ミステリ・テニス・ハムスター・モルモットについてあれこれと……
by slycat
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
カテゴリ
全体
ハムスター
テニス
ミステリ
日常のこと
音楽
その他スポーツ
大相撲
映画
小説
ドラマ
高校受験
文楽
旅行
ウサギ
モルモット
未分類
以前の記事
2016年 08月
2016年 03月
2016年 02月
2012年 09月
2011年 07月
2011年 03月
2010年 10月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 02月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 07月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
最新のトラックバック
東レPPO 2007
from More to life
華麗なる敗者
from la mer | アンディ・..
ハムスターの飼育の基本
from ペットの飼育 ペットとの生活
矛盾だらけの大相撲
from ゆっくりゆっくり 音楽でも聴..
矛盾だらけの大相撲
from ゆっくりゆっくり 音楽でも聴..
「ナチョ・リブレ 覆面の..
from じゃがバタ~ 映画メモ
ハムちゃん夏ばてしてませ..
from ペットは犬?いやいや私はカメ..
MOTHER3プレイ開始!
from More to life
「ひよこはなぜ道を渡る」..
from 読書とジャンプ
私はこのダイエットで成功した
from 私はこのダイエットで成功した
お気に入りブログ
More to life
はむぅの宴
la mer | アンデ...
よる記。
メモ帳
ライフログ
検索
タグ
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2006年 12月 ( 10 )   > この月の画像一覧

身近になった007?

007カジノ・ロワイヤル
2006年イギリス、チェコ、ドイツ、アメリカ

ピアース・ブロスナンでまだまだ行ける、と思っていたので、今回の新ボンド抜擢には少々驚いたが、007映画はまずハズレがないし、周囲の評判もよかったので週末は迷わずこの映画に決めた。

従来の007映画と最も異なっていたのは、やはり主役の個性、キャラクターである。実際の出自はどうあれ、ショーン・コネリーもロジャー・ムーアも、ブロスナンもお洒落でスマートで品があり、高級車やブランド物がよく似合っていた(残念ながらティモシー・ダルトンが主演した2作は観ていない)。しかし今回、よくも悪くもダニエル・クレイグは洗練されていない。初めて「労働者階級」のボンドが出てきたな、というのが最初の印象だ。
 その代わり、諜報員として上を目指す主人公のギラギラした野心、自分に対する絶対の自信がストレートに出ていて面白い。いかにも鍛えました、という肉体も、ボンドは変わった、と告げている。

タイトル前の非情なエピソードにもびっくりだが、映画が始まって間もなくの追跡劇は開いた口が開きっぱなしになる強烈さ。ダニエル・クレイグも凄いが、追われているほうの逃げっぷりが凄かった。その後もテロを未然に防ぐため、ボンドは走る、走る。「ダブル・オー」となるためには、頭脳だけじゃ駄目なんだねーと納得。ハイテクよりも何よりも、まずはボンドの肉体が観客を圧倒する。
 タイトルとなっているカジノ・ロワイヤルに移ると、肉弾戦から密室の頭脳戦へ。しかしそれでも画面が静止してしまうことはなく、もちろん退屈する暇はない。この辺りは、さすが伝統ある007映画である。

濃厚なアクションを堪能する一方で、本作の要となる恋愛のほうも見逃せない。クールでダイ・ハードなボンドが少年のように一途に恋をする様は(見ていて少し気恥ずかしくなってしまうが)、可愛らしいとすら言える。相手役のエヴァ・グリーンはヨーロッパ系の美しい人で、生涯の恋にふさわしい。

ボンド映画の第1作は私が生まれた年に作られた。007を映画館で見始めた頃のボンドがロジャー・ムーアだったので、彼が演じていた洒脱なボンド、派手なロマンスが恋しくないと言えば嘘になるが、40年以上も守ってきたシリーズを、ここまで斬新に生まれ変わらせることができるなんて。正直言って驚いた。タイトル前のお約束とラストの締め方も秀逸で、言うことなし。面白い!
[PR]
by slycat | 2006-12-25 21:59 | 映画

岸田今日子さんを悼む

女優の岸田今日子さんが17日に亡くなった。子供の頃アニメ『ムーミン』に親しんだ世代としては、残念なニュースである。声も個性的だが、非常に美しい人で、ああいう大人になりたいと常々思っていた。

そのうちどこかの局で『砂の女』を放映してくれるのではないか、と期待している。原作は読んだのだが映像にすると重そうでつらそうで、敬遠していた。学生の頃は名画座で何度も上映されていたのに…。もったいないことをしたものだ。

数々の映画に出演なさっているが、私の印象に残る1本は、日本映画ではなく香港映画。『極道追踪』(1991年)である。社会派監督アン・ホイの作品で、日本が舞台。アンディ・ラウ、チェリー・チェン主演の切ないストーリ−だった。岸田さんはこの映画の中で、山谷の娼婦を演じている。
 命を狙われているチェリー・チェンとアンディ・ラウが追っ手を避けて逃げ込むのが山谷の町である。そこで恐らく何十年も「商売」をしてきたであろう娼婦が見せる一瞬の華やかさ。岸田さんの個性のおかげで忘れ難いシーンとなった。
(ちなみにこの映画では、あの石田純一も別人かと思うほど格好よかった。取り壊される前の浅草常磐座(だと思う)での逃走シーンは特に秀逸。「えっ石田純一ってこんなにアクションできる人だったの」と思わされたのだが、外国の監督が自由な発想で撮ると、街も俳優も全然違う印象になるものだ、と感心したのを覚えている)

またひとり、惜しい人が天に召された。もっともっと彼女の演技を見たかったのに…。本当に、本当に残念である。
[PR]
by slycat | 2006-12-21 15:14 | 映画

マイケミ、にハマる

MTVでもラジオ、雑誌でも、音楽シーンを追いかけるのはそれほど難しいことではないのだが、年とともにだんだん億劫になり、昔の曲ばかり聴く。これぞ年取った証拠!なのだ。しかしたまには偶然の出逢いもある。長生きはするものです。

ドラマ『LOST』を観るためにAXNに毎週チャンネルを合わせていると、番組と番組の間にPVが流れるときがあり、そこでMy Chemical Romanceの「Welcome to the Black Parade」を見た。これが気に入って、アルバムを買ったら、安い(¥1,980)のにお買い得。最近では通勤のよき友となっている。
 最初はイギリスのバンドかと思ったのだが、アメリカ・ニュージャージー出身なのだそうだ。ちょっと暗めの旋律が、80年代、90年代のロック・ファンのハートをくすぐる。

Welcome…は全英チャートNo. 1、なのだそうだが、なるほど、売れる要素は満載だ。とつとつとしたピアノをバックに朗々と歌い上げる静かなイントロ、そこへ徐々にギター、マーチ風のドラムが加わり、転調してからは一転アップテンポとなって華やかなギター、ドラムが荘厳に盛り上げる。
 オールド・ファンにとってはクイーンを彷彿とさせるところがあり、デフ・レパードのようでもあり、ボン・ジョビみたいでもある。そしてそれらかつての名バンドをすべて思い出しても、何か違う新しさがあって、そこに引き込まれていく。「Mama」なんぞは、「アラバマ・ソング」かと思いましたが。初めて聴くのに懐かしい感じがするところがツボか。

しかし…「マイケミ」って言うんだぁ。昔は、たとえばチープ・トリックをチートリって呼んだりすることは絶対になかったんだけど。まぁ、いいか。
f0061021_126367.jpg
[PR]
by slycat | 2006-12-20 01:30 | 音楽

待ってました!の楽しみ

昨日は映画『犬神家の人々』を観に行き、今日は文楽12月公演の千秋楽『義経千本桜』を観て来た。珍しく忙しい週末だった。

30年前に1作目の『犬神家の人々』が公開されたときは、中学生だったし、当時はおどろおどろしいものが嫌いだったので観に行かなかった。今回わざわざ観に行ったのは、息子のリクエストがあったからだが、いろいろと興味もあったからである。

最大の興味、というか疑問は、「どうしてまた同じ映画を撮ったの?」である。映画化されていない金田一耕助シリーズはまだ残っているし、何も「犬神家」である必要はないと思うのだが…。
 それに、石坂浩二、加藤 武、大滝秀治はオリジナル・キャストである。ほかが総入れ替えなのに、同じ役を演じるのはやりにくいのではないだろうか。

先日、深夜に『悪魔の手毬唄』が放映されていたので、ついつい観てみたら、これが結構面白かった。今は亡き若山富三郎が何ともいえずいい味を出していて特に印象に残ったが、『細雪』などの文芸大作を得意とする監督、と思っていた市川 崑ってこういう映画も撮る人だったのか、と今さらながら自分の無知を恥じた。
 今観てもびっくりするくらいだから、公開当時観た観客は度肝を抜かれたことだろう。カットバックというのかフラッシュバックというのか、現在と過去が行ったり来たり、それがとても鮮烈に映った。今度の映画はどんな風になっているのだろう。

結論から先に言えば…やっぱり「結構面白い」。30年前と比べるとだいぶ格落ちの感じがするキャスティングもあるが、美術が重厚で、最近の日本映画では珍しい出来だと思う。
 そして何より、加藤 武の「よし! わかった!」。まともに全部通して観たのはテレビの『悪魔の手毬唄』だけなのに、30年前から映画館の予告編で何度もこの「よし! わかった!」を見せられてきたので、すっかりお馴染みになっており、これを見るだけで何となく嬉しくなる。
 ほかにも金田一耕助の「フケ」、ガタガタ道を現場まで車で走って行く場面、見てもいないのに見た気になっていた数々のシーンが、また新しく命を吹き込まれて目の前に現れる。これが意外にも快感なのだった。

    ❖❖❖❖❖❖❖

『義経千本桜』
初段 堀川御所の段
二段目 伏見稲荷の段、渡海屋・大物浦の段

秋に『仮名手本忠臣蔵』を観てすっかりやみつきになったため、友人に頼んで今回の公演も連れて行ってもらった。今回のお話は前回よりわかりやすく、素人にも十分楽しめる見せ場がたっぷりあった。
 武蔵坊弁慶のキャラクターは現代人にも親しみやすく、深刻になりがちな場面を救ってくれる。伏見稲荷の段にみられる狐の描き方はユニークで笑いを誘う。最後の渡海屋・大物浦の段は話の筋が凝っている上に、派手で豪華な見せ方。CGに馴れてしまった目が見ても迫力がある。

「堀川御所の段」は、夫・義経を救うために自害する卿の君が哀れで、しかも自害の場に実の父親がいるのになぜむざむざと…と今の人間にはよくわからないところもあるのだが、すべては義経と兄 頼朝との和睦を図るため。それなのに、あんまり頭がよくないらしい弁慶のせいで何もかもおじゃんになる……。こういう運命のいたずらを、昔の人たちは涙ながらに納得したんだろうなぁ、と遠い江戸に思いを馳せる。

「伏見稲荷の段」は、都落ちする義経を追って来た静御前が、旅路の邪魔と木に縛り付けて置き去りにされ、義経を討たんと後からやって来た逸見藤太に見つかる。そこに突然現れる1匹の白い狐。しっぽでペチッと藤太の頭を叩いたりするところが面白い。
 この狐が実は義経の家臣、佐藤忠信…ではなくて、佐藤忠信に化けた狐が藤太をやっつける。狐のおかげで静御前は危機を脱し、戻ってきた義経は狐とは知らず忠臣・忠信に「源久郎義経」の名前と鎧を褒美として与える、というお話。
 何で狐が静御前を助けるのか、そのあたりの事情はさっぱりわからないが、見ていて理屈抜きに面白い。恐らく健気な美人はけものの心をも動かす、ということなのだろう。実は狐なので、忠信のはずなのに挙動がどうもおかしい。猫のように静御前に「すりすり」してみたり…。思い切り笑える。文楽は、肩が凝るような堅苦しいものでは全然ないのだった。

「渡海屋・大物浦の段」は、源平合戦の際に無念の死を遂げたはずの平 知盛が実は生きていた、というお話。九州に逃げるため舟宿に逗留している義経一行、しかし生憎の雨のためなかなか舟が出ない。宿は主の銀平と女将が切り盛りし、一人娘のお安を目の中に入れても痛くないほど可愛がっている…というのは世を忍ぶ仮の姿で、実は銀平は知盛、娘は安徳帝で、女将は帝の乳母、典侍局だった。
 知盛は舟を出すと偽って義経を討とうとするが、計略はすでにバレており、平家軍は無惨に敗れる。かくなるうえは…と帝とともに死のうとした典侍局を止めるのが義経。帝を義経に託して典侍局は喉を突き、知盛は大海に舟を漕ぎ出して岩の上から錨を背負って入水自殺する。
 岩の上で、知盛が両手に錨を掲げるところがクライマックス。友人にオペラグラスを借りて見せてもらったのだが、頭から海に落ちて行く知盛の死に様は、とても人形とは思えない壮絶なものだった。

私のごとき素人には何を見るのも初めて尽くしで、何を見てもほぉと驚くことばかりなのだが、千秋楽ということもあり、周りのお客さんたちは勝手知ったる人たちばかりのようだった。
 12月は若手による公演なのだが、それでも満員御礼、佐藤忠信(実は狐)が登場する場面や銀平(実は平 知盛)が登場する場面など、見せ場になると万雷の拍手が湧く。日本には、こういう「待ってました!」の芸が多いよね、と思う。

もちろん、客が「待って」いるのだから、演じるほうも絶対にヘマはできない。こういう緊張関係が伝統を守り、芸を育ててきたのだなぁ、と思う。
 かたちこそ違うが、市川監督が同じ映画を2度撮ったのも、待っている観客に対する挑戦だったのかもしれない。監督は現在91歳。全く頭が下がる。
[PR]
by slycat | 2006-12-18 01:00 | 文楽

今日の飯,何?

息子は10月で15歳になった。小さいときはどこへ行くにもついてきて,姿が見えなくなると地団太踏んで泣いていたくせに,思春期を迎えると親をうるさがるようになった。2年くらい前までは膝に乗ってきていたのだが,当然そんなこともなくなった(可愛いけれど重いので,こちらのほうはあまり寂しくない)。

親はウザいが腹は減る。しかも成長期なのでしょっちゅう減る。だから夕食の中身は大事である。嫌いなものだったり量が少なかったりするとがっかりだ。近頃は肉の焼き方にも文句をつけるようになり,私だと焼き過ぎるので自分で焼く,などと言っている。

プロの主婦たる専業主婦の方々なら,安くて新鮮な食材を確実に入手する方法をご存知だろうし,月々のやりくりを含めて賢く献立を考えるに違いない。
 しかし私の場合,元来マメな性格ではない上に,家事は仕事のように報酬も貰えないし査定もされないためどうも真剣になれず(食い意地だけは張っている),献立作りはいつもいい加減になる。
 行き当たりばったりで材料を買い,料理をしながら疲れてしまったら途中で1品減らしてしまうこともザラである。そしてたびたび材料を冷蔵庫の中で腐らせる。

だが息子お抱えの料理人は親だけである。そこで生き延びるために,事あるごとに親の注意を喚起することにしたらしい。携帯にメールを送ってきたので何かなと思えば,「今日の飯,何?」。

早く「会わせたい人がいる」とか送ってこい。
[PR]
by slycat | 2006-12-15 12:27 | 日常のこと

電車が止まって

19時頃会社を出て、早めに帰ることができたと喜んでいたのだが。JRを出てちょっと買い物し、私鉄に乗ろうとしたら、何だか様子がおかしい。とっくに発車時刻は過ぎているのに、電車が動かない。変だなーと思っていると、人身事故でしばらく動けません、というアナウンス。

いつも思うのだが、乗客が改札に入る手前でちゃんと情報を流して欲しいね。それならUターンできたのに。振り替え輸送用の切符を係で貰うための行列が、凄いことになっている。改札付近には困惑顔の人があふれ、そこへまた事故を知らずに来た人たちが続々と詰めかけるので、駅はさながら戦場だ。みんな殺気立っている。

面倒だからさっさと改札を抜けて自腹を切ってもよかったのだが、何だか悔しいので30分並んで駅員から振り替え切符を貰い、JRから私鉄、さらにバスを使って自宅に帰った。結局家に着いたのは21時。とんだ時間の無駄である。

風邪が治り切らず体調が悪いので、余計にかっかと頭に来るが、バスに乗り込んでふと考えれば、原因は人身事故だったのだから誰かが亡くなったか、大怪我をしているはずだ。たかだか1時間程度のロスで腹を立てるのはちょっと恥ずかしいことだった。

もっと心に余裕をもたないと。無事、家に帰り着いたのだから幸せなんだ。反省、反省。
[PR]
by slycat | 2006-12-13 01:43 | 日常のこと

女の出る幕はない

王の男
2005年韓国

韓国の歴史にもっと詳しければ、もっと理解が深まっただろう。それが残念だが、歴史を知らないものにとっても、見応えのある映画。

16世紀初めの韓国。旅芸人のチャンセンとコンギルは深い友情で結ばれている。チャンセンは何をやるにも自信たっぷり、コンギルは美しい外見のとおり、気が優しくて儚気だ。対照的な2人だったが、一緒に作り上げる芸には誇りをもっていた。
 2人は漢陽の都に出て行き、そこで知り合った芸人たちと時の暴君ヨンサングンを風刺した芝居で人気を博す。が、それも束の間、役人にひっ捕らえられ、あわや死罪という羽目に。
「この芝居を見て王が笑えば、王を侮辱したことにはならない」というチャンセンの言葉を聞きつけた王の腹心、チョソンは一座を宮殿に連れて行く。果たして彼らは王を笑わせることができるのか…。最初のクライマックスは、王の面前で行われる決死の芝居である。しかしこれを乗り越えてなお、彼らにはますます厳しい運命が待ち構えている。

コンギルの妖しさ・美しさは前評判をはるかに超えるもので、女としては立つ瀬がないが、美しさが幸せに結びつかないところが切ない。彼の苦しみをひとり理解し、何とか守ってやろうとするチャンセンの心意気に、胸打たれずにはいられない。その一方で、悪役であるはずの暴君ヨンサングンの孤独と疎外感に、いつの間にか引き込まれている。主人公を誰、と決めつけず、三者三様の思いと苦悩を描き分けていく監督の手腕に唸らされる。
 脇役たちもクセ者揃いだ。ちょっとした出会いを機にチャンセン、コンギルと一緒に宮中にまで上がることになる芸人たちの素朴な暖かさ、先々代からずっと王に仕えてきたチョソンのしたたかさ、ドラマを盛り上げる布陣にも手抜かりはない。

この映画に女性はほとんど出て来ないのだが、そもそも女が割り込む余地はどこにもない。男だけの世界、男だけのドラマなのだった。
 女に生まれたことをちょっぴり後悔するほど、男どもがみんな美しい映画。何だか口惜しい。
[PR]
by slycat | 2006-12-11 00:30 | 映画

ボーナス支給日、だったので

食べ盛りの息子にたまには贅沢をさせてやれ、と地元の小さなイタリアン・レストランに予約を入れた。ここはちょっと場所が悪いのだが店はきれいだし味もよい。都心の気取った店よりずっといいと思う。以前は別の店(やっぱりイタリアン)が入っていてそこもおいしい料理を出してくれたが、今度の店はさらに洗練された感じになっている。

プリフィクスで、それぞれ数種類用意された前菜、パスタ、メイン、デザートを自分で組み合わせる。いろいろと悩みながら楽しく選んだのだが、息子が選んだメインは「鳩のロースト」だった。

エジプトやフランス、中国では当たり前に鳩を食べるというが、私は食べたことがない。もちろん息子だって初めてだ。なぜかこいつは、食べることにだけは勇気がある。以前も中華料理店で「ナマコ」を頼んだことがあった。

鶏に比べて、出て来たものが小さくこぢんまりしているのが何だか哀れをそそるが、息子は平気だ。「うめぇ〜幸せ〜」と言いながらむしゃむしゃ食べた。私も恐る恐る一口もらって食べてみた。鶏肉にそっくりだが臭みはなく、甘みがあるようだ。

こんな贅沢はしょっちゅうさせてやれるものではないが、いつか彼が大人になり、年をとって自分にも子供ができたとき、ふと思い出してくれればな、と思う。いつもガミガミ「勉強、勉強」ばかり言っていた母だけど、たまには外でおいしいものを食べさせてくれたっけ…なんて。その日のための出費だと思えば、なんだか心も軽くなったりして。

伝えなければならないことはほかにいくらでもあるのだが…衣食足りて礼節を知る、とも言うし…。とりあえず、親子で楽しく過ごせただけでもよかった、か。
[PR]
by slycat | 2006-12-09 01:18 | 日常のこと

迷い猫

以前,お寿司屋さんの店先にいる猫のことを少し書いたが(2006/10/12),先週通りかかったら,「ネコがいなくなりました。心当たりの方は……」というような内容の張り紙があって驚いた。いつもその猫がふてぶてしく座っている風景が当たり前になっていたので,姿が見えないと寂しい。

このところ随分寒くなってきた。猫は寒いのが嫌いなのに,どこへ行ったのだろう。太ってたし,だいぶ年もとっていそうだったから,あるいは……。

夕べ息子と外食をした帰り,もう一度確認しようと自転車を停めると,張り紙は「チーコが見つかりました」に変わっていた。「見つかったんだ! よかった!」と喜んだ,が。

「へえぇ~あの猫,チーコって名前だったんだ。何かおかしくねぇ? 鳥みたいじゃん」と息子。私は私で,何となくあの猫,男の子だと思っていたので,女の子なんだ~と軽いショックを受けた。

まぁそんなことはどうでもいい。無事だったのなら何よりである。
 きっと近所中の人が心配して,お店の人に声をかけたり,一緒に探したりしてくれたのだろう。黙って座っている猫だけれど,みんなに愛されているんだね。

f0061021_12342766.jpg
[PR]
by slycat | 2006-12-05 12:36 | 日常のこと

映画の日、だったので

風邪をこじらせてしまい会社を休んだ。午前中は病院で薬をもらい、帰宅したらずっと寝ているつもりだったのだが、ふと「あ、今日は映画の日?」と思い出し、突然根性を出して映画館へ。おかげで今、身体の節々が痛い…馬鹿な私。土日こそはおとなしく寝ていよう。

せっかく観たので感想文を少し。

『プラダを着た悪魔』 The Devil Wears Prada 2006年・米
ふだんはこういう「お洒落」な映画は観ないのだが、風邪っぴきという体調でもあり軽くて楽しい作品がいいな、と思った。もうひとつ、メリル・ストリープの役がどのように描かれているのか興味があった。例えば昔『ワーキングガール』という映画があったが、シガーニー・ウィーバーの扱いはひどかった。あれと同じなら全然面白くない。

ジャーナリスト志望のアンドレア(アン・ハサウェイ)が、就職活動でたまたま引っかかったのが一流ファッション雑誌『Runway』編集長のアシスタント職。アンドレアはファッションに全く興味がないが、ここの編集部で1年頑張ればどんな職場でも通用する、というので頑張ることにする。だが編集長は気難しく扱いづらく、アシスタントの仕事は決して容易ではなかった…というのが前半部分。メリル・ストリープ演じるミランダに認めてもらうため、無理難題を必死で解決しようとするヒロインは健気で愛らしい。

仕事が忙しいため、ボーイフレンドとの間に隙間風が吹くエピソードがあるが、見ていて思わず「こんな男とは別れなさい!」と言いたくなった。社会に出たばかりでこれから仕事を覚えなければならないときなのに、何なんだこいつは協力もせず。

この手の映画は大体観なくても結末はわかってしまうもので、この作品もご多分に漏れず言いたいことは同じなのだが、描かれる過程は面白かった。何よりやっぱりメリル・ストリープがいい。性格に多少難ありでもいいじゃん、仕事ができるんだから。本当に舌を巻くほどの仕事ぶりで、惚れ惚れする。
 生き方は人それぞれなので、もちろんヒロインの生き方も絶対ではない。ミランダをただの悪役として描かなかったところに、大いに共感がもてた。

……FOXのドラマ『ニック・フォーリン』で主演を演じたサイモン・ベイカーが出ていて嬉しかった。あの笑顔と目尻の皺がいいなぁ…。

『トゥモロー・ワールド』 Children of Men 2006・英
今日の本命はこっち。映画館で予告編を見たときから、観たいと思っていた。その後原作者がP・D・ジェイムズだと知りびっくり。いつSFなんて書いてたんだろ? 早速原作を読んだ。
 イギリスには優れた女性の推理小説家がきら星のごとくおり、P・D・ジェイムズはクリスティと並ぶ巨匠であるが、私はちょっと彼女を苦手としている。非常に緻密な描写で文章が硬く、読みづらいからかもしれない。彼女の代表作『女には向かない職業』は、女性の探偵を語るとき必ず先駆けとして挙げられる「聖典」だが、私は乗り切れなかった。
 それでもなおかつ原作にチャレンジしたのは、「子供が生まれない未来」というテーマを素通りできなかったからである。今後ますます進むであろう少子高齢化に、人として、母親として、正面から向き合わなければならないと感じている。……で。今回は読んでみて面白いと思った。さすがにミステリの女王、目のつけどころが違う。

かつて「読んでから見るか、見てから読むか」という出版社のキャンペーンがあったが、オリジナル脚本による映画というのは意外に少ないので、映画を観ようかな、と思うと常にこのコピーがつきまとう。今回は、監督が原作を読んでいない、とあとがきに書かれていたため、映画は原作とは別物だ、という安心感があった。……で。やっぱり別物だった、いい意味でも悪い意味でも。

結論から言えば、この映画はかなりカットされたのか、あるいは脚本が未消化なまま映画化されたかのな、という感想。監督の思い入れが強過ぎたのかもしれない、わかりづらいところが多々あった。大胆な改変を行ったわりには余分な設定が残されていて、アンバランスだ。どうせなら、もう少し「説明」の部分を残して、3時間くらいの作品にしてもよかった。

原作では1995年を最後に子供が誕生しないことになっており、1995年生まれの子供たちは「オメガ」と呼ばれている。映画では出てこない。オメガたちは美しいが冷酷で、今の日本でもしばしば起こるオヤジ狩り、ホームレス狩りなどを平然と行う。
 少年犯罪が起こるたびにマスコミが騒ぎ立て、法律が少年に甘い、もっと厳しくすべきだ、と子供たちを非難する声が高まるが、少子化どころか自分たちが最後の世代となり、社会が老人ばかりとなって何をしてもいちいち注目されるようになったら、どうしたって嫌気がさす。そのやるせない気持ちの捌け口が、暴力へ犯罪へと向かうのも必然。私はオメガを創造したP・D・ジェイムズの慧眼にいたく感心したので、映画で取り上げられなかったのは残念だ。

映画では、外国人を排除する政府の独裁体制を強調することによって末期の世界を描く。原作でも「国守」が独裁政治を行っているが(主人公は国守のいとこにあたる)、人々が陥っている絶望感は必ずしも政治のせいではない。
 このあたりはむしろ原作よりわかりやすいし、反政府主義者たちと政府側との闘いはリアルで迫力あるものとなった。だが半面、安易な感じも否めない。地球に未来がない、何をしても無駄なのだ、という静かな虚無感は伝わってこない。

しかし、この世に希望があるのは、今この瞬間にも世界のどこかで新しい生命が誕生しているからこそ、という事実、これを訴えているだけでもこの作品には価値がある。
 たとえ自分の夢は叶わなくても、自分の子供たちの夢は叶うかもしれない。やりかけた仕事を最後まで見届けることができなくても、子供たちが完成させてくれるかもしれない。今はこんな時代だけど、子供たちの時代にはもっといい世の中になっているかもしれない。そういう朧げな希望あってこそ、人は明日を迎えることができるのだ。

子供は未来である。まさにそれを表している場面があって、そこには図らずも感動した。どちらかを選べと言われれば原作を取るけれど、映画も捨てたものではない。映像にしかできないこともある。そこだけでこの映画を評価したい。
[PR]
by slycat | 2006-12-02 02:25 | 映画