ミステリ・テニス・ハムスター・モルモットについてあれこれと……
by slycat
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ナイトツアー

当たり前だが,仕事で来ているので忙しい。30日は午後まで死んだように寝ていたが,夕方からは打ち合わせが入っていたのでだるい身体にムチ打って出かけた。朝も昼も,食欲が全然湧かない。これが時差ボケというものか。

f0061021_1638347.jpg初日と違い空は雲っている。サンフランシスコにいる間、昼は晴れても朝はこんな空が多かった
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まず16時過ぎにバルセロナの同僚が到着。ホテルにあるスターバックスでコーヒーを飲みながら話す。その後上司が到着。クライアントと打ち合わせ開始。いろいろと揉めている案件なので気が重い。しかもなかなか話が終わらない。この日はバルセロナチームの一員に誕生日を迎える人がいて夜はみんなで食事をする予定だったのだが,結局23時近くまでミーティングが長引いてしまい,とても食事どころではなくなった。上司は疲れていたので自分のホテルに帰った。

しかしこの日は何も食べていなかったし,ルームサービスも終了していたので,同僚と2人なら怖くない。ホテルの前の道を渡るくらいならできそうだ。そこで向かいにある『BAR & BISTRO』に入った。アメフトやバスケなどのスポーツ番組を見ながらお酒や食事を楽しむ店らしい。ここでバルサミコ酢ドレッシングのグリーンサラダ(なぜか苺入り)とクラブケーキ(カニコロッケのようなもの)を2人で分けて食べた。夜中なのでこれくらいがちょうどよい。いずれにせよ24時には食べ物のオーダーはできなくなる。

翌31日も忙しかった。まず午前中にサンフランシスコにいるメンバーとバルセロナのメンバーとで電話会議。その後,会議の結果に合わせて書類の作成・修正。勝手がわからないところでプリントしたりするのは大変だ。またもや昼食を食べ損なった。
 午後16時頃,再び打ち合わせ。そこでもいろいろ意見がまとまらず紛糾する。やっと18時過ぎに終わると,上司たちは自分のホテルに帰れるけれど,私と同僚はまたまた書類の修正・プリント。合間に東京にメールを打つ。

f0061021_16383993.jpg昼間はこんな感じで快晴
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しかし,いやいやながら仕事を片づける中で,フロントの人にとても親切にしてもらったり(プリントに手間取っていたら,好きに使ってよいと自由にさせてくれた),コンシェルジェには23時過ぎでも営業していて,しかも安全だというタイ料理の店を教えてもらったりと,人との触れ合いがあったおかげで元気が出てきた。マーケットストリートにあるアップル社のビルの角を曲がったところにある店で,久々に東洋っぽいものを口にしてホッとした。ちなみにトムヤムクンと何かスパイシーなチキンを頼んだが,それほど辛いものではなくアメリカンナイズされていると思った。

f0061021_16382723.jpgタイ料理店『バンコク』で食べた料理。ここではアルコール飲料は頼めない

夜中に,われわれが開催する会議の招待状をポスティングするため,タクシーを拾おうと思い,ホテルの東洋系のお兄さんに訊いてみたら,知り合いで「town car」をやっている男がいるから呼んでやる,タクシーで7ヵ所も回っていたら,凄まじい料金になるよ,この男に頼めば結局割安だよ,と熱心に勧める。じゃあお願いしますと言い,ついでにチップを5ドルばかり渡したら,バナナリパブリックやブルーミングデール,メイシーなど,次から次へと割引クーポンを持ってきてくれた。それからサンフランシスコの地図やガイドブックも渡された。車が到着するまで,あれこれと世話を焼いてくれて,あまりの仕事熱心ぶりに驚くばかりだった。

1人だったら絶対にできなかったが,2人だったので,夜中に知らない街でちょっと怪しげな車に乗り,市内のホテルを次々訪れてはフロントに手紙を置いていくというヘンテコな「業務」も,それなりに面白かった。アルカトラズに行った日はあれほど晴れていたのに,この日は深い霧が立ち込めており,「霧のサンフランシスコ」は嘘じゃないということがわかった。

回るホテルはユニオンスクエア付近に固まって建っているが,街をぐるぐる走るだけでもちょっとした観光だ。「あそこが僕の好きなSUSHI屋だよ」などと教えてくれた先には,藍地に白抜きでSUSHIと書かれた暖簾がかかっていた。「ここら辺はサンフランシスコでも一番霧が多いところだ」と教えてくれたところには由緒あるホテルが建っていて,つい昨日までオバマ大統領が宿泊していたのだとか。マイクと名乗る運転手さんはとても親切で,手紙を置かなければならないホテルに着くたびに,ちゃんとドアを開けてくれ,フロントの場所がわかりづらいホテルでは一緒に行って案内してくれたり,夜遅いためドアを閉めているホテルではドアボーイ(なぜかどのホテルのドアボーイとも親しそう)に言って開けてくれたり。全部回って60ドル,couple of dollersのチップをあげてね,と言われていたが,10ドル上乗せして支払ったら喜んでくれた。

明日も早起きなんだけれど,明日の夜は平穏に過ごせるだろうか。こういう体験も悪くないけれど。
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by slycat | 2010-06-01 18:51 | 旅行

『グッバイ、レーニン!』

グッバイ、レーニン! 2003年、ドイツ ヴォルフガング・ベッカー監督

大好きな映画である。公開時、息子と一緒に恵比寿の映画館で観た。その後何度かテレビでも観たが、ベルリンの壁崩壊後20年経った記念に最近「ザ・シネマ」チャンネルで放送されたので再び観てみた。何度観ても面白いし、なぜか観るたびに涙が出てしまう。子供のいる人、特に男の子のいるお母さんにはぜひ観て欲しいなと思う。観た後、一緒にこの映画について語り合いたいな。

ベルリンの壁崩壊前後の東ドイツを舞台にしたこの映画は、肩肘張らずに観られる楽しい作品だ。一緒に観に行ったとき、息子は小6か中1だったと思うが、隣の席でゲラゲラ笑っていた。再見した今回も便宜上隣に座っていたが、やはり同じシーンでゲラゲラ笑った。この作品、特に「コメディ」に分類される映画というわけではないのだが、監督が笑いのツボを心得ている人で、タイミングがバッチリだからだろう、常に笑える。例えば息子がもう少し成長して、『2001年宇宙の旅』を観たら、また別のシーンでも笑えるようになると思うが、何も知らなくても十分おかしい。

しかしこの作品には、笑いだけではなく、ちゃんと仕掛けもある。心臓発作による昏睡から目覚めた母親にショックを与えまいと、統一前の東ドイツを再現すべくあたふたする主人公の奮闘ぶりが面白いのだが、一所懸命再現に没頭しているうちに徐々に当初の目的から外れていき、ついには自分自身の理想とはどういうものなのかに気づいていく、その辺りが深い。

もはや「東ドイツ」は存在しない、ということが母親にバレた?という危機に際して、主人公に与えられた起死回生の「武器」は、映画オタクの親友が協力して作ってくれるビデオの「映像」である。この映像が抱腹絶倒の傑作なのだが、ウソで固めた映像を母親に見せているうちに、だんだん映像の世界に主人公自身が影響されていく。監督は映像の力を信じている。だから映画監督になったのだろうし、だから説得力があるのだろう。
 このくだりを観ていると、愛国心というのはやはり、国や政治や他人から押し付けられるものではなく、自ら目覚めるものであるべきだなぁとつくづく思うのである。教科書なんかで洗脳してはいけない。人は皆、それぞれ自分の、自分だけの愛する国をもつべきだ。

親友が「俺の最高傑作だ」と自負して主人公に渡した最後のビデオを母親に見せるシーンは圧巻だ。「これが僕の東ドイツだ」。主人公を演じたダニエル・ブリュール、誇りに満ちて母親を見つめる表情がよかった。もう一つよかったのは、それを見つめる母親の表情だ。この映画を一緒に観た息子にはわからないだろうし、恐らく作品の中の主人公にもわかってはいない設定なのだろうが、親にとって最も嬉しいこととは、子供が立派に成長したという証しを得ることだ。母親にショックを与えてはならない、という優しい気持ちから始まったウソが進化していき、結果として親子の絆を確固たるものにした、その真実が激しく感動的な映画である。ここでどっと泣く。

しかし正直なところ、初見のときには泣かなかったところで今回じわじわ泣いてしまった。映画が始まってすぐ、主人公がまだ子供の頃のエピソードが語られる場面である。自分の息子もいまや18歳、小さいときはよかったなぁなどと思うことが多い昨今、幼い子供の無償の愛を見てしまうと、無条件に涙が出てしまう。あぁ歳をとったものだ。

史上に残る名作、と呼ぶには少々恥ずかしいが、よい映画というものは、何度観ても面白いものだし、何より観るたびに印象が少しずつ変わるものだと思っている(『東京物語』然り)。そういう意味で言えばこの映画は「よい」と称するに値する、そう思う。
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by slycat | 2009-11-12 00:14 | 映画

子供には見せたくない青春映画

言えない秘密(2007年台湾、原題:不能説的・秘密)
監督・主演・音楽:ジェイ・チョウ、脚本:ジェイ・チョウ、トー・チーロン、撮影:リー・ピンビン

先日観た『カンフーダンク!』で主演を演じた台湾のスター、ジェイ・チョウの初監督作品である。『戯夢人生』『花様年華』の撮影を手がけた名カメラマン、リー・ピンビンをはじめスタッフが皆超一流、ということを差し引いても素晴らしい瑞々しさで、ジェイの底知れない才能には驚かされてばっかりだ。

ジェイ・チョウ演じるシャンルンが淡江音楽学校に転校してきた日から、この映画は始まる。古い校舎を探索中、シャンルンは一人のミステリアスな少女(シャオユー=グン・ルンメイ)に出会い、ひと目で恋に落ちる。映画の前半では、2人の高校生らしい、幼い恋が可愛らしく描かれており、自分の子にもこういう恋をして欲しいと思わせる。

後ろの席にいる少女のほうを盗み見ては先生に注意される場面。少女を自転車の後ろに乗せて家まで送っていくひととき。誰もが一度は経験したことのある甘酸っぱい日々が生き生きと描かれる。初恋の舞台となる台湾最北部・淡水鎮の景色も非常に美しい。
 またピアノの音色をたっぷりと堪能できるのもこの映画の大きな魅力である。「ピアノ王子」と呼ばれる生徒とシャンルンの“ピアノ・バトル”、シャンルンとシャオユーの連弾。2人が学校帰りに立ち寄るCDショップのレトロな雰囲気もとてもいい。音楽学校の生徒らしく、彼らの日常は音楽に溢れている。

しかし映画が進むに従い、シャオユーが抱える「秘密」がただならないものであることが薄々わかってきて、秘密の重みが徐々に観客を圧倒する。そして映画の最後、ピアノのテンポとともに、物語も加速していき、思いがけない結末を迎えることになる。

卒業式の日、誰もいない教室で、シャオユーにメッセージを伝えようとする場面でドッと涙が溢れた。ふだんは淡々として寡黙なシャンルンが、愛する少女のために何もかも捨てる、その凄まじい勢い。10代の恋は恐ろしい。
 「頑張れ!」と言いたいのに、一方では「もう諦めてくれ……」と思ってしまうのは私も子をもつ親であるからだろう。子供のいない人は、すんなりとシャンルンの気持ちに同化でき、違った印象をもてるのかもしれない。

世の親にとっては非常に残酷な映画である。傑作であることは間違いない、だけど自分の息子には見せたくない。
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by slycat | 2008-09-15 18:51 | 映画

馬鹿にしたもんじゃない

ミラクル7号(2008年中国、原題:長江7号)
監督・製作・脚本:チャウ・シンチー

『カンフーハッスル』以来、何してるんだろうなぁ、と思っていたところへ公開されたチャウ・シンチーの最新作。貧乏親子とETの心暖まる物語(?)ということで、怖じ気づいたというか、胡散臭さを感じたというか、少々敬遠していたのだが、公開から1ヵ月が経過して、これ以上グズグズしてたら見逃してしまう、と決意を固めて観に行った。

上映している劇場を調べたら、何と「シネマスクエアとうきゅう」でしか観られない。以前『上海グランド』を観たのもこの映画館だったので、ここ10年くらいはアジア映画に力を入れているのかな、とも思うが、シネマスクエアとうきゅうといえば、私が学生の頃は、難解な文芸映画ばかりかける小屋だったのである。今ではあんまり珍しくもないが、毎回入れ替え制のため続けて観られない、フランス製の椅子を導入している、など当時としてはかなり画期的な、どちらかといえばお固い映画館だった。へえぇ、チャウ・シンチーの映画をシネマスクエアが……。何だか変な気持ちである。

1日に3回のみの上映で、しかも最後の回が15:15開始。平日にはとても行けないので、土曜日に息子を連れて行った。息子は『少林サッカー』を見せてからすっかりチャウ・シンチー・ファンとなっており、もちろん観に行くことに異論はない。いったん四谷3丁目まで行って立ち食い寿司(安くて美味い)の店でお昼を済ませ、新宿へ移動した。

道中、「今日は久しぶりにスカッと笑えるね」と言っていたのだが、結果的には滝のように涙を流して帰ることになった。もちろん、楽しくなかったわけではない。チャウ・シンチー節は健在で、彼が過去に撮った映画のパロディみたいな場面もあって大いに笑えた。だけど、一方で大いに泣かせる映画でもあったのである。

チャウ・シンチーは、今回の作品では脇役に徹しており、主人公は彼の息子ディッキーである。お父さんが日頃言い聞かせている「嘘をつかず、喧嘩せず、一生懸命勉強していれば尊敬される人になれる」という言葉を信じて健気に生きている。
 しかし貧乏だけはどうにもならず、運動靴が破れているからといって体育の時間に立たされたり、友達に馬鹿にされたりする。欲しいおもちゃも買ってもらえない。
 そんなある日、お父さんがゴミ捨て場から拾ってきた球状の物体が、可愛らしい生き物に変化する。ディッキーはこの生き物を長江7号(ナナちゃん)と名付け可愛がるようになる。

どうせCGなんだから、と思っていたのに、このナナちゃんの可愛らしさには脱帽する。本当に可愛い。ナナちゃんが画面に現れた途端、あまりの愛らしさにノックアウトされた。一時、学習能力のあるロボット犬が流行ったが、やっぱりペットというのは自由に行動し、人間の思い通りにならないところが愛おしいんだなぁと再確認する。
 この映画はスピルバーグの『E. T.』にインスパイアされて作られたのだが、ETとナナちゃんに違いがあるとすれば、ETがその超能力を惜し気もなく人前で披露するのに対して、ナナちゃんはこっそりと人知れず能力を発揮する、という点だろう。この辺り、実にアジア的な美学が感じられ日本人には理解しやすい。

今回、チャウ・シンチーはあくまでも子供向けの映画としてこの作品を作ったらしく、『少林サッカー』や『カンフーハッスル』のようなアクションはほとんどないし、彼独特の厳しいユーモア感覚(というものが存在するとすれば)も影を潜めている。しかし何か事が動くとしたら、それは情あってこそ、という姿勢は同じである。ディッキーとナナちゃんの間にある無条件の信頼関係、ディッキーとお父さんをつなぐ愛情、そういうものが素直に伝わってきて涙を誘う。

いやいや、こんなに泣いてしまうとは夢にも思わなかったが、非常に爽やかな気持ちである。シネマスクエアよ、四半世紀経ってようやくこの境地に至りましたか、よくやった! 「文芸映画」の建前なんかなくても、いい映画はちゃんと人に何かを伝えるものなのである。

それにしてもチャウ・シンチーって、貧乏を描かせたら世界一だなぁ。どんなに才能があっても、作品がヒットしても、どこか貧乏臭さを漂わせていられるところが凄い。ずっとこのまま、庶民の味方(?)の映画人であって欲しいと思う。
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by slycat | 2008-07-27 01:52 | 映画

よき時代のゲーム

ライノクス殺人事件
フィリップ・マクドナルド/霜島善明 訳 創元推理文庫

謳い文句は「英国本格の技巧派 半世紀ぶりに登場! 結末で始まり発端に終わる実験的手法の得難い収穫」。コピーの出来はよいと思わなかったが(表4の紹介文もよくない……)、先に復刊されていた同じ作者の『鑢』が結構面白かったので読んでみた。

目次を見ると、なるほど最初に「結末」があり、その後第1部から第3部、そして最後に「発端」と並ぶ。さらに要所要所に作者の「解説」が挿入されている。確かに実験的なのかもしれないが、クリスティを筆頭にロイ・ヴィガーズの倒叙物(迷宮課)とかエラリー・クイーンの「読者への挑戦」とか、いろいろな人がいろいろなことをやっているので、今読むとさほどの驚きはない。

半分も読まないうちに何が起こるか、そして犯人が誰なのか、ほぼわかってしまう。擦れっ枯らしのミステリ・ファンならもっと早く気づくだろう。しかし、この小説は単なる謎解きに終わらない面白さをもっており、ガッカリするには及ばない。むしろフェアプレイを通り越して読者にヒントを与えまくる作者の姿勢には、ニヤニヤさせられっ放しである。

さらに本書の後半では、前半の事件から派生する危機的状況を主人公(と言ってよいと思う)がいかに切り抜けるかに興味をそそられる。そしてハリウッド製コメディのようなドタバタ・アクションを楽しんだ後、ようやく「発端」に戻ってしみじみと事の顛末を噛み締めれば、フルコースを食べ終わったような満足感(しかも自分の「推理」能力を勘違いして喜べる)。後味もすっきりである。

殺人事件のトリックについて、解説の臼田惣介氏が日本人作家の「某名作を髣髴させる手の込んだものだ」と書いているが、私もすぐに連想した(実はこの「某名作」を読んだだけでは仕掛けがよく理解できず、映画化されたものをDVDで見てようやく「ああそうだったのか」とわかった、という経緯があって余計に印象に残っていた)。全体に軽い調子で書かれているので読み飛ばしがちだが、肝腎なところはきっちりと、本格推理小説の伝統に従って書き込まれている。この辺も魅力である。

けれども、本書の中で一番光っているのは、常に人生を楽しもうとする“ゲームの精神”だろうか。楽しんでしまえば、殺人事件でさえ幸せの種になる。そんな“逆説”を証明して見せたことが、本書における実験だったのかもしれない。
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by slycat | 2008-05-12 23:56 | ミステリ

国立劇場文楽2月公演

前日の天気予報では朝から積雪の恐れ、ということだった。電車が止まりでもしたら嫌だなぁと思っていたのだが、今にも降りそうな空模様ではあったものの、何とか降られずに済んだ。

国立劇場の文楽2月公演、今回は第2部を観に行った。楽しみは最後の演目『壺坂観音霊験記』。住大夫さんが娘義太夫さんの三味線でこれを語って出征した、というのを読んで聴いてみたいと思っていた。ようやく体験できることになって嬉しい。

二人禿
ふたりはげと読んでしまいました(ににんかむろである)。半七捕物帳に『かむろ蛇』という作品があるのに、いい年して漢字が読めないとは恥ずかしい。人前で口に出さなくてよかった。
 恐らく「景事」に分類されるのだと思うが、可愛らしい切り髪の少女が2人、羽根つきや毬つきに興じる様が描かれる。途中の歌で横溝正史の『悪魔の手毬唄』を思い出してしまったが、雑念を振り払って人形の動きを楽しむ。
 大阪の初春公演と同様、しだれ桜があしらわれていたのが綺麗だった(ただし大阪のときと異なり桜は1列のみ)。人形はお揃いの紅い着物。袖を振るたび揺れるフリンジ(?)のような飾りも可愛らしい。曲も綺麗で退屈しない。

鶊山姫捨松
〜中将姫雪責の段〜
非常にややこしい話がこの段の前にあるらしい。登場人物は、右大臣藤原豊成、その娘中将姫、次期天皇の座を狙う長屋王子の乳母であり豊成の後妻である岩根御前、長屋王子派の藤原広嗣、豊成の館に勤める侍女の桐の谷と浮舟。

藤原豊成の館。侍女の桐の谷と浮舟が争っているところへ岩根御前登場、中将姫に味方する桐の谷を「憎き女」とののしり、追い払う。さらにそこへやって来た藤原広嗣と2人、中将姫を殺してしまおうと話す。

素足に下げ髪の中将姫が奴たちに引っ立てられ登場。上手に姫の半身が覗いただけでゾクゾクっとするオーラが……。遣うは吉田文雀さんである。凄いものだ。語るのは豊竹嶋大夫さん、こちらも最初からお顔にパァーッと血が上り、たっぷりと聴かせてくださる。

襦袢1枚で庭に突き放され、割竹で打ち据えられる中将姫。姫にかけられた疑い(=千手観音の尊像を盗んで隠した)は実は責めている側の岩根御前の企みなのだが、何がどうしてこうなったのか、岩根御前という人物はよほど悪どく、よほど権力があるのだろう。

姫があまりにも哀れで、奴たちも打ち続けることができなくなると、ついに岩根御前が自ら手本を示す、と割竹を手に取り姫を打ち始める。陰謀の完成のためなのか、あるいは前妻への嫉妬がこうさせるのか。人形とはいえ凄惨で見るのもつらい。
 桐の谷が駆けつけ割竹を取り上げると、浮舟も出てきてまたもや女の戦いに。この騒ぎの中、浮舟の振り上げた割竹が姫に当たり、姫は絶命。すると、もともと姫を殺すつもりだったのに広嗣と岩根御前、これはヤバいとこそこそ逃げて行く(最初からこんなことしなければいいのに……)。

不仲と見せかけていた桐の谷と浮舟、実は同志であり、姫は死んだ振りをしていただけ(だったらあんなに叩かれる前に助ければいいのに……)。歩くのもままならない姫を両側から支え、鶊山に逃れようとすると、豊成登場。岩根御前の悪行は知っていたけれど、ここで岩根の邪見を明らかにすれば天皇に迷惑がかかるから黙っていた、と言う。死骸となった娘にせめて別れを告げたいと出てきたのである(後妻を離縁することはできないんだろうか?)。

「コリヤ推量せよやふたりの者、親ぢやもの、子ぢやもの、心の内の悲しさは鉛の針で背筋を断ち切らるるもかくやらん」……と、真情を吐露する豊成の語りの辺りで、三味線の糸が切れてしまったらしい。ふと床のほうを見ると、手早く代わりの糸を張り調節している竹澤宗助さん。こういうこともあるんですねぇ。しかし、見ていなければ気がつかなかっただろうと思う。

侍女の制止を振り切り父の前に出る中将姫。親子が別れを惜しむ場面でこの段は終わる。浮舟と姫はいつ打ち合わせをしたのだろうとか、後で死んだ振りをするのなら、責められている間に口にしたことは一体何だったんだろうとか、いろいろ疑問の多いお話ではあったが、とにかく姫が拷問されるところが非常にリアルで残酷で、それに驚いてしまって観ているうちは何も考えなかった、凄かった。

壺坂観音霊験記
〜土佐町松原の段〜
壺坂寺の縁日、参詣帰りの人々が茶店で休んでいると、お里が通りかかる。お里は盲目の夫、沢市によく尽くし、しかも美人。褒めそやす人々。お里は、沢市こそ立派で自分には過ぎた夫であると言い、みんなはすっかり感心して、観音様にお願いしてみてはと勧めるが、お里は貧乏暇なしだと言って家路を急ぐ。

〜沢市内の段〜
ここが本日のお楽しみ、聴いてみたかったところである。語りはもちろん住大夫さん。

せっせと縫い物などに励むお里。沢市が珍しく三味線を弾き唄など歌っているので、「よい機嫌ぢやの」と話しかけると、「モウモウ気が詰まつて詰まつていつそ死んでものけう」などと言う沢市。
 夫婦になって3年の間、毎晩七つになると妻が家を抜け出すことをずっと気に病んでいたが、自分は盲目であり顔には疱瘡の痕があるのだからもう諦めている、他に男がいるのなら嫉妬などしないから打ち明けてくれ、と頼む。
 3年にもわたって鬱々と我慢していたのは驚きだが、自分は妻に不釣り合いだと思っている沢市の心情が切ない。思わずつられて涙ぐんでしまう。しかしお里にしてみれば、こんなことを言われるのは青天の霹靂である。ここから有名なお里の口説、「三つ違ひの兄さんと、云ふて暮らしてゐるうちに……」が始まる。
 この口説、書かれたものを読んだ印象では、取り乱したように力を込めて語るのかと思っていたのだが、住大夫さんは意外なほど静かに、だが切々と語った。あぁ、これなんだ、こういう語りなんだ……と感動を覚える。

3年の間、お里は夫の目を治してくれるよう観音様にお詣りし続けてきたのだった。自分の悩みを思わず口にしたことで、初めて妻の誠実な気持ちを知り、お里に詫びる沢市。何事かを思って「未来は……」と言いかけ先を言わない妙、ここで先の展開に含みをもたせておいて、お里とともに観音様にお願いに行くから手を引いてくれと言う。

※ 住大夫さんの白湯汲みをなさっていた太夫さん(文字久大夫さんでしょうか)、語りの間中、ずっと口許が動いているのが見えました。やはり稽古熱心な師匠には稽古熱心なお弟子さんが育つのでしょう。こうやって芸を磨いていくんですねぇ。

〜山の段〜
お互いに相手のことを思い遣りながらすれ違っていた夫婦をしみじみと静かに語った住大夫さん。最後の段は伊達大夫さん病欠のため千歳大夫さんがピンチヒッターを務めた。すると、沢市が別人のようになってしまってビックリ。
 実は沢市には思うところがあってわざと快活に振る舞っているので、多少人格が変わったように見えてもおかしくない理由はあるのだが、太夫さんそれぞれの個性というのは面白いものだ。
 明るく山を登っていき、本堂まで辿り着く2人。沢市はお里に、ここで3日間断食してお願いするから、お前はいったん戻って用事を片付けるようにと言う。お里は沢市の言葉を信じてこの場所を動かないよう念を押し、家に戻る。
 お里がいなくなると沢市は、妻が3年間も祈り続けてもご利益はないのだから、妻の幸せのためには自分がいなくなればいい、と谷底へ身を投げる。しばらくして、お里が戻ってくると沢市の姿が見当たらない。ここですでにお里の髪や着物が乱れているのはおかしいな、と思ったのだが、胸騒ぎがしたので慌てて駆け戻ったということを表しているのだろう。
 沢市が残していった杖を見て崖に上り、谷底に夫の遺体があるのを発見して、お里は半狂乱で連れて来たことを悔やむ。この悔やみ方が物凄い。「エヽこちの人聞こえませぬ聞こえませぬ、聞こえませぬわいな〜」。語りも人形も実に迫力がある。

散々悔いた後、お里はこれも運命と冷静になり、夫の後を追って身投げする。ここで終わってしまうとやり切れないが、このお話のよいところは、ちゃんと続きがあることだ。
 観音様が現れ、沢市の目が見えなくなったのは前世の業によるもの、しかしお里の日頃の信心に応えてもう少し寿命を延ばしてやろう、と告げると、2人は生き返る。しかも沢市の目は見えるようになっている。2人で観音様の霊験を喜び、感謝するところでおしまい。

拷問の後だけにハッピーエンドは気持ちがいい。明治の作品なので言葉もわかりやすくて、私のような初心者には向いているかもしれない。

ところで、今回「資料集」というのが売られていたので買ってみた。上演年表や解説、芸談などが収載されている。この芸談はちょっと素人には難しかったが、よく読んでおいて、いつか今日の演目を見直したときに参考にしてみたい。

三宅坂を出たときはまだ降っていなかったが、練馬に戻ったらみぞれが降っていた。雪は大好きだが、とりあえず帰るまで積もらなくてよかった。これも観音様の霊験か?f0061021_2461125.jpg
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by slycat | 2008-02-10 03:03 | 文楽

読めば幸せになれる本

『虫とけものと家族たち』『鳥とけものと親類たち』
ジェラルド・ダレル/池澤夏樹 訳(集英社文庫)

息子が次々と小動物を家に連れ込んでくるので、ある本のことを思い出した。動物学者にしてナチュラリストであるジェラルド(ジェリー)・ダレルが、ギリシアのコルフ島で過ごした少年時代の思い出を綴ったものである。
 イギリスの陰鬱な天候に業を煮やしたダレル一家の長男ラリーが、コルフ島へ移住しようと言い出すところから第1作『虫とけものと家族たち』は始まる。このラリーこそが、後に『アレクサンドリア四重奏』を世に送り出すことになる文豪ロレンス・ダレルなのだが、本書の舞台となった1935年には23歳、まだ若かった。ラリー、レズリーの2人の兄とマーゴという姉、そして母とともに、ジェリーはコルフ島の太陽のもと、黄金の5年間を過ごすことになる。

語り手のジェリーは当時10歳。手つかずの自然に恵まれたコルフ島で、この動物好きな少年はしょっちゅう動物や昆虫を家に持ち込んでは家族を驚かせる。
 カメ、カササギ、カマキリ、ミズヘビ、ハリネズミにフクロウ……。サソリの親子をマッチ箱に入れておき、ラリーが煙草を吸おうとして知らずに箱を開けたときの騒動などは抱腹絶倒である。息子が昆虫に興味がなく、我が家に持ち込むのがウサギやモルモット程度で本当に助かった、と思わされる。

文学をこよなく愛し無頼の生き方を極めようとするラリー、銃器に目がないレズリー、いつもニキビに悩まされているマーゴ、料理好きで心優しい母。最年少のジェリーも極端な動物好きという特徴をもっているが、彼の周りの大人たちも皆一風変わった人物ばかり。ここにコルフ島のユニークな住人が加わり、一家の暮らしは毎日ドタバタの連続である。
 この2冊のいずれを読んでも、1つひとつのエピソードの面白さにとにかく笑いが止まらない。そして大いに笑った後、心が温まる。ただの1人も悪人がいない、誰にも悪意がない世界。羨ましいなぁと思う。
 また一家の要であるお母さんの素晴らしさ。末っ子が次々に虫や動物を持ち帰っても、笑って飼うことを許してやる。ほかの子たちに対しても、それぞれの生き方を認め、好きなようにさせている。なかなか簡単にできることではないと思う。だからこそ、一家から(少なくとも)2人も偉人が出るということになるのだろう。

最初にこの2冊を読んだのは20年ほど前のことだ。当時は私も若くて、単純にお話の面白さにウケていただけだったが、改めて読み返すと、いろいろなことに気づく。
 ひとつには、この本に出てくるのが大人ばかりであること。島で同世代の友達がいなかったわけではなさそうだが(「友だちのフィレモン」「ちょっと好きだったある百姓の女の子」という記述がある)、メインのエピソードには絡んでこない。昔は全然不自然だと思わなかったが、親となった今読むと、10歳の子が子供同士で遊ばないというのは何だか変だなと思う。
 また、1935年はロレンス・ダレルが最初の結婚をした年で、コルフ行きには当然ながら妻を同伴しているにもかかわらず、ただのひと言も彼女については触れられていない。後で調べてみるまで、この当時ダレルはまだ独身だったのだと思い込んでいた。どうして彼女のことを書かなかったのだろうか(後で離婚したからかな?)。
 さらに、最初に読んだときから不思議に思っていたのだが、この一家はどうやって生計を立てていたのだろう。一応作家だったラリーを別にしても、なぜマーゴやレズリーは大学へも行かず働くでもなく、毎日遊んでいたのだろう。彼らの父親はengineerだったということだが、遊んで暮らせる財産を遺してくれたのだろうか。それとも、マーゴやレズリーの仕事については割愛されている、ということなのだろうか。

謎は謎を呼び深まるばかりだが、そんなことにかかわりなく、この本は楽しい。1ページめくった途端、日常のつまらないことを忘れさせてくれる。恐らくダレル一家を魅了したのと同じように、コルフ島の魔法が読者を別次元に連れていく。

残念ながら、私はこの2冊の続編、『風とけものと友人たち』を読んでいない。突然読みたくなってあちこちで探したが、絶版の上に古書店でも在庫がないようだ。持っている2冊の文庫でさえ、すでに入手困難となっている。版元には大いに文句を言いたいところだが、本との出合いもまた運命、出合ったときが読むべきときなのだろう。「いつか読めるさ」と待っているとロクなことがない。

息子にも読ませてやりたいが、代わりが手に入らない今、モノを大事にしない奴に渡すのもためらわれる。もうちょっと大人になったら読ませてやるか。彼が壁にぶつかるようなことがあったとき、この本はきっと慰めになることと思う。
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by slycat | 2007-11-11 18:32 | 小説

なぜ

あんまり政治的なこととか、首を突っ込まないようにしているつもりだが、ミャンマーで起こっている悲劇に、何とかならないものかと胸を痛めている。日本人ジャーナリストも犠牲になったそうだ。逃げ惑う僧侶の姿を見ると、これが現実であることが信じられない。お坊さんですよ、お坊さん。お坊さんたちがこんな目に遭うなんてことがあるなんて。信長の時代じゃないんだから。
 ミャンマー大使館の前で国への支援を訴えていた女性の涙に、つられて泣いた。平和な国、日本は、ご近所の国の不幸を黙って見過ごすのだろうか。

時津風部屋の不祥事にも心が真っ暗になる。先輩力士が後輩に稽古をつけることを、昔から「可愛がる」と言うそうだが、「死」という結果を考えもせず暴力をふるうことが「稽古」だなんて、誰が信じられる? 17歳の少年は、もう戻ってこない。

先日、夜中にDVDで『ワンナイト・イン・モンコック』(2004年香港、イー・トンシン監督)を観たのだが、大陸から香港に出稼ぎに来た娼婦(セシリア・チョン)が、税関の役人に「なぜ香港は香る港というの?」と泣きながら問うシーンは、日本人の自分にもズシリと響いた。

なぜ日本は、「日の本」と書くのだろうか……。陽の光はすべての人を照らすわけじゃないのに。
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by slycat | 2007-09-28 00:32 | 日常のこと

菅原伝授手習鑑

ようやく涼しくなってきた9月15日、国立劇場に足を運んだ。この日、実は大相撲九月場所の観戦予定とバッティングしてしまい、息子のお守は夫に頼んだ。せっかく桝席が取れたのになぁ……。それでも、どっちを取るかと言われれば、こっちを取るしかないでしょう。神様が同情してくださったのか、この日幕内の相撲は今ひとつピリッとしない取組が多かったようである。

加茂堤の段
後に菅丞相(菅原道真)流罪の原因となる事件が起こる段。丞相に仕える梅王丸と、いわば敵方の左大臣、藤原時平に仕える松王丸が加茂堤でごろんとひと休みしているところから舞台は始まる。そこへ天皇の子、斎世親王に仕えている桜丸がやって来て、2人をまんまと騙してその場から追い払う。斎世親王と菅丞相の養女・苅屋姫は密かに思い合う仲、その逢い引きをお膳立てするためだった。しかし邪魔が入り、恥を晒しては一大事、と若い2人が駆け落ちしてしまったために菅丞相の立場が悪くなる……という前置きである。
 梅王丸、松王丸、桜丸は三つ子の設定なのだが、それぞれ首が異なり、その違いが性格やその後の運命をも違えている、というのが演出の細かさ。桜丸はいかにも優男で、恋女房八重との間もラブラブらしく、これから始まる悲劇を前に観客サービス。文楽を見始めてようやく1年経ったが、本当に組み立てが巧いんですね文楽は。
 姿を消した主を追わなければならない夫に代わり、斎世親王が乗ってきた牛車を御所まで戻さなければならない八重が、女の非力で必死に牛車を引っ張る姿は健気でもありおかしくもあり。女性が重い車を引っ張るシーンは、『摂州合邦辻』の万代池の段でも見たような。こういうのってやっぱり、何か色気をアピールしているんでしょうか。

筆法伝授の段
今回の公演は、昨年亡くなった吉田玉男氏を偲ぶもの。玉男氏が遣っていた人形の役割は、今回、愛弟子の吉田玉女氏が務める。残念ながらとうとう吉田玉男氏の芸は一度も拝見することができなかったので、かつてどう演じられていたのかまるっきりわからないのだが、この菅丞相の役というのは想像以上に困難なものであるということだけは理解できた。
 とにかく、菅丞相は人間離れしており神様のような存在である。動きがほとんどない。じっと佇んでいなければならず、それでいてそこに圧倒的な存在感を醸し出さなければならない。無茶苦茶難しい。第一立ちっ放しじゃ疲れるだろう、なんて庶民の目線で見ていたのだが、正直、私のような凡人にはよくわからないのだった。

それでも、ほかの「役者」が盛り立てるので、菅丞相がいかに偉大な人物であるかはよくわかった。天皇の命により、菅丞相の比類なき「筆法」を後世に伝えるべく、誰かにその技を伝授しなければならないのだが、菅丞相が後継者に選んだのは、勘当中の武部源蔵。弟子となった年数だけは一人前らしい左中弁希世(まれよ)は、自分こそが伝授されるとウキウキ(?)しているが、菅丞相の念頭に希世という候補はなかったらしい。
 源蔵に伝授させまじ、と頑張る希世のえげつない妨害が笑いを誘うが、源蔵にしてみれば、筆法伝授なんてどうでもいいから、何とか勘当を解いて欲しい。しかしそれだけは許さない菅丞相。源蔵勘当の原因となった彼の妻・戸浪が、落ちぶれても菅丞相の御台所から拝受した小袖を身にまとって参上するのがいじらしく、菅丞相のお姿を見たの見られなかったのと夫婦喧嘩するのも可愛らしい。この可愛らしい2人が一途に慕っているのだから、菅丞相は凄い人なんだろう、と、そういう理解の仕方で次の段へ。


築地の段
菅丞相は、養女・苅屋姫と斎世親王をくっつけて、自分が帝位につこうとしている、という疑いをかけられ閉門となる。慕う主君の一大事に駆けつける源蔵夫婦。ここがこの日一番気に入った場面だった。戸浪は手拭(?)を被って色っぽい。源蔵も凛々しい。この2人が、将来的に菅丞相一家に及ぶであろう藤原時平の迫害を予期して、菅丞相の幼い息子、菅秀才を連れて逃げるところが見せ場である。
 菅丞相の屋敷の前、閉ざされた門のところに位置する源蔵が、屋敷の塀の上にいる梅王丸から菅秀才を受け取る。こういう無私の行為って、時代は変わっても泣かせますねぇ。梅王丸が敵方に瓦を投げつけるところも、動きがあってなかなかの見物。このシーンから「寺子屋の段」の悲劇につながるんだな、ということはわかったのだが、残念なことに今回の公演に「寺子屋」は入っていない。チケットを取ってくれた友人は以前見ているそうで、それはそれは名場面だという。あー悔しい。いつか絶対観たいんだけど。

杖折檻の段
ここも泣かせる場面である。菅丞相流罪の原因を作った実の娘の苅屋姫に対し、養い親の菅丞相に面目が立たないと、老いた母、覚寿が娘を杖で打つ。それを姉の立田前が、妹はもはや菅丞相の娘となっているのだから打たせるわけにはいかない、自分を打てと母に迫る。そこに「待った」の声。びっくりして声の行方を辿ると、菅丞相が自ら彫った木像が……。この木像の不思議な現象は、「丞相名残の段」で活きてくる。

東天紅の段
一目見ただけで悪役とわかる宿禰太郎、これが立田前の夫だったとは。認識するのに少々時間がかかってしまったが、こいつがとんでもなく悪い奴で、菅丞相を亡き者にして出世をと目論んでいる。
 鶏が暁の時を告げると菅丞相の出立、そこで東天紅を使って本来の時刻よりも早く菅丞相をおびき出し、密かに暗殺しようという魂胆である。この辺、ちょっと現代人にはわかりづらいが、何とか東天紅を鳴かせようとする太郎と、その父・土師兵衛のやり取りには笑える。
 笑いのシーンとは裏腹に、夫と義父の企てに気づいた立田前が斬り捨てられるところは無惨である。哀れ、立田前は殺され池に投げ込まれる。こんな悪行を許してなるものか、という観客の無念を引きずって、次の段へ。

丞相名残の段
偽のお遣いがやってきて、菅丞相は流刑地に向かって出発する。立田前の姿が見当たらないので一同不審に思っていると、奴宅内が血痕を見つけ、池に飛び込んで立田前の遺体を引き上げる。宅内を演じるのは吉田蓑助氏。悲劇的なシーンにもかかわらず、ユーモラスな仕草で笑いを誘う。覚寿は、娘を殺したのが太郎であると見抜き、油断させておいて刺す。
 本物のお遣いが到着し、菅丞相を連れて行こうとすると、すでに出立した後だというのでモメるが、発ったはずの菅丞相が姿を現しみんな仰天。実は、偽のお遣いが連れて行ったのは木像の菅丞相だった……。
 あれやこれやと大騒ぎの後、悪者の悪だくみは喝破され、本物の菅丞相が本物の出立の時を迎える。ひとめ父に会いたいと願う苅屋姫を伏籠に隠す覚寿だったが、菅丞相に見抜かれる。姫が涙ながらにかける声に振り向く菅丞相、これが今生の別れ……。
 あらすじをいくら書いても、見ない人には何のことだかさっぱりわからないだろうが、菅丞相の神々しさ、彼を取り巻く人々のいじらしさ、律儀さ、は特筆に値する。

それで……
今回、自分の反応に驚いたことがひとつ。夏休み、大阪で住大夫さんの語りを堪能したのだが、今回の『菅原伝授手習鑑』では住大夫さんはいらっしゃらなかった。昼の部の『夏祭浪花鑑』に出ていらっしゃったからである。それでどうしたかと言うと……「物足りなかった」のである。太夫さんの語りは皆素晴らしいものだった、なのに物足りないとはおこがましいが、正直なところ、すっかり住大夫さんにハマッてしまい、あれ、あの語り口を聞かないことには満足できない、と思ってしまったのである。

あー面白かったのに残念だ。文楽って怖いなーと思った次第である。
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by slycat | 2007-09-20 01:30 | 文楽

オーシャンズ13ーおじさんたちの底力

今回の“オーシャンズ”は男臭い映画となっていた。騙されて失意の底にある仲間を救うために、メンバーが立ち上がる。男どもの濃ぉ〜い友情の物語である。

音楽といい、色使いといい、60年代、70年代を意識しており、新作なのになぜか懐かしい雰囲気なのが中年の心をくすぐる。それに何といっても、今回コン・ゲームのきっかけを作るのはエリオット・グールド。もー大好き。今はすっかり太っちゃって、心筋梗塞起こすような役柄がハマってしまうところがやや悲しいが、70年代の彼は、現在のジョージ・クルーニーやブラピにも負けないほど輝いていたんだ。
 『ロング・グッドバイ』『…YOU…』『M★A★S★H』……どれも忘れられない。特に『ロング・グッドバイ』は、エリオット・グールドが原作を朗読した「カセットブック」まで買っちゃったくらい好きである(ただ残念なことに、A、B面とも同じ内容が入っていた! 洋書屋に文句を言って取り替えてもらったのだが、それでもA、B面同じ内容だったので諦めた。アメリカの出版社は何ていい加減なんだ……)。

閑話休題。本作では、オーシャンズが「原点に戻った」のが嬉しかった。正直に言って、2作目は面白かったけれど話がとっ散らかっていた(サイド・ストーリーの占める割合が大きかったでしょう)。今回はほとんど寄り道なし。まっすぐ目的に向かって進み続けるからわかりやすい。
 しかも倒すべき敵は超大物。かかる資金も莫大だ。にもかかわらず、メンバーが損得抜きでコンに取り組むところにグッとくる。

こういう映画の場合、敵役がつまんない人物だと興ざめだが、何と言ってもアル・パチーノが演じてくれるのだから、映画を観る前から面白いに決まっている。これほどの大御所を引っ張り出してきて作品を引き締めるところがニクい。
 さらに、1、2作目から続く因縁の人物たちがちゃっかり顔を出すのも、シリーズならではの嬉しいおまけだ。1粒で二度美味しい、というわけである。

次々出てくるいろんな仕掛けのすべてに意味があり、伏線があるのは1作目から変わらないが、う〜むと唸らされるだけでなく、腹を抱えて笑える設定がいくつもあって、2時間を超える上映時間が全く苦にならなかった。
 特に、アル・パチーノが経営するホテルに「Five Diamonds」賞を取らせまいとするオーシャンズの工作により、とばっちりを受ける格付け調査員が哀れで、可哀相でたまらないのに爆発的に笑わずにはいられない(隣で息子がゲラゲラと笑うこと、笑うこと……。ほかの観客、特に近くに座っていたカップル連が静かだったのは意外だった。デート中は笑わないのか?)。

ほかにも、こんな細かいところまで念を入れるか、という某工作の最中に革命を起こしてしまう双子たちには大いに笑った。1作目からだいぶ大人になったはずなのに未だに坊や扱いのマット・デイモンにもたっぷり笑わせてもらった。
 しかし、本作の主役はオッサンたちである。ジョージ・クルーニーはいい年だし、ブラピも老けた。アンディ・ガルシアにも『ブラックレイン』のときに感じた切ない若さはみじんもない。『ゴッドファザー』で観客を魅了したアル・パチーノも、本作ではつまらん強欲じじいに成り下がった。それでも、彼らが見せる“Good Bad Men”ぶり(あるいはBad Bad Manぶり)には一見の価値がある。円熟の極み、というか、青二才にはとても無理な奥深さ。若さばかりをよしとする日本の映画、ドラマは猛省すべきだと思う。Hurrah for Hollywood! 豪華な舞台だけでなく、俳優の層の厚さに、ハリウッドの底力を見せつけられた。

追記:ひとつショックだったのは、エンドタイトルを見ていたら「AKEBONO」「MUSASHIMARU」と出てきたのに、彼らの姿に全く気づかなかったことである。パンフレットを買ったら、解説を書いている石津文子氏という人も気づかなかったそうなので、私だけじゃなかったんだ、と変に安心したが、悔しいことに息子はちゃんと気づいたそうである。これから観る人は注意して見つけてください。
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by slycat | 2007-08-28 01:23 | 映画