ミステリ・テニス・ハムスター・モルモットについてあれこれと……
by slycat
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カテゴリ:映画( 18 )

『グッバイ、レーニン!』

グッバイ、レーニン! 2003年、ドイツ ヴォルフガング・ベッカー監督

大好きな映画である。公開時、息子と一緒に恵比寿の映画館で観た。その後何度かテレビでも観たが、ベルリンの壁崩壊後20年経った記念に最近「ザ・シネマ」チャンネルで放送されたので再び観てみた。何度観ても面白いし、なぜか観るたびに涙が出てしまう。子供のいる人、特に男の子のいるお母さんにはぜひ観て欲しいなと思う。観た後、一緒にこの映画について語り合いたいな。

ベルリンの壁崩壊前後の東ドイツを舞台にしたこの映画は、肩肘張らずに観られる楽しい作品だ。一緒に観に行ったとき、息子は小6か中1だったと思うが、隣の席でゲラゲラ笑っていた。再見した今回も便宜上隣に座っていたが、やはり同じシーンでゲラゲラ笑った。この作品、特に「コメディ」に分類される映画というわけではないのだが、監督が笑いのツボを心得ている人で、タイミングがバッチリだからだろう、常に笑える。例えば息子がもう少し成長して、『2001年宇宙の旅』を観たら、また別のシーンでも笑えるようになると思うが、何も知らなくても十分おかしい。

しかしこの作品には、笑いだけではなく、ちゃんと仕掛けもある。心臓発作による昏睡から目覚めた母親にショックを与えまいと、統一前の東ドイツを再現すべくあたふたする主人公の奮闘ぶりが面白いのだが、一所懸命再現に没頭しているうちに徐々に当初の目的から外れていき、ついには自分自身の理想とはどういうものなのかに気づいていく、その辺りが深い。

もはや「東ドイツ」は存在しない、ということが母親にバレた?という危機に際して、主人公に与えられた起死回生の「武器」は、映画オタクの親友が協力して作ってくれるビデオの「映像」である。この映像が抱腹絶倒の傑作なのだが、ウソで固めた映像を母親に見せているうちに、だんだん映像の世界に主人公自身が影響されていく。監督は映像の力を信じている。だから映画監督になったのだろうし、だから説得力があるのだろう。
 このくだりを観ていると、愛国心というのはやはり、国や政治や他人から押し付けられるものではなく、自ら目覚めるものであるべきだなぁとつくづく思うのである。教科書なんかで洗脳してはいけない。人は皆、それぞれ自分の、自分だけの愛する国をもつべきだ。

親友が「俺の最高傑作だ」と自負して主人公に渡した最後のビデオを母親に見せるシーンは圧巻だ。「これが僕の東ドイツだ」。主人公を演じたダニエル・ブリュール、誇りに満ちて母親を見つめる表情がよかった。もう一つよかったのは、それを見つめる母親の表情だ。この映画を一緒に観た息子にはわからないだろうし、恐らく作品の中の主人公にもわかってはいない設定なのだろうが、親にとって最も嬉しいこととは、子供が立派に成長したという証しを得ることだ。母親にショックを与えてはならない、という優しい気持ちから始まったウソが進化していき、結果として親子の絆を確固たるものにした、その真実が激しく感動的な映画である。ここでどっと泣く。

しかし正直なところ、初見のときには泣かなかったところで今回じわじわ泣いてしまった。映画が始まってすぐ、主人公がまだ子供の頃のエピソードが語られる場面である。自分の息子もいまや18歳、小さいときはよかったなぁなどと思うことが多い昨今、幼い子供の無償の愛を見てしまうと、無条件に涙が出てしまう。あぁ歳をとったものだ。

史上に残る名作、と呼ぶには少々恥ずかしいが、よい映画というものは、何度観ても面白いものだし、何より観るたびに印象が少しずつ変わるものだと思っている(『東京物語』然り)。そういう意味で言えばこの映画は「よい」と称するに値する、そう思う。
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by slycat | 2009-11-12 00:14 | 映画

子供には見せたくない青春映画

言えない秘密(2007年台湾、原題:不能説的・秘密)
監督・主演・音楽:ジェイ・チョウ、脚本:ジェイ・チョウ、トー・チーロン、撮影:リー・ピンビン

先日観た『カンフーダンク!』で主演を演じた台湾のスター、ジェイ・チョウの初監督作品である。『戯夢人生』『花様年華』の撮影を手がけた名カメラマン、リー・ピンビンをはじめスタッフが皆超一流、ということを差し引いても素晴らしい瑞々しさで、ジェイの底知れない才能には驚かされてばっかりだ。

ジェイ・チョウ演じるシャンルンが淡江音楽学校に転校してきた日から、この映画は始まる。古い校舎を探索中、シャンルンは一人のミステリアスな少女(シャオユー=グン・ルンメイ)に出会い、ひと目で恋に落ちる。映画の前半では、2人の高校生らしい、幼い恋が可愛らしく描かれており、自分の子にもこういう恋をして欲しいと思わせる。

後ろの席にいる少女のほうを盗み見ては先生に注意される場面。少女を自転車の後ろに乗せて家まで送っていくひととき。誰もが一度は経験したことのある甘酸っぱい日々が生き生きと描かれる。初恋の舞台となる台湾最北部・淡水鎮の景色も非常に美しい。
 またピアノの音色をたっぷりと堪能できるのもこの映画の大きな魅力である。「ピアノ王子」と呼ばれる生徒とシャンルンの“ピアノ・バトル”、シャンルンとシャオユーの連弾。2人が学校帰りに立ち寄るCDショップのレトロな雰囲気もとてもいい。音楽学校の生徒らしく、彼らの日常は音楽に溢れている。

しかし映画が進むに従い、シャオユーが抱える「秘密」がただならないものであることが薄々わかってきて、秘密の重みが徐々に観客を圧倒する。そして映画の最後、ピアノのテンポとともに、物語も加速していき、思いがけない結末を迎えることになる。

卒業式の日、誰もいない教室で、シャオユーにメッセージを伝えようとする場面でドッと涙が溢れた。ふだんは淡々として寡黙なシャンルンが、愛する少女のために何もかも捨てる、その凄まじい勢い。10代の恋は恐ろしい。
 「頑張れ!」と言いたいのに、一方では「もう諦めてくれ……」と思ってしまうのは私も子をもつ親であるからだろう。子供のいない人は、すんなりとシャンルンの気持ちに同化でき、違った印象をもてるのかもしれない。

世の親にとっては非常に残酷な映画である。傑作であることは間違いない、だけど自分の息子には見せたくない。
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by slycat | 2008-09-15 18:51 | 映画

メガすげエェェかどうかは兎も角

カンフーダンク!(2008年台湾・香港・中国、原題:大灌藍)
監督:チュウ・イェンピン、アクション監督:チン・シウトン、脚本:ケビン・チュウ、ラム・シュウイン、アン・ワン

『頭文字D』『王妃の紋章』ですっかりジェイ・チョウ(周杰倫)の魅力に取り憑かれてしまい、新作映画が来るというので楽しみにしていた。8月16日からロードショウだったので早速観に行くことにしたが、上映館を調べたら、何とほとんどの劇場が日本語吹き替え版しか上映しないという。アジアのスーパースターが主演するというのに、一体何なんだこの扱いは。かろうじて新宿と有楽町で夜1回だけ字幕版を上映していたので、新宿へ向かった。

映画が始まるまでの間、ずっと映画の主題歌(もちろんジェイ様主唱)が流れており、すっかり洗脳された。帰るときには売店が閉まっていて買えなかったが、必ずサントラを買おうと心に決めた。

お話は親に捨てられカンフー学校で育ったファン・シージェ(ジェイ・チョウ)が、ふとしたことから出会ったリー(エリック・ツァン)の勧めで大学のバスケット部に入り活躍するというもので、まぁ他愛がないといえば他愛がない。しかし全編ジェイ・チョウの魅力でいっぱいだ。スーパースターだというのに、どうしてこの人はこんなに擦れてないんだろう。ナイーブで孤独な影のある、だけどちょっと天然なシージェを清々しく演じている。

試合の場面は、さすがに胸が高鳴る。夢のプレーの連続だ。思わずジェイの歌に合わせて足踏みしたくなる。
 私にとっての「バスケットボール」はいまだにマジック・ジョンソンで、それもプロになる前、大学生だった頃の彼が好きだった(後にエイズで有名になるとは思ってもいなかった)。名前は忘れてしまったがジョンソンにはパートナーがおり、2人でコートの右と左に分かれてパスをしながらガンガン進んでいき、相手チームが必死でボールをカットしようとしても寄せつけなかった。格好よかった……。

思い出はさておき。『少林サッカー』と同様、主人公のチームが勝ち進んでいくと、優勝の前に立ちはだかる敵が現れる。当然ながらあからさまに悪い感じで、汚い手を使ってくる。さぁ、どうするシージェ。チームはめでたく優勝できるのか!?

チェン・ボーリンやシャーリーン・チョイ、バロン・チェンなどの若々しいメンバーに交じってン・マンタ(最近『ホスピタル』に出てたなぁ)にレオン・カーヤン、ケネス・ツァンなど、香港映画好きには堪らない面々が脇をしっかり固めていて楽しかった。そしていまや重鎮となったエリック・ツァンは美味しいところを全部持っていって、ちょっとずるいかな。

欲を言えばもっとバスケのシーンが多くてもよかった……。でも面白かったし、何よりジェイが可愛いから許す!! 
 恋人と一緒にこの映画を観に行く男の子たちは要注意である。彼女がジェイに夢中になってしまうかもしれないよ。
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by slycat | 2008-08-19 23:17 | 映画

死にたくないと思えること

ハプニング(2008年米、原題 The Happening)
監督・製作・脚本:M. ナイト・シャマラン

『ミラクル7号』の翌日、地元の映画館で『ハプニング』を観る。『レディ・イン・ザ・ウォーター』ですっかりシャマラン・ファンになった息子が観たい、観たいと言うもので(ちなみに彼の出世作『シックス・センス』は、情けないことに私も息子も未見である)。

テレビスポットでさんざん「人類は滅びたいのか」のコピーを見せられ、ついでに言えば通勤の際にこの映画のでっかい広告を毎日見ていたのだが(だって改札の横にあるんだもんね)、実際に観てみて……果たして怖かった。

セントラル・パークを発端に、人々が次々と死んでいく。しかも殺されるのではなく、自ら死を選ぶのである。疫病のように広がっていく死の波は、主人公エリオットが暮らすフィラデルフィアにも押し寄せてくる。

ご承知のとおり、シャマラン監督はインドの人である。映画に描かれる「恐怖」の在り方は、ハリウッド的なものとは印象が違う。
 夫はこの映画を一緒に観に行っておらず、観に行くつもりもない、というのでシャマランがどのように描いたのか、食事をしながら説明していたら、例えばあるシーンはヒッチコックの『鳥』みたいだね、と言われた。

しかしヒッチコック(彼はイギリス人ではあるけれど)の恐怖は、あくまでも、わけのわからないものが襲ってくる恐怖、そのために命が危険に晒される恐怖だった。シャマランの恐怖は、わけのわからない理由により、自分で自分の命を断ってしまう恐怖である。しかも、この脅威からは逃げることができないのだ。

ハリウッド映画だったら、この映画のようなことが起こって何人かで安全な地へと逃げることになったら、必ずグループの中に科学者だの勘のいい人だのが1人はいてリーダーとなり、その都度、的確な判断でピンチを乗り切ることになるだろう。万一誰かが力尽きるのだとしたら、それはリーダーの言うことを無視した結果であったり、ほかの誰かを助けるための犠牲的行為の結果であるのだろう。

一応、主人公は科学の教師であるので、一応、起こっている事態に対して冷静に対処しようとはする。しかし、悲劇を防ぐほどの力は与えられていない。肩すかしを食ったような気分になる。
 この映画では、知識や良識があってもあまり助けにはならない。逃げ延びることができるとしたら、それは「運がよかった」ということにほかならない。えぇ〜っだってこれ、映画なのに。映画なのに逃げられないの? 運命を決定するのは人間ではないのだった。これは厳しい。

シャマラン監督が描きたかったテーマは、ひょっとしたら全然別物なのかもしれないが、この映画を観て受け取ったものがある。それは、人が自分で自分を殺すということが、実に醜い、ということである。シャマランは大胆極まりない映像で、これでもか、これでもか、とこの醜さを叩きつける。観るたびに、映画館の座席で私は飛び上がり、震え上がった。

もう時効だろうから書くけれど、こんなおばさんでも20歳前後のときはショーペンハウアーの『自殺について』かなんか読んじゃって、老いて醜くなる前に死んじゃえ、なんて思っていたのだ。しかし実際はこの年齢まで生き長らえている。死ぬ、ということは簡単であってはならない。死ぬ前にはいっぱい考えなければならない。
 死にたくない、と思えることは幸せである。当たり前のことのようだが、自分がこんなに幸せな人間だったとは。『ハプニング』観てよかった! 私は幸せだ!

映画館を出たら、風が吹いていた。ゾッとした。なぜゾッとしたのかは、映画を観た人にしかわからない。
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by slycat | 2008-07-31 22:51 | 映画

馬鹿にしたもんじゃない

ミラクル7号(2008年中国、原題:長江7号)
監督・製作・脚本:チャウ・シンチー

『カンフーハッスル』以来、何してるんだろうなぁ、と思っていたところへ公開されたチャウ・シンチーの最新作。貧乏親子とETの心暖まる物語(?)ということで、怖じ気づいたというか、胡散臭さを感じたというか、少々敬遠していたのだが、公開から1ヵ月が経過して、これ以上グズグズしてたら見逃してしまう、と決意を固めて観に行った。

上映している劇場を調べたら、何と「シネマスクエアとうきゅう」でしか観られない。以前『上海グランド』を観たのもこの映画館だったので、ここ10年くらいはアジア映画に力を入れているのかな、とも思うが、シネマスクエアとうきゅうといえば、私が学生の頃は、難解な文芸映画ばかりかける小屋だったのである。今ではあんまり珍しくもないが、毎回入れ替え制のため続けて観られない、フランス製の椅子を導入している、など当時としてはかなり画期的な、どちらかといえばお固い映画館だった。へえぇ、チャウ・シンチーの映画をシネマスクエアが……。何だか変な気持ちである。

1日に3回のみの上映で、しかも最後の回が15:15開始。平日にはとても行けないので、土曜日に息子を連れて行った。息子は『少林サッカー』を見せてからすっかりチャウ・シンチー・ファンとなっており、もちろん観に行くことに異論はない。いったん四谷3丁目まで行って立ち食い寿司(安くて美味い)の店でお昼を済ませ、新宿へ移動した。

道中、「今日は久しぶりにスカッと笑えるね」と言っていたのだが、結果的には滝のように涙を流して帰ることになった。もちろん、楽しくなかったわけではない。チャウ・シンチー節は健在で、彼が過去に撮った映画のパロディみたいな場面もあって大いに笑えた。だけど、一方で大いに泣かせる映画でもあったのである。

チャウ・シンチーは、今回の作品では脇役に徹しており、主人公は彼の息子ディッキーである。お父さんが日頃言い聞かせている「嘘をつかず、喧嘩せず、一生懸命勉強していれば尊敬される人になれる」という言葉を信じて健気に生きている。
 しかし貧乏だけはどうにもならず、運動靴が破れているからといって体育の時間に立たされたり、友達に馬鹿にされたりする。欲しいおもちゃも買ってもらえない。
 そんなある日、お父さんがゴミ捨て場から拾ってきた球状の物体が、可愛らしい生き物に変化する。ディッキーはこの生き物を長江7号(ナナちゃん)と名付け可愛がるようになる。

どうせCGなんだから、と思っていたのに、このナナちゃんの可愛らしさには脱帽する。本当に可愛い。ナナちゃんが画面に現れた途端、あまりの愛らしさにノックアウトされた。一時、学習能力のあるロボット犬が流行ったが、やっぱりペットというのは自由に行動し、人間の思い通りにならないところが愛おしいんだなぁと再確認する。
 この映画はスピルバーグの『E. T.』にインスパイアされて作られたのだが、ETとナナちゃんに違いがあるとすれば、ETがその超能力を惜し気もなく人前で披露するのに対して、ナナちゃんはこっそりと人知れず能力を発揮する、という点だろう。この辺り、実にアジア的な美学が感じられ日本人には理解しやすい。

今回、チャウ・シンチーはあくまでも子供向けの映画としてこの作品を作ったらしく、『少林サッカー』や『カンフーハッスル』のようなアクションはほとんどないし、彼独特の厳しいユーモア感覚(というものが存在するとすれば)も影を潜めている。しかし何か事が動くとしたら、それは情あってこそ、という姿勢は同じである。ディッキーとナナちゃんの間にある無条件の信頼関係、ディッキーとお父さんをつなぐ愛情、そういうものが素直に伝わってきて涙を誘う。

いやいや、こんなに泣いてしまうとは夢にも思わなかったが、非常に爽やかな気持ちである。シネマスクエアよ、四半世紀経ってようやくこの境地に至りましたか、よくやった! 「文芸映画」の建前なんかなくても、いい映画はちゃんと人に何かを伝えるものなのである。

それにしてもチャウ・シンチーって、貧乏を描かせたら世界一だなぁ。どんなに才能があっても、作品がヒットしても、どこか貧乏臭さを漂わせていられるところが凄い。ずっとこのまま、庶民の味方(?)の映画人であって欲しいと思う。
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by slycat | 2008-07-27 01:52 | 映画

久しぶりのフィルムセンター

27日の夜に大阪から帰り、翌日は当然仕事、なかなか文楽のことが書けずにいるが、29日は京橋のフィルムセンターの「発掘された映画たち2008」に行ってきたので、まずはその感想を……。

以前(といっても大昔だが)は銀座のみゆき座や池袋の文芸座で、比較的簡単に古い名画を観ていたのだが、みゆき座はなくなり、文芸座は復活したものの仕事のためなかなか行けなくなって、ケーブルTVの放送を待つだけ。フィルムセンターに行きさえすれば結構観られるのだし、映画は映画館で観るもの、これではいけない、と思いつつ、行動に移れないでいる。

そんな中、伊藤大輔監督、市川右太衛門主演の『薩摩飛脚』(1938年)がアメリカで発見されたこと、フィルムセンターで上映されることをテレビで知る。画面に映ったラストの立ち回りシーンに心惹かれて、重い腰を上げた。それほど力のあるシーンなのである。

実は京橋のセンターに行くのは初めてである。以前竹橋に移っていたときは何度か行っていたのだが、上映前に入場のため並ばなければならず面倒だった。人気のある映画の場合は少なくとも2時間前にはセンターに到着していなければならなかった。
 今回は夫が先に家を出て1時間前から並び、私は遅れて到着。途中携帯メールで状況を訊きながら会場に向かったが、かなり並んでいるとのこと。席は確保できるだろうが入場は微妙、という答え。地下鉄の中ではどうすることもできず、とにかく行くしかない、と車両の中で焦っていた。
 着いてみると確かに行列ができていたが、ちゃんと入場できた。意外と中は広いので、そんなに焦る必要はなかったかなぁなどと思う。

今回の『薩摩飛脚』はトーキー作品だが、サウンドトラックが消失しており、本当の無音である。無声映画ではないので字幕もなければ音楽もない。映画が始まると、場内はシーンと静まり返り、観客の咳払いだけが響く。そして徐々にいびきが聞こえるようになる。

台詞がわからないので心配していたが、さすがに伊藤大輔監督は無声映画時代から映画を撮っている人なので、音がなくても大丈夫。話は早いテンポでどんどん進んでいくが、ちゃ〜んと話の筋がわかる。大したものだ。音と言葉に頼っている現在の監督たちには、とてもこんな画面は作れないだろう。

薩摩に派遣されていた幕府の密偵、神谷金三郎(右太衛門)が、囚われ人質になった同僚の松村四海を置き去りに江戸に帰ってきたことをほかの武士たちからさんざん責められている場面から映画は始まる。さすがにこの経緯は台詞がないとわからないのだが、松村の妻・お静は神谷のかつての恋人だった。
 お静は松村の弟・欽之助と暮らしているが、お静の再婚話が持ち上がるなどの状況を憂いて欽之助は兄を探しに薩摩に旅立つ。この欽之助君がなかなか可愛い。女の子みたいだと思っていたら、やっぱり日高松子という女優さんだった(観客席のオールドファンが「あっ日高松子だ!」と仰っていたので、当時はそれなりに人気のある人だったのだろうね。オールドファンに感謝)。

欽之助を追って旅立つ神谷。途中遊び人みたいなのや巾着切と知り合いながら旅を続ける。見るからに怪しい破戒坊主みたいなのが現れたり、薩摩方が現れて斬り合ったり、困難が続くが、肝腎の欽之助は目の前で攫われてしまう。
 はるばる大阪まで行ったところで、欽之助と松村は江戸へ送られたということがわかる。江戸へ引き返すと、薩摩屋敷から呼出状が届く。神谷は単身、屋敷へ乗り込んで行く。

そしてここからがお待ちかねの立ち回りシーン。いやぁ、凄いです。伊藤大輔監督は「移動大好き」と呼ばれており、移動撮影ではピカイチとの定評なのだが、この映画でも存分にやってくれる。
 移動だけでなく俯瞰で驚かせたりもしてくれるのだが、屋敷に入った途端、右太衛門が床で転がりながら(転がるというのは少し語弊があるが、要するに座った状態で)の斬り合いを始めてびっくり。その後部屋を移動しながら奥へ、奥へと行くが、何しろ多勢に無勢、なかなか前に進めない。これをカメラが寄ったり引いたりしながら見せる。右太衛門って、今の感覚で言えば結構「小太り」なんだけど、素早くて美しい動き。思わず見とれる。
 ようやく奥まで行くと、松村が金網のある小部屋、竹の籠に閉じ込められているのがわかる。松村の口が「馬鹿っ」と動いたのがわかったので、自分に構わず逃げろ、と言っているのだろう。神谷は必死に斬り合いながら、小部屋の鍵を何とか外そうとする。
 しかしここでいかにも悪そうな奴が出てきて、神谷を槍で突く。これにもびっくり。えっ嘘、右太衛門、スターなのにここで死んじゃうとか? 神谷絶体絶命のピ〜ンチ! そこへ……!!! と、あらすじはこれくらいにしておこう。

あとで聞いたら、「薩摩飛脚」とは、薩摩へ隠密で入ると、言葉の違いなどからすぐにそれとバレてしまい、行ったら最期、江戸には戻れない、という意味なのだそうだ。隠密、お庭番については岡本綺堂のおかげで多少の知識があったので何となくわかった。
 また文楽のおかげで、「実は彼はこういう人物だったのだ〜」という展開にも馴れており、若い頃ならわからなかったかもしれないお話も、すんなりと頭に入ってきた。途中、大石内蔵助よろしく神谷が「昼行灯」みたいに暮らしているのも、ハハァこれはお約束ですね、と理解できる。

市川右太衛門の素晴らしいこと。私は丸根賛太郎監督の『天狗飛脚』(こっちは本当に飛脚)を観て彼のファンになったのだが、残念ながら観た作品は少ない。もっと観たいものだ。と言うか、観なければ。とにかく、ただ立っているだけで「スター!」という風格があるし、走ればもっと美しい。周囲に何を言われようと、実は信念の人であり、非常に心優しい人である、というのが顔を見ただけで納得できる。心から惚れ惚れする。
 久しぶりにいい映画を観られて満足、満足である。これで音が入っていたら、市川右太衛門様のよい声も聞くことができたのだが……そこは仕方がない。発掘され、観ることができただけで感謝しよう。

こんないい映画がアメリカで発見された、というのは情けない。しかし、フィルムセンターの地道な発掘努力によって、こうやって陽の目を見ることができたのは評価したい。大変な作業なのに、センターには職員が何と11人しかいないという(フランスのシネマテークは職員300人だって……)。日本の大事な財産なんだから、国がきちんと保存しておくべきだし、ちゃんとお金をかけて欲しいな。ここで声を大にして言っておきたい。そして最後に、まだ見つかっていない『浪花女』を早く見つけて欲しいものである。
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by slycat | 2008-04-30 03:23 | 映画

オーシャンズ13ーおじさんたちの底力

今回の“オーシャンズ”は男臭い映画となっていた。騙されて失意の底にある仲間を救うために、メンバーが立ち上がる。男どもの濃ぉ〜い友情の物語である。

音楽といい、色使いといい、60年代、70年代を意識しており、新作なのになぜか懐かしい雰囲気なのが中年の心をくすぐる。それに何といっても、今回コン・ゲームのきっかけを作るのはエリオット・グールド。もー大好き。今はすっかり太っちゃって、心筋梗塞起こすような役柄がハマってしまうところがやや悲しいが、70年代の彼は、現在のジョージ・クルーニーやブラピにも負けないほど輝いていたんだ。
 『ロング・グッドバイ』『…YOU…』『M★A★S★H』……どれも忘れられない。特に『ロング・グッドバイ』は、エリオット・グールドが原作を朗読した「カセットブック」まで買っちゃったくらい好きである(ただ残念なことに、A、B面とも同じ内容が入っていた! 洋書屋に文句を言って取り替えてもらったのだが、それでもA、B面同じ内容だったので諦めた。アメリカの出版社は何ていい加減なんだ……)。

閑話休題。本作では、オーシャンズが「原点に戻った」のが嬉しかった。正直に言って、2作目は面白かったけれど話がとっ散らかっていた(サイド・ストーリーの占める割合が大きかったでしょう)。今回はほとんど寄り道なし。まっすぐ目的に向かって進み続けるからわかりやすい。
 しかも倒すべき敵は超大物。かかる資金も莫大だ。にもかかわらず、メンバーが損得抜きでコンに取り組むところにグッとくる。

こういう映画の場合、敵役がつまんない人物だと興ざめだが、何と言ってもアル・パチーノが演じてくれるのだから、映画を観る前から面白いに決まっている。これほどの大御所を引っ張り出してきて作品を引き締めるところがニクい。
 さらに、1、2作目から続く因縁の人物たちがちゃっかり顔を出すのも、シリーズならではの嬉しいおまけだ。1粒で二度美味しい、というわけである。

次々出てくるいろんな仕掛けのすべてに意味があり、伏線があるのは1作目から変わらないが、う〜むと唸らされるだけでなく、腹を抱えて笑える設定がいくつもあって、2時間を超える上映時間が全く苦にならなかった。
 特に、アル・パチーノが経営するホテルに「Five Diamonds」賞を取らせまいとするオーシャンズの工作により、とばっちりを受ける格付け調査員が哀れで、可哀相でたまらないのに爆発的に笑わずにはいられない(隣で息子がゲラゲラと笑うこと、笑うこと……。ほかの観客、特に近くに座っていたカップル連が静かだったのは意外だった。デート中は笑わないのか?)。

ほかにも、こんな細かいところまで念を入れるか、という某工作の最中に革命を起こしてしまう双子たちには大いに笑った。1作目からだいぶ大人になったはずなのに未だに坊や扱いのマット・デイモンにもたっぷり笑わせてもらった。
 しかし、本作の主役はオッサンたちである。ジョージ・クルーニーはいい年だし、ブラピも老けた。アンディ・ガルシアにも『ブラックレイン』のときに感じた切ない若さはみじんもない。『ゴッドファザー』で観客を魅了したアル・パチーノも、本作ではつまらん強欲じじいに成り下がった。それでも、彼らが見せる“Good Bad Men”ぶり(あるいはBad Bad Manぶり)には一見の価値がある。円熟の極み、というか、青二才にはとても無理な奥深さ。若さばかりをよしとする日本の映画、ドラマは猛省すべきだと思う。Hurrah for Hollywood! 豪華な舞台だけでなく、俳優の層の厚さに、ハリウッドの底力を見せつけられた。

追記:ひとつショックだったのは、エンドタイトルを見ていたら「AKEBONO」「MUSASHIMARU」と出てきたのに、彼らの姿に全く気づかなかったことである。パンフレットを買ったら、解説を書いている石津文子氏という人も気づかなかったそうなので、私だけじゃなかったんだ、と変に安心したが、悔しいことに息子はちゃんと気づいたそうである。これから観る人は注意して見つけてください。
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by slycat | 2007-08-28 01:23 | 映画

身近になった007?

007カジノ・ロワイヤル
2006年イギリス、チェコ、ドイツ、アメリカ

ピアース・ブロスナンでまだまだ行ける、と思っていたので、今回の新ボンド抜擢には少々驚いたが、007映画はまずハズレがないし、周囲の評判もよかったので週末は迷わずこの映画に決めた。

従来の007映画と最も異なっていたのは、やはり主役の個性、キャラクターである。実際の出自はどうあれ、ショーン・コネリーもロジャー・ムーアも、ブロスナンもお洒落でスマートで品があり、高級車やブランド物がよく似合っていた(残念ながらティモシー・ダルトンが主演した2作は観ていない)。しかし今回、よくも悪くもダニエル・クレイグは洗練されていない。初めて「労働者階級」のボンドが出てきたな、というのが最初の印象だ。
 その代わり、諜報員として上を目指す主人公のギラギラした野心、自分に対する絶対の自信がストレートに出ていて面白い。いかにも鍛えました、という肉体も、ボンドは変わった、と告げている。

タイトル前の非情なエピソードにもびっくりだが、映画が始まって間もなくの追跡劇は開いた口が開きっぱなしになる強烈さ。ダニエル・クレイグも凄いが、追われているほうの逃げっぷりが凄かった。その後もテロを未然に防ぐため、ボンドは走る、走る。「ダブル・オー」となるためには、頭脳だけじゃ駄目なんだねーと納得。ハイテクよりも何よりも、まずはボンドの肉体が観客を圧倒する。
 タイトルとなっているカジノ・ロワイヤルに移ると、肉弾戦から密室の頭脳戦へ。しかしそれでも画面が静止してしまうことはなく、もちろん退屈する暇はない。この辺りは、さすが伝統ある007映画である。

濃厚なアクションを堪能する一方で、本作の要となる恋愛のほうも見逃せない。クールでダイ・ハードなボンドが少年のように一途に恋をする様は(見ていて少し気恥ずかしくなってしまうが)、可愛らしいとすら言える。相手役のエヴァ・グリーンはヨーロッパ系の美しい人で、生涯の恋にふさわしい。

ボンド映画の第1作は私が生まれた年に作られた。007を映画館で見始めた頃のボンドがロジャー・ムーアだったので、彼が演じていた洒脱なボンド、派手なロマンスが恋しくないと言えば嘘になるが、40年以上も守ってきたシリーズを、ここまで斬新に生まれ変わらせることができるなんて。正直言って驚いた。タイトル前のお約束とラストの締め方も秀逸で、言うことなし。面白い!
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by slycat | 2006-12-25 21:59 | 映画

岸田今日子さんを悼む

女優の岸田今日子さんが17日に亡くなった。子供の頃アニメ『ムーミン』に親しんだ世代としては、残念なニュースである。声も個性的だが、非常に美しい人で、ああいう大人になりたいと常々思っていた。

そのうちどこかの局で『砂の女』を放映してくれるのではないか、と期待している。原作は読んだのだが映像にすると重そうでつらそうで、敬遠していた。学生の頃は名画座で何度も上映されていたのに…。もったいないことをしたものだ。

数々の映画に出演なさっているが、私の印象に残る1本は、日本映画ではなく香港映画。『極道追踪』(1991年)である。社会派監督アン・ホイの作品で、日本が舞台。アンディ・ラウ、チェリー・チェン主演の切ないストーリ−だった。岸田さんはこの映画の中で、山谷の娼婦を演じている。
 命を狙われているチェリー・チェンとアンディ・ラウが追っ手を避けて逃げ込むのが山谷の町である。そこで恐らく何十年も「商売」をしてきたであろう娼婦が見せる一瞬の華やかさ。岸田さんの個性のおかげで忘れ難いシーンとなった。
(ちなみにこの映画では、あの石田純一も別人かと思うほど格好よかった。取り壊される前の浅草常磐座(だと思う)での逃走シーンは特に秀逸。「えっ石田純一ってこんなにアクションできる人だったの」と思わされたのだが、外国の監督が自由な発想で撮ると、街も俳優も全然違う印象になるものだ、と感心したのを覚えている)

またひとり、惜しい人が天に召された。もっともっと彼女の演技を見たかったのに…。本当に、本当に残念である。
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by slycat | 2006-12-21 15:14 | 映画

女の出る幕はない

王の男
2005年韓国

韓国の歴史にもっと詳しければ、もっと理解が深まっただろう。それが残念だが、歴史を知らないものにとっても、見応えのある映画。

16世紀初めの韓国。旅芸人のチャンセンとコンギルは深い友情で結ばれている。チャンセンは何をやるにも自信たっぷり、コンギルは美しい外見のとおり、気が優しくて儚気だ。対照的な2人だったが、一緒に作り上げる芸には誇りをもっていた。
 2人は漢陽の都に出て行き、そこで知り合った芸人たちと時の暴君ヨンサングンを風刺した芝居で人気を博す。が、それも束の間、役人にひっ捕らえられ、あわや死罪という羽目に。
「この芝居を見て王が笑えば、王を侮辱したことにはならない」というチャンセンの言葉を聞きつけた王の腹心、チョソンは一座を宮殿に連れて行く。果たして彼らは王を笑わせることができるのか…。最初のクライマックスは、王の面前で行われる決死の芝居である。しかしこれを乗り越えてなお、彼らにはますます厳しい運命が待ち構えている。

コンギルの妖しさ・美しさは前評判をはるかに超えるもので、女としては立つ瀬がないが、美しさが幸せに結びつかないところが切ない。彼の苦しみをひとり理解し、何とか守ってやろうとするチャンセンの心意気に、胸打たれずにはいられない。その一方で、悪役であるはずの暴君ヨンサングンの孤独と疎外感に、いつの間にか引き込まれている。主人公を誰、と決めつけず、三者三様の思いと苦悩を描き分けていく監督の手腕に唸らされる。
 脇役たちもクセ者揃いだ。ちょっとした出会いを機にチャンセン、コンギルと一緒に宮中にまで上がることになる芸人たちの素朴な暖かさ、先々代からずっと王に仕えてきたチョソンのしたたかさ、ドラマを盛り上げる布陣にも手抜かりはない。

この映画に女性はほとんど出て来ないのだが、そもそも女が割り込む余地はどこにもない。男だけの世界、男だけのドラマなのだった。
 女に生まれたことをちょっぴり後悔するほど、男どもがみんな美しい映画。何だか口惜しい。
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by slycat | 2006-12-11 00:30 | 映画