見えなくなっていたサムスンが、自分の存在理由を得たことで今まで見えなかったものに気づき、中年を過ぎてまた新たに成長を遂げる、というところにある。編集者が苦労してつけたと思われる「眼を開く」というタイトルにも現れているようだ(原題のeye openerは、シャキッとするために飲む目覚めの一杯、酒のことだったと思う)。成長するのは、何も若い人だけに与えられた特権ではなかった。また年をとったからといって急に賢くなるわけでもなかった。中年を過ぎてしまった者にはぐっとくる示唆である。

そう、初めてサムスンに出逢った頃は、まだ20代だった。それが今や、サムスンとほとんど年が変わらなくなってしまった。読み手も変化したが、サムスンも年齢相応に変化し、第1作のような軽やかな感じは少なくなっている。それを寂しいと思わず、好ましいと思うようになっているのだから、私も少しは大人になったのだろう。
 それでも、彼の仕事に対するプライド、プロフェッショナルとしての誇りは変わらない。それを確認できたのが一番嬉しい。少し気になるのは、何となくこれでサムスンには会えないような気がすることである。リューインがサムスン・シリーズで描きたかったことは、すべて描き終わってしまったような、そんな感じがするのは、恐らく私だけではあるまい。
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by slycat | 2006-10-20 01:56 | ミステリ

40代、脱線の自問自答

ムーチョ・モージョ
〜ハップ&レナード・シリーズ〜
ジョー・R・ランズデール/鎌田 三平 訳 角川文庫

奥付を見たら初版、10年前に発行されている。こういうシリーズがあることすら知らなかった。本書を手にとったのは、会社の近くにある書店が、海外ミステリにはふだんあまり力を入れていないのに、「店長のおすすめ」と手書きのカードを飾った上に、棚1つ使ってランズデールの作品をずらりと並べていたのに興味を惹かれたからだった。時にこんないい加減な出合いが幸運を呼ぶこともある。

ハップ・コリンズはストレートの白人、レナード・パインはマッチョなゲイの黒人、すでに中年、40を過ぎている。音楽の趣味も付き合う相手の好みも全く違うが、二人は無二の親友である。彼らに共通するのは、恐ろしく口が悪いこと、しかも饒舌だということだ。二人のやり取りは非常に痛快なので、映像化されたら見てみたいものだが、放送禁止用語ばっかりだからテレビではいい台詞をほとんどカットしなければならないだろう。

舞台は東テキサス(きっと物凄い田舎なのだろう)。レナードの叔父が亡くなり、故人の家を掃除していた二人は、何と床下に子供のものらしき骸骨を発見する。レナードは叔父の無実を信じ、ハップに手を貸してくれ、と頼む。
 物語はハップの視点から語られ、事件の捜査と、ハップの恋が同時に進行していく。二人は警官ではなく私立探偵でもない。当然、警察のお邪魔となるのだが、ここで登場してくるハンソン警部補もチャーリィ刑事も、厄介な奴らだな、と思いつつも何となく彼らの「捜査活動」を黙認しているようである。やっぱりアメリカ、特にテキサスのような土地ではvigilantism(自警主義)が浸透しているのだろう(テメェのケツはテメェで拭け、って…あっこちらまでこんな言い方に…)。だから警官たちも何だか人間味があって面白い。

どちらかといえばレナードは血気盛んなのだが、ハップのほうはもう少し懐疑的な性格だ。romanticist(ロマンチスト)でもある。どちらにしても、中年にしては風変わりであるかもしれない、そろそろ枯れてもいい年頃だ。しかしこの二人の対比は、話をぐんと面白くする。
 特にハップには大いに笑える。いろいろな出来事に対してあれこれと考えを巡らすのだが、なぜか微妙に脱線していってしまう。例えば、レナードの叔父さんの友人イリアム・ムーンを探している場面;

「ブックモービル(移動図書館)はどこにあるんだろう? イリアムはどこにいるんだろう? 苔はほんとうに木の幹の北側にだけ生えるんだろうか? ヒューストン・オイラーズはどうしていつも負けてばかりなんだろうか?」

ゲラゲラ笑いながら楽しく読み進んでいって、読者が出くわすのは暗い暴力だ。これだけユーモラスな文章の中に、ガツンと「悪」をぶち込んでくるのは、大したものだと思う。非常に鮮やかな印象である。しかし私が心惹かれたのは、ハップの恋物語のほうだった。特に結びの一節は、まるで思春期の少年のように無垢で痛々しい。解説には「史上最低、品性のかけらもない毒舌コンビ」と書かれているのだが、これだけ真摯に恋ができる人に品性がないとは思えない。女の私から見ると実に羨ましい友情に結ばれた、愛すべき男たちである。

本書はハップ&レナード・シリーズの第2作だが、第1作は翻訳されていないらしい。第3作『罪深き誘惑のマンボ』を読んでみたら、毒舌はますます激しくなり、熱い友情も健在だったが、物語そのものはどんよりと暗くなっていた。どうしてそうなってしまったのか、よくわからないが、ちょっとしばらくはランズデールを追いかけてみたいと思う。ほかにもたくさん作品があるので…。ちょっとしたきっかけで読み始めたのに、あっという間に気になる作家となってしまったようだ。f0061021_0142844.jpg
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by slycat | 2006-09-22 00:21 | ミステリ

懐かしのパンク時代

ストリート・キッズ
〜ニール・ケアリー・シリーズ〜
ドン・ウィンズロウ/東江 一紀 訳 創元推理文庫

13年前に出版され、本屋で一度は手に取ったもののなぜか読んでいなかった作品。たまたまシリーズ最終作が出版されたので、じゃぁ最初から読んでみるか、とようやく買ってきた。

父親は誰かわからず、母親はドラッグ中毒で食事もろくに与えてくれない。11歳のニール・ケアリーが探偵家業に手を染めることになったのは、たまたま掏摸を働こうとした相手が腕利きの探偵、ジョー・グレアムだったからだ。ジョーは某組織の雇われ探偵だが、ニールの素質を見抜いて探偵に必要なABCを叩き込んでくれ、やがてニールは組織の中でもピカイチの探偵となる。
 物語の時代設定は1976年。家出した上院議員の娘アリーを探し出すため、ニールは単身ロンドンに飛ぶ。捜索に与えられた期限は2ヵ月。果たしてニールはアリーをアメリカに連れて帰ることができるのか…。

ジョーの「探偵講座」がリアルである。尾行術や部屋の中にある小さな何か(例えばイヤリング)を探す術など、そのまま実践できそうだ。ニールはジョーのことを「父さん」と呼んでいるが、この親子関係がとてもいい。血のつながりはなくても、ジョーが教え込んだ処世術が、ニールの中に息づいている。

1976年というとロンドンはパンク・ロック華やかなりし時代。ピストルズやクラッシュがデビューした、あるいはデビュー前夜を迎えていた頃だ。本書の中でも捜査の都合上ニールが足を踏み入れたクラブで、バンドがパンクを演奏している。何だか懐かしかった。マーロウやアーチャーがクラブに入る、という場面は想像できないが、そこは23歳という若い探偵ならではだ。
 ニールは自分を雇っている組織の会長の計らいで一流校を修了し、コロンビア大学で英文学を学んでいる「インテリ」なので、最初はパンクに拒否反応を示す。だが、やがてそんな自分を恥じ、曲を受け入れ、歌詞を理解する。
「これは持たざる者の歌なのだ。千年に及ぶ階級社会を弾劾する怒りの叫びなのだ。……あちこちから押し寄せてきた怒りが、ニールをさらっていった。みんなの怒りを感じ取り、共感を覚えた。……」
 当時の熱気溢れるライブを小道具に使い、ニールに「決断」をさせるところがうまい。そして探偵の若さ、金や権力に対する嫌悪感が素直に描かれていて新鮮だ。プロ中のプロであり人の何倍も濃い人生を送ってきたとはいえ、ニールはまだ若い。物事に対する感性が柔軟で初々しい。ビジネスに対する冷徹さと、人間としての幼さが相対した結果、従来いなかった魅力的な探偵像を生み出している。本書は日本に紹介されたときから非常に評判がよかったが、なるほど、こういうわけだったのか、と今さらながら思った。

個人的に面白かったのは、家出したアリーをロンドンで目撃した少年が翌日試験だというので、ニールが「マクベス」をレクチャーするところ。
「…〝人間〟という言葉が何回出てくるかを講義し、特別に、比喩表現における色彩の使われ方についての注意点まで伝授した。」
 嫉妬が緑色だとか、学生の頃シェイクスピアの講義で習いましたっけ。アメリカでも日本でも、試験に出ることは同じなんだな、と思って何だかおかしくなった。f0061021_0385775.jpg
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by slycat | 2006-08-28 00:42 | ミステリ

古臭いのが新しい

ラット・シティの銃声
カート・コルバート/小田川 佳子 訳 創元推理文庫

前日まで読んでいた『グルメ探偵』と比べると、何とも貧しい食生活。カビをこそげ落としたパンにスパムを挟んで食べる、なんて、う〜む。間違っても「ギムレットにはまだ早い」なんてことは言わず、ウイスキーを浴びるほど飲む。煙草はフィリップ・モリス。ラッキーストライクはお気に召さないようだが、マイク・ハマーの弟子筋みたい。考えるより先にまず行動する男、それがジェイク・ロシター、シアトルの私立探偵である。

ラット・シティとはシアトルのこと。主人公ジェイクがつけたあだ名である。イチローとスターバックスしか知らないが、本書の時代、1947年当時、シアトルはとんでもない犯罪都市だった、らしい。朝食時、コーヒーにクリームを入れていると、いきなり見知らぬ大男が乱入してきて銃をぶっ放すのだから、相当危ない街である。しかし、ジェイクも第二次大戦を生き抜いてきた強者なので、そこは慌てず応戦、相手がなぜ乗り込んできたのかもわからぬまま、一弾のもとに倒してしまう。大男の間際の言葉はひと言、「グロリア…」だった。

死んだ男はけちな賭け屋、ビッグ・エドだった。一体自分はなぜ命を狙われたのか、ジェイクは、早速捜査を開始。ジェイクには抱えている未解決の依頼があった。依頼主は失踪した息子を探して欲しい、という貧しい黒人の父親だったが、行き詰まっている上に白人の客たちの手前、おおっぴらに黒人の依頼を引き受けるのがマズいという時代背景から、何となしになおざりになっていた。しかし、一見何の関係もない2つの事件は、やがて思いがけない方向へと展開していく。

いきなり車で轢き殺されそうになったり、警官にぼこぼこにされたり、決闘を挑まれボクシングの試合をすることになったり、事件の核心に迫る以前に面倒が次々とやってくる。読んでいるほうも、何が何だかさっぱりわからないままドタバタ・アクションに巻き込まれていく。
 読む人によっては「黒人」の扱いに眉を顰めるだろうし、ジェイクは硫黄島で戦った海兵上がりなので、「日本」の扱いもよくはない。だが、さすがに個人主義のお国柄、トージョーは気に入らなくてもカミカゼ特攻隊には敬意を払うジェイクのキャラクターは、読んでいて決して不快感は与えない。
 ジェイクを取り巻く仲間の一人ひとりにも印象深い味がある。孤児院時代からの腐れ縁で、何かとジェイクを助けるスタンリー・“ヘイン”・ヘインゼルマン、甥っ子を刑務所送りにしたのでジェイクを目の敵にしているベイカー警部補、秘書なのにファイリングより捜査に関わりたくて探偵養成講座に通うミス・ジェンキンズ…。粋がった探偵が独りで突っ走るのではなく、仲間とのチームワークで事件を解決に導いていくのが本書のいいところであり新鮮味である。

悪徳警官に謎の女、ジャズにボクシング、「私立探偵」の物語に欠かせないお約束のお膳立てがたっぷり詰まっている。お断りしておくが、本書はれっきとした新刊(原書は2001年発行)。死体愛好者や小児性愛者、カルト宗教絡みの犯罪小説に飽き飽きしている人には絶好のエンタテインメント小説だ。
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by slycat | 2006-08-09 00:01 | ミステリ

ミステリを読むと何か食べたくなって…その2

グルメ探偵、特別料理を盗む
ピーター・キング/武藤 崇恵 訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

楽しみにしていた『死と踊る乙女』(スティーヴン・ブース/宮脇 裕子 訳、創元推理文庫)を読み終えてしまい、近所の本屋に行ったが、翻訳ミステリにはあまり棚を割いていないため、たまたま目についた『グルメ探偵…』を買って帰宅した。
 本格推理というにはちょっと物足りないが、毒がなくすいすい読めるし、何よりミステリ・ファンの「私には知識がある」という自負心をくすぐる引用が数多く登場するので、楽しく読ませてもらった。私は隠れマイク・ハマー・ファンであるので、マイクが馬鹿にされるのには少し抵抗があるのだが、まぁ、仕方がない(世間的に確立された評価ではある)。スピレインにはスピレインのよさがあると信じているから、気にしないでおこう。
 この本の主人公はライセンスを持っていないので実際には本物の私立探偵ではないのだが、魯山人もびっくりの特殊能力をもっており、そのために事件に巻き込まれる、風変わりな探偵である。

正直言ってこの本、推理小説としてはどうでもいいのだが、料理がたくさん出てくるのが魅力だ。主人公自らもマメに料理するので、レシピがたくさん出てくる。空腹のときに読むのは禁物だ。ダイエット中の人には絶対に勧められない。かくいう自分も、痩せたい痩せたいと思いながら、我慢できずに、作中の料理を作って食べてしまった。

「……ぼくは手軽でおいしい料理を考えだすのも好きだった。殻付きのエビを買っておいたので、溶かしバターで炒め煮にして、それにたっぷりの挽きたてコショウとレモン汁をかけた。それからトマトをふたつに切り、スプーンで中身をくりぬいて、そのなかに熱々のエビのバターあえを詰める。みじん切りしたチャイブを上からたっぷりと散らして、それを冷蔵庫に入れた」

こういうのを読んだら、「ギャーーッ」とか叫びたくならないだろうか。ただ、バターなどの油脂で炒めたものを冷やすと、油が白く固まる。どちらかというと茹でた後オリーヴオイルで和えるほうがよさそうだ。また、冷たいトマトに詰めるより、オーヴンで焼いてくたくたにして、そこに熱々のエビを詰めて、熱々で食べたいなーと思う。
 それでも、一応オリジナルに忠実に行こう、と思ったので、書かれているとおりに作った。天然エビが一山580円で買えたので早速ゲット。思ったよりたくさんあったので背わたを取るのに苦労した。バターで炒め煮、というのが少し曖昧だったが、多めのバターでエビを炒め、色が変わったところで白ワインを加えてアルコールを飛ばしてみた。こんなもんでいいんじゃないの。天然塩を軽く振り、粗挽きのブラックペッパーとレモン汁をかけて、トマトに詰めた。
 結果……。トマトそのものに味付けしていないので、ちょっと上品すぎるかな。さいの目に切ったトマトを合わせてサラダみたいにしてもよかったかも。でも、ビールのつまみにはいいようだ(主人公はグルメだから、マルガリータの後に食べるんだけど)。

本書にはほかにも舌ビラメのヴェロニク風だの、オイスター・ロックフェラーだの、ひな鶏の煮込み料理だの、よだれの出そうな料理が次々登場する。全部再現していたら動脈硬化からメタボリックシンドロームに陥りそうだが、特別な日のご馳走や、人を呼んでのパーティによさそう。

ああ、冬のボーナスが出たらフレンチ・レストランに予約を入れよう……。f0061021_0275483.jpg
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by slycat | 2006-08-05 00:29 | ミステリ

一番怖いのは

少年少女の死
半七捕物帳(四) 岡本綺堂 春陽文庫

秋田で起こった少年殺害事件はただでさえ痛ましいのに、近所に住む女性が容疑者として連行され、ますます気持ちが暗澹としてしまう。今のところ、自分の娘が亡くなったのに、娘と仲良くしていた男の子が生き生きと過ごしているのを見て嫉妬した、ということになっているが実際のところはわからない。

この事件と似ているな、と思うのが、『半七捕物帳』に収められている「少年少女の死」である。語り手(綺堂)が元岡っ引きの半七老人に昔の手柄話を聞く、という設定でさまざまな事件が紹介される短編集であり、以前も「小女郎狐」について触れたことがある。この連作を読むたび、犯罪というのは今も昔も変わらないな、と思う。一応フィクションなのだが…。

「少年少女の死」では子供が犠牲となった2つの事件が描かれる。東京で自転車に乗る人が増え、家の前で小さな女の子が自転車に轢かれた、と半七が言い、しかしいくら自転車を取り締まっても一番怖いのは人間、と語り出すところから始まる。
 秋田のケースに似ているのは、最初の事件。外神田の田原屋という貸席で踊りの師匠がおさらい会を開いた。弟子が多いうえに見物客や弟子の親兄弟で大賑わいとなった中、踊り子の一人、9歳の「おてい」が行方不明となる。その子がいないと次の演し物の幕を開けることができないため、皆で手分けして探すが、見つからない。一時は神隠しではないかと思われた少女は、田原屋の縁の下から亡骸となって発見される。
 少女の頸部に巻き付いていた手拭を手がかりに半七が捕らえた犯人は、少女とは縁もゆかりもない者だった。動機らしき動機は特にない。「ああ可愛らしい子だとつくづく見惚れているうちに、……、なんだか急にむらむらっとなって、おていをそっと庭先に呼び出して、不意に絞め殺してしまったんです」。敢えて言えば動機は嫉妬、自分には許されない幸せを目の前にしたときの、咄嗟の行動だった。

秋田の事件は毎日のようにニュースで取り上げられ、「動機不明」「不可解」「鬼母」などのキーワードで一括りにされているが、本作を読んで思うのは、こういう事件は特に現代社会のひずみが生んだものではなく、もともと人間が心の奥底にもっている暗い思いが引き起こすのではなかろうか、ということだ。たとえ22世紀になっても、不幸な人間があるかぎり、不幸な事件は起こりうる。

災難はいくら避けても追っかけて来る、一番怖いのは人間。半七の言葉は、彼の時代から100年経ってもなお、ずっしりと重く、私たちに迫るのである。f0061021_1124391.jpg
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by slycat | 2006-06-15 01:14 | ミステリ