ミステリ・テニス・ハムスター・モルモットについてあれこれと……
by slycat
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長いお別れ

2011年6月30日午前1時半頃。モルモットのプーが息を引き取った。ちょうど4歳になったばかりだったが、残念ながらプーの命は尽きてしまった。長患いすらしないで、あっという間に私達の手を飛び立った。

息子が親に黙ってこっそり買ってきたプー。最初に見たときはゴールデンハムスターかと思ったが、よくよく見るとハムスターとは何か雰囲気が違っていた。のんびりした子で動きは鈍かったが、若いときには結構走り回っていたものだ。最近は走るどころか身体の向きを変えるのにも時間がかかっていた。いつの間にか歳をとっていたのだが、元々おとなしいのであまり気にも留めていなかった。

プーは身体が弱かった。後ろ脚には力が入らないし、頸は斜頸のようだったし、おまけにダニ疑惑で注射を打たれたりと動物病院通いが長かった。季節の変わり目になると体調を崩し、食欲がなくなったり、小屋の床に敷いてあるペットシーツを食べてしまったりして飼い主を泣かせた。何度強制給餌をしたことか。しかし、身体が弱かったためか大変穏やかな性格で、獣医さんに診ていただいても一度も暴れたことがなく、おとなしかった。お尻を撫でてやると喜んで鳴いた。鳴き声もちょっぴり風変わりだった。

29日の朝、出勤前に餌をやったときにはケージを控えめに齧っておねだりしていたのに……。夜10時過ぎに覗いたとき、身体をまっすぐに伸ばして寝ていて、何だか変だと思った。息子が与えた野菜も食べていなかった。そのとき、変だという漠然とした感じを、もっと発展させて考えていれば、何か手当をしていれば、ひょっとしてプーはあともう少し生きていたのだろうか、そう思うと後悔してもし切れない。

毎日午前1時頃、プーはもう呼吸がうまくできなくなっていた。同じような症状は以前ハムスターで何度も見たことがあるので、あぁもう駄目なんだということがわかった。水を飲ませようともしてみたが、すでに飲み込む力は残っていなかった。部屋には冷房を入れているので寒いかと思い、タオルでくるんでやったが、抱っこしたプーはその直後に逝ってしまった。目を開けたまま、口も少し開けたままで、まるで縫いぐるみのように愛らしく、とても生きていないとは思えない顔だった。

プーを飼い始めて1年半ほど経った頃、お嫁さんを迎えようとペットショップに行ったのだが、女の子がおらず、売れ残っていた男の子を買って帰ったため、ついにプーの子孫を見ることはなくなった。プーがいなくなった今、後から来たその子が1匹取り残されている。プーがいたときには、餌の時間に声を張り上げていたものだが、いなくなってからはあまり鳴かなくなり、何となく元気がない。仲間がいなくなったことに気付いているのだろう。

人間のほうも寂しい。プーが逝った日は会社を休んだ。家中がショックを受けていた。小さなモルモットだけど私達の心の中では大きな位置を占めていたのである。プーが開けていった穴は、しばらく埋まりそうにない。

6月28日に撮った写真。これが最後の写真になった。
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ひとりぼっちになった。名前はモー
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by slycat | 2011-07-02 18:17 | モルモット

親孝行、何をすれば

父が勲章を貰った。70歳過ぎれば誰でも貰えるんだと両親は言っていたが、そんなものなのだろうか。叙勲のため前日赤坂のホテルに泊まることにしたから、夕食でも一緒に食べないかと母に誘われ、のこのこ出かけたのが13日のこと。

両親は千葉に住んでいるので、会おうと思えばいつでも会えるのだが、母とは5年以上、父とは8年近く顔を合わせていない。会社の友人(13歳年下)にそう話すと、「へえぇ、格好いい」と言われたが、格好いいんだか悪いんだか。
 普通の人はお盆やお正月に実家に帰るのだろうが、何しろ、実家と言っても一度も暮らしたことがない家で自分の部屋があるわけでなし、幼馴染みがいるわけでもなし、土地勘もない。しかも最寄駅には車で迎えに来てもらわなければならない。息子だけは夏休みに遊びに行かせていたが、それも高校に入学してからは何となく足が遠のいていた。

しかし「今のうちに思い出作りをしようかなと思って」と言われれば、出かけないわけにもいかない。夕方6時に会席料理の店を予約したということだった。予定では少し早めに会っていろいろ積もる話をするはずだったが、両親はホテルに着いたらいろいろと用事に追われ、結局6時半頃両親と顔を合わせた。

何年ぶりかで顔を見た両親は老いていた。第三者的に見れば2人とも結構若々しいのだが、以前と比べれば明らかに感じが変わっていた。不肖の娘はどうしてよいのかわからない。昨年入社した会社がちゃんとしたところだと安心させてやりたかったが、渡そうと思っていた名刺を忘れてきてしまったので、たまたま鞄に入れてあった社員証を見せたりする(ほかに証拠がなかった……)。

父は少々耳が遠いので、何かというと母が通訳を買ってでるが、それがかえって父の機嫌を損ねているのではないかとハラハラする。息子はといえば話しかけられても「はぁ、そうです……」などといつになく口数が少なく、全く頼りにならない。
 おまけに料理が途切れてなかなか運ばれてこなくなったものだから、父が店の人に何度も文句を言う。先日観た映画『グラン・トリノ』のイーストウッドが思い出される。そういえば子供の頃、せっかくの家族旅行なのに父に叱られて気まずい思いをしたことが何度もあったっけ(だが、私自身、飲食店のサービスがよくないと苛々してしまい、息子に「恥ずかしい」と言われる)。

食事が済んで店を出ると、父が「大したことなかったな」などと話しかけるが、「そうだね」と言うわけにもいかないではないか。「そんなことないよ、私たちじゃなかなか行けない高級なお店だもの」などと答えてみる。
 両親が泊まる部屋を見せてもらい、せっかくだからと写真を撮ったりしているうちに9時近くになってしまう。あまり遅くまでお邪魔しても、と帰ることにすると、母がエレベータの前まで送ってくれた。もっと話をしたかったのだと思う。

しかし何をすれば親が喜ぶのか、40過ぎてもさっぱりわからない。電話するとか手紙を書くとか、それだけではやっぱり足りないだろうか……。こんな顔でも見せれば喜んでくれる、というのであれば、もっと頻繁に見せなければいけないな。今更ながら親孝行とは何なのかに悩み、いつか来るであろう別れが現実的になってきたことに怯えている。
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by slycat | 2009-05-15 01:46 | 日常のこと

変わらない味

用事で竹橋に行った帰り、そのまま地下鉄に乗ればさっさと帰れたのだが、敢えて神保町まで歩くことにした。目当ては共栄堂のスマトラカレー。大昔は職場が近かったのでしょっちゅう通ったものだが、最近はなかなか行かれないので、店の傍まで来たときはチャンスを逃さないことにしている(ちなみに、本郷に行ったときは「万定」か「ルオー」と決めている)。

初めてこの店を訪れたのは学生のときだから、もう四半世紀も通っていることになる。店は靖国通り沿いのビルの地下にあり、当時は隣に「ABC」という喫茶店が入っていた。バロネス・オルツィ作『隅の老人』が好きだったので、「わーいABCショップだ!」と喜んだ。共栄堂は、言ってみればついでに覗いてみたのだった。

しかし、食べてみたらすぐにここのカレーにハマった。カレー粉をかなり炒ってあるらしくソースの色は深い焦げ茶色である。ほどよい辛さでご飯はたっぷり、一皿でお腹いっぱいになる(しかしそれでも、女性が来店すると厨房に「ご婦人!」と合図するので、ご飯の量は加減してあるはずだ)。当時はポークカレーで600円だっただろうか(ほかにチキン、ビーフ、海老などがある)。
 そして何より気に入ったのは、一緒に供される野菜スープ。とうもろこしの香りがする、ポタージュ・タイプのとろりとしたもので、牛乳やバターなどは使われていないようだ。これが美味しい。ずっと真似したいと思っているが、自分では作れないでいる。

「ABC」はいつの間にかなくなり、その後居酒屋などお隣さんはコロコロ変わった(今では「キッチンジロー」になっている)。変わらないのは共栄堂だけである。階段を降りると扉には「スマトラカレー共栄堂」の文字。何となく古めかしい。店内も、驚くほど変わっていない。25年の間に変わったことといえば、一度メニューに「ハヤシライス」が追加されたくらいである。相変わらず、10月から冬の間だけ「焼きリンゴ」が食べられる。

ひとつだけ変わったのは、学生時代から社会人になってから10年くらい、ずっとお給仕をしてくれたおじいさんがいなくなったこと。
 いつもシャツの上に「ベスト」を身につけていた。とても腰が低く、食事中、グラスの水が半分くらいになったかな、と思うとさりげなく水を足してくれ、会計の際には深々と頭を下げ「有難うございました」と心から声をかけてくれた。
 職場が近かった頃、週に一度ならず二度も三度も通っていたのは、この人にサービスしてもらいたかったからだった。

美味しい料理を出す店はいくらでもある。しかし、行き届いたサービスを提供してくれる店は数えるほどしかない。共栄堂は、そんな店の一つだった。

老舗なので、テレビや雑誌で紹介されることも多い。一度、若い学生風のカップル客が来て、「カレーがぬるい」と言って取り替えさせていたのに出くわしたことがある。カレーをグラグラ煮立たせてしまっては、スパイスの香りが飛んでしまうではないか。近くで見ていて苛々したが、お店の人は黙って取り替えた。

今、ポークカレーのお値段は、800円。25年の間に200円しか値上げしていない。諸物価高騰の折、いろいろご苦労があることと思うが、何とかこの味を絶やさないで欲しい。
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by slycat | 2008-02-14 22:17 | 日常のこと

弁当作りの虎の巻

毎朝息子の弁当を作るようになって早1ヵ月。食い意地が張っているので、料理の本はたくさん持っているが、30年以上大事に使っている「虎の巻」がある。それは、新聞代金を支払うと領収証と一緒に貰えた小さな冊子である。これらの冊子は、朝日新聞大阪本社が制作し、配布していたものである。一応頒価50円と書かれているが、もちろんいちいち代金を支払って買ったものではない。

私の手許にある冊子『さんさん』は、No. 1〜25、大阪には2年半しか住んでいなかったので、最終的に何号まで発行されたのかはわからない。テーマごとに編纂されていてNo. 1は「切る」、No. 2は「スパイス」といった具合で、No. 15が「弁当」である。内容は家庭面・弁当のおかず欄から抜粋されている。

料理初心者であれば、この冊子は不親切だ、これじゃ料理は作れない、と言うだろう。献立によっては詳しく分量など書かれているが、どちらかと言えばある程度料理の心得がある者に向けた内容である。「3枚おろしのサバをそぎ切りにし、塩、こしょう、小麦粉をつけ、両面軽いこげめがつくくらいに油焼き(前日に)。…」という感じで、サバを3枚におろせない人のことは考慮されていない。
 だけど、これが結構面白く、大人になった今でも捨てられずにいるのは、ものを無駄にしない精神がそこかしこに見られるからだ。関西人の知恵、と勝手に信じている。

例えば「通勤弁当2週間」と題して曜日ごとに2種類の献立を紹介するページ。
(1)鶏肉のドーナツ焼き
(2)ヒラ豆の油いため(ヒラ豆がどんな豆なのか、実は知らない)
(3)なすのゴマ油焼き
(4)カリフラワーの甘酢
(5)青菜ご飯
 青菜ご飯の作り方は「青菜(大根葉、菊菜)を塩ゆでして水に取り、固くしぼってみじん切りにし、ご飯にまぜ、食塩といりゴマをふる」。
 大根の葉を捨てずに使うって、人によっては「あったりまえじゃん」と言うかもしれないが、私が小中学生だった頃でさえ、東京では大根は葉を切った状態で売られていた。今じゃ、スーパーでは葉がないどころか半分に切られて売っている。レシピに堂々と「大根葉」と書かれているのがいいじゃないですか。
 そのほかにも「ししとうがらしとチリメンジャコのいり煮」「半月卵の甘酢煮」「ゆかり大根(大根せん切り、梅づけのしそ)」など、お金をかけずにひと手間かける料理が並んでいて、とても参考になる。

中2の夏休みに再び父の転勤で横浜に引っ越したが、横浜では『さんさん』にお目にかかることはなかった。関西でずっと暮らす人の何人がこの『さんさん』をとっておいただろう。まだ持っている人がいたら、ちょっと会ってみたい気がする。



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by slycat | 2007-05-15 02:17 | 日常のこと

あまりちゃんの思い出

どん太郎はのそのそと歩き、何となくどんくさかった。色恋沙汰とは無縁と思われたが、そんな彼もちゃんと恋をして父親になった。恋の相手があまりちゃんである。

あまりちゃんとの出会いは、高円寺にある某ペットショップ。ペットグッズを買おうと、わざわざ遠くまで出かけたら、そこにあまりちゃんがいた。
 そのショップは、ハムスターそのものはそれほどいないのだが、ハムスター・グッズやハムスター漫画、飼育ムックなど品揃えはよかった。バスを乗り換えて行かなければならないのだが(我が家には自動車の運転免許を取得している者がいないのである!)、結構お気に入りの店である。
 あまりちゃんは、売れ残って大きくなっていた。ハムスターは寿命が短いし、幼い頃から飼っていないと人間に馴れないことが多いので、生後3ヵ月を過ぎると「欲しい」という人がいなくなり育ち過ぎると売り場から追いやられてしまう。残酷なことだが、あまりちゃんもタイミングを逃したらしく、売り場の中央から隅のケースに移されて、丸くなって寝ていた。売値は500円だった。

売れなかったハムスターの行方。考えたくないことだが、巷ではいろいろ怪しい噂が流れていた。それが真実かどうか、確かめたくもないが、いずれにせよ、あまり幸福ではなさそうだった。私はしがないサラリーウーマンなので、ペットショップで売れ残ったハムスターすべてを救うことはできない。しかし、そのときあまりちゃんを見てしまって、放っておくことができなかった。「どんちゃんのお嫁さんにしようか」。あまりちゃんは我が家に迎えられることとなった。

勢いで連れて来てしまったものの、実は「育った」ハムスターに対して、私はびびっていた。どんちゃんがどちらかと言えば間抜け顔なのに比較して、連れて来たハムスターは顔の部分が黒いせいかちょっと強面だった。馴れてくれるかどうか。全く自信はなかった。
 バスを乗り継いで帰る途中、あまりちゃんは突然外に出されて驚いていた。店の人が入れてくれた紙箱の中で移動しているのが、ずっしりと手に伝わってくる。とりあえず阿佐ヶ谷駅に着いた。喉が乾いたので、つい出来心で喫茶店に入った。これがパニックを引き起こした。

コーヒーを飲みながら夫と喋っていたとき、事件は起こった。あまりちゃんが紙箱を食い破って、出て来てしまったのだ。そもそも喫茶店に生き物を連れて入ること自体が間違いなのだが、紙箱を入れてあったビニール袋の中で、あまりちゃんがうごめいている。
 慌てたが、悪知恵が働くことでは誰にもひけをとらない私は、阿佐ヶ谷の商店街で籐製品を扱っている店があったのを思い出した。その場の収拾を夫に押し付け、私は喫茶店を飛び出した。目指す店に走り、籐の蓋付きバスケットを購入(2,000円くらいだったか)、喫茶店に舞い戻った。
 ウエイトレスに気づかれないようにと焦りながら、あまりちゃんをむんずと摑み、バスケットに入れた。その後、そそくさと会計を済ませると店を飛び出し、またバスに乗って帰宅。大汗をかいた。夫も冷や汗をかいていた。

あまりちゃんの名前の由来は、ずばり「余っていたから」である。ひどいもんだが、このあまりちゃん、人に泡を吹かせた割には実にハムスターのできた子だった。余っていたからといって、ペットショップの人は怠りなく世話を続けていたに違いない。あまりちゃんは、決して人を疑うことなく、全面の信頼をおいてくれた。すでに大人になっていたが、とても従順で噛んだりすることなく、おとなしく頭がよかった。

どんちゃんも散歩を日課としていたが、あまりちゃんも同じだった。人間が忘れていると、ケージを齧って催促した。「ごめん、ごめん」と出すと、嬉々として部屋を探検した。
 あまりちゃんはお転婆だった。いつものように散歩に出し、のんびりと読書などしていたある日、目の隅に何かが入ってきて、ふと顔を上げると、何とあまりちゃんがカーテンレールの上を走っているのを発見した。カーテンをよじ上り、てっぺんまで行ったらしい。心臓が止まるかと思ったが、気づかれたのに敏感に反応し、あっという間に走り去って、あまりちゃんは姿を消した。高速で床に降りたようだ。驚くべき運動神経だった。

あまりちゃんは、どんちゃんに対してとても優しかった。どんちゃんは、散歩に出すとまっすぐにあまりちゃんのケージに向かい、2匹で何か会話をしているようだった。どんちゃんは死ぬまであまりちゃんを愛し、あまりちゃんもどんちゃんを愛していた。2匹の間には、14匹の赤ちゃんが生まれた。

どんちゃんが顎の腫瘍で先に逝き、あまりちゃんは独りになった。その後、子宮内膜炎になり、長患いの挙げ句、ひっそりと世を去った。病気で痛みが激しくなったときに、一度だけ私の指を噛んだことがある。それまで噛んだことがなかったのに、よほど苦しかったのだろうと不憫でたまらない。

あのままペットショップにいたらどうなったのか、わからない。我が家に来て幸せだったのかどうか、わからない。だが、あまりちゃんに会えたことは、私にとっては幸せなことだった。

ペットショップで、もし育ち過ぎたハムスターに出会い、その子と目が合って好きになってしまったら……。f0061021_127142.jpg

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by slycat | 2006-07-28 01:32 | ハムスター

どん太郎の思い出

我が家にいるハムスターはキャンベルのみ。飼いやすいし、見ていて面白く、それぞれに個性が強い。赤ちゃんハムが生まれてもせいぜい5〜8匹程度なので、里親さん探しもそれほど苦ではない。
 以前は、とりあえず「ハムスター」と呼ばれてペットショップで売られている種類を全部飼っていた。つまり、ジャンガリアン、ロボロフスキー、ゴールデン、チャイニーズ、キャンベル、である。その後喘息になったので大勢の世話が困難になり、キャンベルだけの現在に至る。

ゴールデンとの暮らしは、毎日いろいろな事件が起こって退屈しなかった。楽しい日々を与えてくれたのは、我が家のハムスター第2号の「どん太郎」である。ジャンガリアンのシンタローが来てハムスターの魅力に目覚め、それまで入ったことのなかったペットショップに足しげく通うようになった。そのうちの1軒にどん太郎がいたのだった。出会いはやっぱり夏だった。

どんちゃんは、生後2ヵ月くらいで仲間と一緒にケースに入れられていた。クリーム色の毛皮がきれいだった。ゴールデンは大きくなるから、と衣装ケースで飼うことにしたが、餌をやったり掃除をしたりするとき、上から手がぬーっと入ってくるのが怖かったようで、なかなか馴れてくれなかった。物凄くびびっていた。
 そこで普通のケージを買い、砂浴び場やタワーなどパイプでつないで、自然ではトンネルを掘って暮らしているというハムスターの暮らしに近づけようとした。どんちゃんはケージが気に入り、人にも馴れてくれた。

ジャンガリアンのシンタローと、ゴールデンのどんちゃんとでは、ライフスタイルが全然違った。シンタローの住まいもケージを2つパイプでつないであり、結構自由に走り回ることができたが、シンタローは左右のケージを行き来したり、途中木製のおもちゃをくぐったり回し車に乗ったり、と割合予測可能な動きをしたものだ。平和だった。
 しかしどんちゃんは、何をしでかすかわからなかった。砂浴び場はケージの左右に大小別のタイプを取り付けていたが、小さいほうはすぐ穴を開けられてしまい駄目になった。また大きいほうの砂浴び場はどんちゃんの巣になっていたが、気がついたらびっくりするほど「蒸れて」おり、内側に水滴が見えた。空気穴をいくつも開けてやり、蒸れを防がなければならなかった。シンタローは木の家で寝ていたので蒸れることはなかった。

餌の食べ方も違った。シンタローは餌をもらうと、その場である程度食べてから残りを頰袋に詰め、余ったらそのまま餌入れに放置した。頰が空っぽになり気が向けば、餌入れに残しておいた餌をおもむろに食べた。しかしどんちゃんは餌をもらうととにかく全部頰袋に詰めて、自分の巣に持ち帰ってから食べるのだった。どんちゃんの餌入れはいつも空っぽだった。

一番驚いたのは、どんちゃんがパイプに詰まった事件である。小さいほうの砂場に入れてあった砂を頰袋に詰め込み、どんちゃんは大きいほうの砂場に移そうとしたらしい。ある朝、仕事に出かけようとしたら、ハムスターのいる部屋から「シャカシャカシャカ…」という音が聞こえた。音はやむことなく、かなり必死な響きだった。
 胸騒ぎがして見に行くと、何と巣につながるパイプの中ほどで、どんちゃんが詰まっていた。どんちゃんは凄く焦っていた。パイプの上下には砂がびっしり。何で途中で頰袋から出したんだ? 理由はさっぱりわからなかったが、事は急を要していた。
 砂が詰まっているのでパイプを外すのはひと苦労だった。遅刻してしまうので私もかなり焦っていたが、砂をいっぱいばらまいて、何とかどんちゃんを助け出した。もし会社に行く前に気がつかなかったら、どんちゃんはどうなっていたのだろう。考えただけでゾッとする。どんちゃんが懲りてくれて、以後砂を移動させるのをやめたのは幸いだった。
 結局仕事には遅れてしまった。おまけにその日ふだんとは別のルートで電車を乗り継ぎ、途中の駅で精算しようとしたら精算機に定期券が「詰まって」しまい駅員を呼ばなければならなかった。その日は余程詰まるのに縁があったらしい。

いろいろ愉快などんちゃんだったが、その当時デジカメを持っていなかったので写真があまり残っていない。これは撮ってプリントした写真をスキャナで取り込んだもの。散歩中遊べるように空き箱を置いてやったら、中に入っていってひょっと顔を出した。f0061021_1410100.gif
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by slycat | 2006-07-25 01:11 | ハムスター

コーンフレークはかつての憧れ

ちゃんと朝食を食べようと思いコーンフレークを買った。とりあえず平日1週間,続けることができている。
 我が家はひどい家庭で,誰も朝食を食べない。息子だけは子供なのでパンでもプリンでもいいから食べろ,と無理矢理脅して何か口に入れさせているが(前夜のおかずがシチューやスープ系だと何も言わなくても勝手に食べる),そもそも親が食べないのだから手本にならない。そこで,全く火を使わないコーンフレークの登場である。これなら何とかなりそう。
 私が買うのはいつもケロッグの普通のコーンフレーク。「フロスト」は甘すぎて食べられないが,「コーンフレーク」だとなぜか物足りないので,小さじ1/2杯程度の砂糖をかけてから牛乳を注いで食べている。

またNHK BSで放送されているらしいが,子供の頃は『ルーシー・ショー』や『奥様は魔女』を見るのが楽しみだった。面白いコメディだというだけでなく,外国の豊かな生活を垣間見ることができるのが魅力だったのである。広いキッチン,巨大な冷蔵庫,自家用車……今では日本の家庭でも見られるようになったが,それでも「裕福」を絵に描いたようで羨ましかった。
 家庭の冷蔵庫からクォートサイズのアイスクリームが出現するのにも驚いた。子供の頃アイスクリームといえばお菓子屋さんに買いに行くもので,家に帰るまでに溶け始めてしまうものだったんだから。日本でも「レディーボーデン」が売られるようになり,親におねだりしたのを忘れない(結局家の冷凍庫で保存するとかちかちになってしまうのだが)。

ケロッグやシスコのコーンフレークは,あまりモノがなかった時代に,いち早くアメリカンな気分を届けてくれるツールだった。何しろ海外ドラマの主人公たちは,大抵朝,これに牛乳をかけて食べていたのだから。4畳半の部屋で食べても嬉しかった。昔は箱の底に「おまけ」が入っていたし。

友人がイギリスに留学していたとき,手紙に「ミューズリを食べています」とあったので興味をもち,輸入食品を扱う店で見つけて試してみたが,ドライフルーツも押麦もあまり好きではないので閉口した。今では同様のものが日本のメーカーからも出ているが,もう手は出さない。「ブラン」「玄米」タイプも健康的過ぎて駄目。チョコレート味のものは臭いが駄目。結局何の変哲もないフツーのコーンフレークを買い続ける。トウモロコシだけ,というのが適当にジャンクで私に合っているのだと思う。

ところでどれくらいのカロリーなんだろう,と検索していたら,謎のサイトにぶち当たった。『ザ・グレート・スイカ-チャンピオンへの道-』。ここの「自由研究」の中に「コーンフレーク大調査」というコンテンツがあり,実に43種類ものコーンフレークを食べて寸評を加えているのだが,凄く面白くて大笑いした。評価が簡潔なのがとてもいい。

これを読んだら,「プーさんのはちみつ大好き」というシリアルを食べてみたくなった。きっと物凄く甘いんだろうなー,だけどちょっと試したい。f0061021_23153736.jpg
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by slycat | 2006-07-19 13:42 | 日常のこと

夏が来れば思い出す…その3

シュウちゃんと同じ日に我が家に来たニッキーは、シュウちゃん亡き後も元気に、そして穏やかに日々を過ごしていた。1歳半ほどになり、気づくと、ニッキーの鼻の横に腫瘍らしきものが認められた。

ハムスターの病気でも、腫瘍は上位に入る。我が家ではキャンベルばかり、みぞれ、しぐれ、ラムネ、将軍、とニッキーで経験した。
 みぞれの場合は1歳だったが手術を敢行した。初めての経験だったので、みぞれの入院中は食事が喉を通らないほど心配だったが、手術は無事成功、退院後も縫合痕を齧ったりすることなく回復した。結果的には半年後に子宮内膜炎で失ったので、手術をしたのがよかったのか悪かったのか、判断できない。ちなみに組織検査の結果は良性だった。
 みぞれの子、しぐれの場合は、2歳近かったので手術はせず、病院でもらったアガリクスの粉末だけ飲ませていた。特に腫瘍が巨大化することはなかった。
 ラムネが一番不可解で、出産後、おねだりをしてケージによじ上ってきたお腹をみたら、瘤ができていたので仰天したが、獣医さんが「子育て中は治療できない」と言うので放っておいたら、いつの間にか瘤がなくなってしまった。どこをどうしたのか、いまだに謎のままである。
 将軍はイエローだったが、鼻の横にひょろりとピンク色のひものようなものができていた。これも放っておいた。消えることはなかったが、やはり大きくなることはなかった。

問題はニッキーである。腫瘍に驚いて病院に行った。獣医さんが「生検しますか、どうしますか?」と聞いた。悩んだが、まだ寿命には早いと思い、「検査してください」と答えた。これが間違いだった。
 検査から戻ってきたニッキーは顔をしかめて物凄く怒っていた。優しくて穏やかだったニッキーはいなくなり、代わりにいつもブツブツと独り言を言っているような(実際には声は出ないが)、不機嫌なニッキーが出現した。
 以前はおやつをやるとゆっくりやってきて、そーっともらっていたのに、怒りながら近づいて、バッと食べ物を奪い去るようになった。人間への信頼感は完全に失われ、2歳過ぎで逝くまで、とうとうずーっと怒ったままだった。

ニッキーの腫瘍も良性だった。ニッキーが検査されるところは見ていないが、痛かったのか怖かったのか、いずれにせよ彼にとってはひどい体験だったのだろう。検査などしなければ、ニッキーはずっと穏やかな老後を過ごすことができたのに。獣医さんもわざわざ聞いてくれたのに、なぜ検査してくれ、と言ってしまったのか。人間のエゴだったのではないか。

ニッキーのことがあってから、「too much」な医療はハムスターに受けさせないことにした。自分が病気になって余命いくばくもない、という状態になったとしたら、やっぱりおいしいものを食べ、好きなことをして暮らしたい。あれこれ実のない治療を無理に受けるのは気が進まない。ハムスターだって同じだろう、と思う。実際のところは聞いてみないとわからないが…。

シュウちゃんのときは手遅れになったのを後悔し、ニッキーには無意味な痛みを与えてしまったことを後悔している。未熟な飼い主のせいで、可哀相なことをしてしまった。しかし彼らのおかげで、大事なことを学んだ。決して無駄にしないように、と思う。

ニッキーの後ろ姿。出てくるかな〜と思うと引っ込む。ちょっと臆病な子だった。ごめんね、ニッキー。
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by slycat | 2006-07-13 23:14 | ハムスター

夏が来れば思い出す…その2

イエロー・キャンベルのシュウちゃんはとても可愛かった。性格が穏やかで、動作もおっとり。その頃はケージに回し車が設置されていたが、シュウちゃんが回すところは、とうとう一度も見たことがなかった。シュウちゃんは、回し車を専ら毛繕いの場所や休み場所として使っていたので、回し車の掃除は不要だった。
 シュウちゃんのケージには「2階」があり、プラスチックの板が梯子の代わりに渡してあったが、シュウちゃんはいつも2階に上がっておやつをねだり、何か貰うと2階に置いてあった木製のブロックの中で食べた。1階の隅に砂場があったが、シュウちゃんはそこをねぐらにしていた。
 ほかのハムスターと同じく、シュウちゃんも誰か人間が部屋に入って行くと、すぐに飛び出してきたが、ケージをよじ上る、ということはなく、2階に上がって「ちょうだい」とこちらを見つめた。その視線に勝てる人間は、我が家にはいなかった。

すくすくと大きくなったシュウちゃんだが、1年経ったある日、人が来てもおやつをねだりに出てこなくなった。これはただごとではないと思い、特にどこが悪いとはわからないまま、慌てて動物病院に連れて行った。そこの獣医さんはとてもいい先生で、信用していたから、きっと何か手を打ってくれると思った。
 しかし、獣医さんは何もしてくれなかった。飼育書には「ハムスターは病気になると進行が速いので、おかしいと思ったらすぐに病院に連れて行きましょう」と書かれているが、現実は、症状が出ていないと何もしてくれないのだった。インチキだと思った。

1週間ほどすると、シュウちゃんはごはんを残すようになり、くしゃみのような音を発するようになった。私は心の中で悪態をついた。「だからどこかおかしいんだって言ったのに…」。
 2年以上もお世話になっていた動物病院だったが、もはやシュウちゃんを診てもらいたくない、と思い、別の病院を探した。地元の沿線に、新しくできた病院があったので、連れて行った。
 「呼吸器の病気ですね」ということだった。餌が食べられないので、栄養剤を注射してくれるように頼んだ。先生はすぐに注射してくれた。ハムスターは皮膚がたぷたぷしているので、痛いとは思わないはずだ、と同僚から情報を得ていた。

シュウちゃんは回復した。ごはんも食べられるようになった。病気になってから、チョコと同じようにプラスチックのケースに移して様子をみていたのだが、3日おきに注射してだいぶ元気になったので、もとのケージに戻すことにした。

だが、それからまた2週間ほどして、シュウちゃんの具合が悪化した。プラケースに比べてケージは広いので、急に運動量が増え体力を消耗したのかもしれない。またケースに戻し「夜が明けたら病院に行って注射してもらおうね」と声をかけ、ケースを枕元に置いて目覚まし時計をセットした。
 夜中に何度も目が醒めた。何度目だったか、ふと見るとシュウちゃんが餌入れに前脚をかけて立っていた。「シュウちゃん? ごはん食べられるの?」と呼びかけてみたが、何だが様子が変だ。
 シュウちゃんは、餌入れに脚をかけ後脚で立ったまま、息を引き取っていた。人工呼吸を試みたが、すでに逝ってしまっていた。餌入れには、シュウちゃんの好物、トウモロコシに枝豆などいろいろ入れていた。

シュウちゃんは最後まで生きようとして、ごはんを食べたかったに違いない。なまじ食べ物が目の前にあるのに、食べられなかったのはつらかっただろう。かえって残酷なことをしてしまったと感じ、私は大声で泣いた。朝になっても後悔で何もできなかった。その日は会社を休んだ。職場での評判が悪くなっても仕方がない。何もできないのだから出社しても無駄だった。

息子は、今でも、ケージに戻す時期を間違えたのがよくなかったと言っている。私も悔やんでいる。しかし飼い主がおかしい、と言っているのに患畜に何の治療もしなかった獣医さんをいまだに許すことができない。シュウちゃんはもっと生きられるはずだった。

暑くなってくると、炎天下、シュウちゃんのことを気にしながら日陰を選んで病院まで歩いたことを思い出す。思い出すたびに、餌入れの前で冷たくなっていたシュウちゃんの姿が浮かんでくる。f0061021_0344324.jpg
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by slycat | 2006-07-13 00:36 | ハムスター

夏が来れば思い出す…

暑い。昨日は昼休みに外に出たら、まさに滝のような汗が流れた。歩いている人をひそかに見ても、誰も汗をかいていないように見えるのはなぜだろう。私だけ暑いわけでもなかろうに。

2枚の写真に写っているハムスターは、似ているが別ハムである。ともにペットショップから連れてきたのだが、上の写真はシュウちゃん(シュークリームみたいなので)、下はニッキー(特に意味はないが、何となく命名)。出会いは5年前の8月である。

シュウちゃんはたぶん生後1ヵ月程度だったと思う、凄く小さかった。1時間半も電車に揺られたせいか、家に着いてもごはんを食べなかったので心配した。ペット用ミルクを餌にふりかけたら、翌日から食べてくれるようになり、それからはすくすくと大きくなった。すっかり成長してよくよく見れば、我が家でも最大の部類に入る大きさになっていた。気がつけば身体の幅が、当時小学生だった息子の腕をはみ出すほどになっていてびっくりした。

ニッキーのほうはおそらく生後2、3ヵ月ほどだったのだろう。それ以上大きくなることはなかった。とてもおとなしい子で、ショップで育った子でもちゃんと人に馴れてくれることを証明してくれた。我が家の「サイダー」とカップルになり赤ちゃんハムが8匹も生まれた。その子たちの1匹、「あんず」がシュウちゃんのお嫁さんになった。

残念ながら我が家には2匹の家系は残っていない。皆里親さんに貰われていった。我が家に残した子たちは、独身を貫いて逝ってしまった。どこかで子孫が残っていてくれればよいのだが。
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by slycat | 2006-07-12 01:37 | ハムスター