ミステリ・テニス・ハムスター・モルモットについてあれこれと……
by slycat
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タグ:文楽 ( 8 ) タグの人気記事

文雀さん、有難うございました

吉田文雀さんが亡くなった。尊敬する人、愛する人との別れは、長く生きていればいつかはやってくるとはわかっていながら、悲しくて堪らない。

文雀さんが舞台に現れると、途端に空気が引き締まり、清々しくそれでいて柔らかい風が吹く。彼が操る人形は肌に艶を帯び、ものの哀れを語り出す。

文雀さんが人形を遣った作品で大好きだったのは、やはり『葛の葉』と『摂州合邦辻』だろうか。人の姿を借りた狐が、愛する我が子を残して去る決意をしながら去り難く、思いのたけを語る場面の素晴らしさ。流れる涙を止めることすらできなかった。また、玉手御前が実家を訪ねる合邦庵室の段、文雀さんは、玉手御前は本当に俊徳丸が好きなのだ、というスタンスで人形を遣った。お家を守るため、だけではない、悲しい報われない恋心と死の覚悟。文雀さん亡き後、誰がこれを表現できるのだろうか。

文雀さんは、人形を遣うのが大好きだった、幸せだった、と仰り引退なさったが、その「大好き」のお気持ちこそが私たちの心を摑み、自然に物語の中に導いてくださったのだと思う。さようなら、決して忘れません。
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by slycat | 2016-08-22 19:54 | 文楽

えらい商売や

NHKハイビジョン特集『闘う三味線 人間国宝に挑む 文楽 一期一会の舞台』
(2007年6月24日の番組、再放送)

昨日一緒に文楽2月公演を観に行った友人から、今日再放送があるらしい、とメールで教えてもらったので、喜んで見てみた。なかなか内容の濃いドキュメンタリーだった。

2007年5月に東京国立劇場で行われた『文楽太棹 鶴澤清治』において、1日だけ鶴澤清治さんが竹本住大夫さんと共演した。演目は『壇浦兜軍記〜阿古屋琴責の段〜』。公演当日を迎えるまでの様子をカメラが追う(公演内容のほうはDVDとして来月発売になるらしい)。

文楽のことを知りたくて、いろいろと資料を読んでみるが、読んでわかったつもりになって、実は全然理解していないことがたくさんある。番組中で鶴澤清治さんの“悩み”が紹介され、改めて「あっ」と思った。
 そういえば、住大夫さんが語るときは野澤錦糸さん、綱大夫さんは鶴澤清二郎さん、嶋大夫さんのときは竹澤宗助さん、鶴澤清治さんは切場のときに床に上がることはない。四代竹本越路大夫さんの三味線を務めていたときは事情が異なっている。勿論どんな場合でも魂を込めて弾くのだろうが、心中さまざまな想いがあるだろう。こういうことに気づかせてもらえただけで、この番組を見た甲斐があったというものだ。

ビリヤードに興じたり、ご自宅に飾られているものが意外に洋風だったり、と清治さんのふだんの姿が見られたのは面白かった。住大夫さんが仲睦まじく奥様と犬の散歩に出かける場面もよかった。

しかし住大夫さんが文字久大夫さんにお稽古をつけるシーンは、見ているほうがびっくりするほど怖かった。お稽古なのだから厳しくて当然とはいえ、こんなに叱られないと一人前になれないのか……と驚く。住大夫さん、「馬鹿!」までおっしゃいましたからね。
(余談だが、関西の人は「アホ」と言われるより「馬鹿」のほうが堪えるのではないだろうか。親の転勤で大阪の小学校に転校したとき、東京にいた頃と同じように「バッカみたい」と口にしたら、クラスメイトがすーっと引いたのがわかった)

いつも、文楽の舞台はどのように作られるのだろうと興味があったので、(言葉は悪いが)“出歯亀”趣味は大いに満足させていただいた。しかしこんなところまでカメラが入り込むというのは、よくよく考えれば非常に失礼なことであり、よくぞお許しになったものだと思う。これも文楽のため、文楽を後世に遺すため、ということでOKなさったのだろうが、本当に有難いことである。

ふだん一緒に舞台を務めることのないお2人が、お互い相手に“合わせる”ことなく、それでも何とかひとつの舞台を作り上げて行こうとする努力と葛藤。公演直前のリハーサル・シーンには、どんなサスペンス映画も敵わない、鬼気迫る空気があった。

清治さんのまっすぐな視線にグッときた。住大夫さんの仰る「えらい商売」という言葉が心に沁みた。ますます文楽が好きになった。

※ 番組中、1シーンだけ文吾さんが映った。ああこのときはご健在だったのに、と思うと寂しくてならない。改めてご冥福をお祈りする。
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by slycat | 2008-02-10 23:04 | 文楽

文楽と落語の旅 その2

もたもたしているうちに旅行から1週間が経過しているが、物忘れのひどい年代なので、とにかく書いておこう。

11月24日。せっかくの“ヴァカンス”なので、とにかくゆっくりしたかった。今回の宿泊は朝食付きのプランではなかったので、朝起きたら近くの喫茶店にでも行こうかな、などと思っていたが、結局昼頃までホテルでゴロゴロ。部屋を掃除しに来た人に迷惑をかけてしまった(後で出直してもらった)。

昼過ぎ、道頓堀へ向かう。「道頓堀極楽商店街」に行ってみた。横浜の「ラーメン博物館」や東京の「ナンジャタウン」と同様、ビルの中に昭和のレトロなセットが作られ、中に飲食店が入っている。ここの串カツ屋で昼食をとるため、行列に並んだ。随分待たされたので、息子に近くのたこやき屋でたこやきを買って来させ、並んだまま立ち食いした。中身がトロッとしていて美味しかったが、物凄く熱い。小龍包もヤバいが、本場のたこやきは相当危険な食べ物だ。
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並んでいる最中、突然騒がしくなり「戎神社」のところにえびすさん(多分)が出てきて「商売繁盛、笹持って来〜い」と歌いながら広場を回り出した。ほかにも「夫婦善哉」などのアトラクションがあるらしい。
 串カツは、正直言って前回新世界で食べたもののほうが美味しいと思うが、こういう場所なので、家族連れや女性には入りやすいだろう(おかしな話だが、例えば浅草にこういう店があったとしたら、怖くて入れないはずだ。観光で来ていると大胆になるものだ)。
 種類はこちらのほうが豊富で、リンゴを揚げたもの(期間限定)などがあり、息子は4本も食べた(私はビール片手なので甘いものは遠慮した)。
 この「極楽商店街」では入り口で「入館証」を渡され、中の飲食店で飲み食いした代金はそれぞれの店でレシートだけ渡してくれ、退館のときに精算することになっている。串カツ屋の店員さん、レジで会計の際に息子が飲んだ烏龍茶1杯を25杯と打ってしまい、とんでもない金額になったのを慌てて打ち直してくれたが、なぜそうなったのかサッパリわからなかった。気づいてくれてよかった。

館内は華やかだが、外の喫煙所はこんな感じ。昔はよく道端にあったゴミ箱が再現されているのも面白い。
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調子に乗って食べ過ぎたため、文楽劇場のある日本橋までトロトロと歩く。大した距離ではないので消化の助けにはならなかった。
 本日の演目は『源平布引滝』と『曾根崎心中』。16歳とはいえ子連れだと1日ぶっ通しはしんどいので(第1部にすれば『艶容女舞衣』が聴けたのになぁ)、住大夫さんが語る『曾根崎心中』を優先した。
 会場では斜め前方の席に東京の知人が座っていたのでびっくり。歌舞伎はお好きだと聞いていたが、文楽もお好きだったんだ。なお、後で知ったがいつも一緒に東京公演に行く友人は、前日の第1部に出かけたらしい。わざわざ大阪まで来るなんて、道楽者で恥ずかしいなぁと思っていたが、なーんだ、みんなやってることなのね。少し安心した。

源平布引滝
〜音羽山の段〜
平重盛の命を受けて鳥羽離宮に行こうとしていた琵琶法師、松波検校。途中案内に雇った男が実は盗賊で、鳥羽ではなく音羽山の奥まで連れて来られ、挙げ句の果てに身ぐるみはがれて斬られてしまう。そこに打倒平家を目論む多田蔵人行綱が通りかかり、賊を殺して松波検校を介抱するものの傷は深い。検校も源氏にゆかりの者、行綱が検校の姿となって離宮に入り、主君の仇を討つという言葉に喜んで死んでいく。

盗賊がいかにも悪そうな顔で、あぁ目が見えていれば騙されることもなかったのに、と検校が哀れ。検校と行綱の首はともに「検非違使」で、顔がそれなりに似ている、ということなのだそうだ(息子が聞いていたイヤフォンガイドの解説から受け売り)。

〜松波琵琶の段〜
検校の格好をしてまんまと行綱が鳥羽離宮に入り込むと、そこには先に様子を探るため奉公していた娘、小桜が。同様に離宮にいた妻は、平清盛を討とうとして失敗、すでに世を去っていたということが判明する。「もうこれからはなお大切な父上、もしおかか様のやうに見つけられ悲しいお別れをせうかと、そればつかりが案じられます」と嘆く愛らしい我が子に心打たれるが、気持ちを励まして任務遂行に向かう。
 一方、庭では3人の仕丁(下僕)たちが落ち葉を掃いている。寒いので落ち葉を集めて焚火を焚き、温々と暖まっていたところ、宮の局に叱られ大慌て。しかしその後別の局がやって来て、法皇が「詩心がある」とお褒めになったとお酒を持って来てくれたので、喜んで酒盛りとなる。
 小桜が登場して3人に法皇がくださった歌を持って来ると、急に仕丁の1人、平次が小桜を捕まえ、お前の父親は多田蔵人行綱だろう、とネチネチ絡み出す。ほかの2人はそれぞれ笑い上戸、泣き上戸のようで笑いを誘うのだが、平次の絡みは酔っぱらいのそれを超えて徐々に険悪になり、ただならぬ雰囲気になっていく。
 実はこの仕丁、難波六郎という平家の武士だったらしい。源氏が密偵を送り込めば、当然ながら平家も手を打っているということなのだろう。執拗に父の名を言え、と小桜を縛り上げ、叩く。緊迫する場面に、だんだん居心地が悪くなってくる。直前の場面がおふざけだったので、余計にキツいのである。
 奥のほうから現れた行綱、娘のピンチに正体を明かすこともできず、轟く胸の痛みに耐え兼ねている。ここで極悪非道の難波六郎が、一度琵琶を聞いてみたかった、弾いてみろ、と抜かす。琵琶というものは弾き手の心が現れるものだということで、こんな状況で弾いたら何もかもおしまい……しかし、ぐっと堪えて行綱は琵琶を弾き始める。このときの演奏の見事なこと。後で聞いたら、人生経験の少ない16歳の息子でさえ心を揺さぶられたそうだ。
 しかし行綱の頑張りもここまで。拷問に耐え、決して口を割らない娘の健気な姿にいてもたってもいられなくなり、娘に駆け寄る行綱。正体がばれてしまい、その場を逃げ出す。そりゃーそうだよね、ここで見殺しにするようでは人の道に外れてしまう。

〜紅葉山の段〜
逃げる行綱を追う平氏側の武士たち。そこへ平重盛が登場、決着は戦場でつけよう、ということで、その場は逃がしてくれるようだ。話の全貌はよくわからないものの、この重盛もひとかたならぬ人物、なのだろう。

ここで休憩。息子の希望で1階へ下り、お茶処でおうすをいただく。喉がカラカラになったそうだ。『曾根崎心中』に備えて私はコーヒーを追加、一服してから席に戻った。

曾根崎心中
〜生玉社前の段〜
あまりにも有名なお初、徳兵衛の心中、なぜ2人が心中しなければならなかったのか、その原因が語られる段。平野屋の手代、徳兵衛は、主人の姪との間に縁談が持ち上がっており、持参金として義母が2貫目の金を受け取っていた。彼には天満屋の遊女、お初という恋人があったため、義母から金を取り戻し、主人に返すつもりだったのだが、友人の九平次にその金を貸してしまっていた。徳兵衛が生玉社の前でお初に事情を話していたところへ、九平次が登場。借金の返済を迫ると、借りた覚えはないと言われ、かえって証文を偽造したと言いがかりをつけられ、公衆の面前で恥をかかされた上にボコボコにされる。

〜天満屋の段〜
今回、ここが観たくて大阪まで来たのだった。お初が務める天満屋に、徳兵衛が訪ねてくる。昼間の騒ぎはすでに評判となっており、お初は着物の裾に徳兵衛を隠してこっそり店の中に連れて行き、縁の下に導く。そこへまたまた九平次がやって来て、さんざん徳兵衛の悪口を言う。
 ここでお初がきっぱりと、徳兵衛は人を騙すような男ではない、と語りながら、足下の徳兵衛にもはや自害しか身の潔白を証明する術はない、と伝えるところが見せ場。徳兵衛もお初の気持ちに応え、彼女の足首を自分の喉にあてて、死の覚悟を示す。
 文楽ではふつう女性の人形に足はないのだが、お初ちゃんは特別(ちなみにさっきの小桜ちゃんには足があったが、あれも特別なのだろう。木に吊るされるので……)。この演出を考えたのが吉田玉男さんだそうで、どういう風に演じられるのか、観てみたかった。本物の人間の足だったら気恥ずかしいかもしれないが、人形の足はあくまで白く、硬く、清潔感があり、しみじみと悲壮な決意が伝わってくる。
 この後、店が閉まってみんなが寝静まった頃、お初が2階から下りてきて(というか、落ちて)徳兵衛と2人、外に出て行くところでもう一度サスペンスがある。

〜天神森の段〜
天満屋を去った2人が辿り着いたのが天神森。「あの世に行ったら自分の両親に会えるだろう」という徳兵衛に、「自分の親はまだ健在なので、自分の心中沙汰を噂に聞くことになるだろう」というお初がいじらしい。舞台の書き割りにあったお星様が何だか邪魔だったが、美しく悲しい場面で、最後に2人が死ぬところは、自分でもその瞬間まで気づかなかったほど突然に感情が動いて、どっと涙が溢れた。

住大夫さんは『文楽のこころを語る』や『言うて暮しているうちに』の中で、近松は字余りだ、語りにくい、あんまり好きじゃない、とたびたびおっしゃっているが、それでもなお、お初の健気さ、愛情の深さ、そして強さがじわじわと伝わってきて満足した。少しお声に元気がないように思ったのは気のせいだろうか。
(実はこの日、ホテルに帰って夕刊を開いたら文楽界の不祥事が報道されており技芸員さんたちには大変な衝撃だったことと思われる。そのまっただ中で語り、人形を遣い、三味線を弾いてくださった皆さんに、お礼を申し上げたい)

不祥事のことなど何も知らず、再び道頓堀のほうへ歩き、一度行ってみたかったお店「たこ梅」に入った。実は夏にも行ってみたのだが、残念ながら改装中だったのである。昼間に食べ過ぎていたのでそんなに空腹ではなかったのに、カウンターに座るとあれもこれも試してみたくなってしまい、財布にも胃袋にも痛手だった。生まれて初めて「さえずり」を食べました。美味。
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ホテルに戻り、テレビで相撲の結果を確認したら、魁皇が苦しい中、必死の相撲で勝ち越し、カド番を脱していた。バンザ〜イ。翌日は東京に帰らなければならないので、これ以上の夜更かしは避けて眠りにつく。
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by slycat | 2007-12-01 06:24 | 旅行

NHK『日本の伝統芸能』文楽入門

先月、たまたま土曜日の午前中にテレビをつけたら、いきなり「竹本住大夫/吉田文雀の文楽入門」をやっていたので慌てて録画。何でこんな時間に放送するんだろう、土曜日といえばふだんは昼頃まで寝ているし。
 その日ですでに第4回、残りあと1回だった。ドラマやバラエティの宣伝には熱心なのに、こんなことじゃー困るなぁ、とブツブツ文句を言ったものだが、番組そのものはとても面白く、ついに観ることのできなかった吉田玉男さんの技も垣間見ることができた。

住大夫さんは『文楽のこころを語る』(文藝春秋)という本で、どのようなお気持ちで演じているか、どんな作品がお好きか、など語っていらっしゃる。でもテレビのよいところは、文楽の一場面が映像として目の前にあり、画面に伴って「このときは、私は玉男さんの動きは見ていません。玉男さんも私に合わせているわけではありません。勝手にやっていて、合うんです」などとご本人の解説が入るという点。私のように理解力の足りない人間にも、わかりやすい。

最後の回では、12月の「文楽鑑賞教室」でも予定されている『伊賀越道中双六』沼津の段が紹介された。「世話物」を解説する回だったのだが、「時代世話」(と言うのだと、番組中に大夫さんがおっしゃった)を選ばれるところが住大夫さんらしい(のかもしれない)。
 『文楽のこころを語る』の中でも「大夫冥利につきます」とおっしゃっており、相当お気に入りなのだろう。ひとつひとつの演じ方について、本当にこのお芝居を愛しているんだなーと感じさせる解説で、聴いていて心地よかった。
 ふだんお声を聴くことのない文雀さんが人形の動かし方について語ってくださるのも収穫だった。へぇぇ、そうだったのか、なるほど、そうなるのか、とうなずいてばかり。この番組を第1回から通して見ることができなかったのが口惜しい(再放送してくれ〜)。

さんざん悩んだ挙げ句、11月の連休を利用して、大阪公演に行くことにした。子連れで1日通して観るのも何だから、第二部の公演を選んだのだが、残念ながら住大夫さんは『曾根崎心中』があまりお好きではないらしい。でも、お好きでないものをどう語られるのか、それにもちょっと興味がある。
 交通費に宿代と、正直言って財布にはかなりの打撃だが、気分が乗っているうちに大いに楽しみたいと思う。地下鉄の乗り換えにも慣れたし。

まだ1ヵ月以上も先の話だが、今からソワソワしている。ふだん滅多に旅行なんてしない者を年に2回も旅立たせるとは、ホント魅力ある芸能です、文楽って……。
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by slycat | 2007-10-09 19:11 | 文楽

菅原伝授手習鑑

ようやく涼しくなってきた9月15日、国立劇場に足を運んだ。この日、実は大相撲九月場所の観戦予定とバッティングしてしまい、息子のお守は夫に頼んだ。せっかく桝席が取れたのになぁ……。それでも、どっちを取るかと言われれば、こっちを取るしかないでしょう。神様が同情してくださったのか、この日幕内の相撲は今ひとつピリッとしない取組が多かったようである。

加茂堤の段
後に菅丞相(菅原道真)流罪の原因となる事件が起こる段。丞相に仕える梅王丸と、いわば敵方の左大臣、藤原時平に仕える松王丸が加茂堤でごろんとひと休みしているところから舞台は始まる。そこへ天皇の子、斎世親王に仕えている桜丸がやって来て、2人をまんまと騙してその場から追い払う。斎世親王と菅丞相の養女・苅屋姫は密かに思い合う仲、その逢い引きをお膳立てするためだった。しかし邪魔が入り、恥を晒しては一大事、と若い2人が駆け落ちしてしまったために菅丞相の立場が悪くなる……という前置きである。
 梅王丸、松王丸、桜丸は三つ子の設定なのだが、それぞれ首が異なり、その違いが性格やその後の運命をも違えている、というのが演出の細かさ。桜丸はいかにも優男で、恋女房八重との間もラブラブらしく、これから始まる悲劇を前に観客サービス。文楽を見始めてようやく1年経ったが、本当に組み立てが巧いんですね文楽は。
 姿を消した主を追わなければならない夫に代わり、斎世親王が乗ってきた牛車を御所まで戻さなければならない八重が、女の非力で必死に牛車を引っ張る姿は健気でもありおかしくもあり。女性が重い車を引っ張るシーンは、『摂州合邦辻』の万代池の段でも見たような。こういうのってやっぱり、何か色気をアピールしているんでしょうか。

筆法伝授の段
今回の公演は、昨年亡くなった吉田玉男氏を偲ぶもの。玉男氏が遣っていた人形の役割は、今回、愛弟子の吉田玉女氏が務める。残念ながらとうとう吉田玉男氏の芸は一度も拝見することができなかったので、かつてどう演じられていたのかまるっきりわからないのだが、この菅丞相の役というのは想像以上に困難なものであるということだけは理解できた。
 とにかく、菅丞相は人間離れしており神様のような存在である。動きがほとんどない。じっと佇んでいなければならず、それでいてそこに圧倒的な存在感を醸し出さなければならない。無茶苦茶難しい。第一立ちっ放しじゃ疲れるだろう、なんて庶民の目線で見ていたのだが、正直、私のような凡人にはよくわからないのだった。

それでも、ほかの「役者」が盛り立てるので、菅丞相がいかに偉大な人物であるかはよくわかった。天皇の命により、菅丞相の比類なき「筆法」を後世に伝えるべく、誰かにその技を伝授しなければならないのだが、菅丞相が後継者に選んだのは、勘当中の武部源蔵。弟子となった年数だけは一人前らしい左中弁希世(まれよ)は、自分こそが伝授されるとウキウキ(?)しているが、菅丞相の念頭に希世という候補はなかったらしい。
 源蔵に伝授させまじ、と頑張る希世のえげつない妨害が笑いを誘うが、源蔵にしてみれば、筆法伝授なんてどうでもいいから、何とか勘当を解いて欲しい。しかしそれだけは許さない菅丞相。源蔵勘当の原因となった彼の妻・戸浪が、落ちぶれても菅丞相の御台所から拝受した小袖を身にまとって参上するのがいじらしく、菅丞相のお姿を見たの見られなかったのと夫婦喧嘩するのも可愛らしい。この可愛らしい2人が一途に慕っているのだから、菅丞相は凄い人なんだろう、と、そういう理解の仕方で次の段へ。


築地の段
菅丞相は、養女・苅屋姫と斎世親王をくっつけて、自分が帝位につこうとしている、という疑いをかけられ閉門となる。慕う主君の一大事に駆けつける源蔵夫婦。ここがこの日一番気に入った場面だった。戸浪は手拭(?)を被って色っぽい。源蔵も凛々しい。この2人が、将来的に菅丞相一家に及ぶであろう藤原時平の迫害を予期して、菅丞相の幼い息子、菅秀才を連れて逃げるところが見せ場である。
 菅丞相の屋敷の前、閉ざされた門のところに位置する源蔵が、屋敷の塀の上にいる梅王丸から菅秀才を受け取る。こういう無私の行為って、時代は変わっても泣かせますねぇ。梅王丸が敵方に瓦を投げつけるところも、動きがあってなかなかの見物。このシーンから「寺子屋の段」の悲劇につながるんだな、ということはわかったのだが、残念なことに今回の公演に「寺子屋」は入っていない。チケットを取ってくれた友人は以前見ているそうで、それはそれは名場面だという。あー悔しい。いつか絶対観たいんだけど。

杖折檻の段
ここも泣かせる場面である。菅丞相流罪の原因を作った実の娘の苅屋姫に対し、養い親の菅丞相に面目が立たないと、老いた母、覚寿が娘を杖で打つ。それを姉の立田前が、妹はもはや菅丞相の娘となっているのだから打たせるわけにはいかない、自分を打てと母に迫る。そこに「待った」の声。びっくりして声の行方を辿ると、菅丞相が自ら彫った木像が……。この木像の不思議な現象は、「丞相名残の段」で活きてくる。

東天紅の段
一目見ただけで悪役とわかる宿禰太郎、これが立田前の夫だったとは。認識するのに少々時間がかかってしまったが、こいつがとんでもなく悪い奴で、菅丞相を亡き者にして出世をと目論んでいる。
 鶏が暁の時を告げると菅丞相の出立、そこで東天紅を使って本来の時刻よりも早く菅丞相をおびき出し、密かに暗殺しようという魂胆である。この辺、ちょっと現代人にはわかりづらいが、何とか東天紅を鳴かせようとする太郎と、その父・土師兵衛のやり取りには笑える。
 笑いのシーンとは裏腹に、夫と義父の企てに気づいた立田前が斬り捨てられるところは無惨である。哀れ、立田前は殺され池に投げ込まれる。こんな悪行を許してなるものか、という観客の無念を引きずって、次の段へ。

丞相名残の段
偽のお遣いがやってきて、菅丞相は流刑地に向かって出発する。立田前の姿が見当たらないので一同不審に思っていると、奴宅内が血痕を見つけ、池に飛び込んで立田前の遺体を引き上げる。宅内を演じるのは吉田蓑助氏。悲劇的なシーンにもかかわらず、ユーモラスな仕草で笑いを誘う。覚寿は、娘を殺したのが太郎であると見抜き、油断させておいて刺す。
 本物のお遣いが到着し、菅丞相を連れて行こうとすると、すでに出立した後だというのでモメるが、発ったはずの菅丞相が姿を現しみんな仰天。実は、偽のお遣いが連れて行ったのは木像の菅丞相だった……。
 あれやこれやと大騒ぎの後、悪者の悪だくみは喝破され、本物の菅丞相が本物の出立の時を迎える。ひとめ父に会いたいと願う苅屋姫を伏籠に隠す覚寿だったが、菅丞相に見抜かれる。姫が涙ながらにかける声に振り向く菅丞相、これが今生の別れ……。
 あらすじをいくら書いても、見ない人には何のことだかさっぱりわからないだろうが、菅丞相の神々しさ、彼を取り巻く人々のいじらしさ、律儀さ、は特筆に値する。

それで……
今回、自分の反応に驚いたことがひとつ。夏休み、大阪で住大夫さんの語りを堪能したのだが、今回の『菅原伝授手習鑑』では住大夫さんはいらっしゃらなかった。昼の部の『夏祭浪花鑑』に出ていらっしゃったからである。それでどうしたかと言うと……「物足りなかった」のである。太夫さんの語りは皆素晴らしいものだった、なのに物足りないとはおこがましいが、正直なところ、すっかり住大夫さんにハマッてしまい、あれ、あの語り口を聞かないことには満足できない、と思ってしまったのである。

あー面白かったのに残念だ。文楽って怖いなーと思った次第である。
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by slycat | 2007-09-20 01:30 | 文楽

大阪ジタバタ記 その2

移動と野球の応援で疲れ、ぐっすり眠って大阪第2日を迎える。ホテルの朝食(バイキング)は激しく不味かった。何よりコーヒーが煮詰まっていたのには腹が立ったが、宿泊費が格安なのでこんなものかと諦め、のんびり外に出る。小6のとき訪れて以来の大阪城に向かった。

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大阪に来てひとつ驚いたのは、地下鉄が縦横に走っていて物凄く便利な半面、1区間当たりの金額が高いこと。東京の都営地下鉄でさえ初乗り170円なのに、大阪市営地下鉄は200円である。ちょっと乗り降りすると、結構な金額となりイタい。
 しかし、うまくできているもので、「一日乗車券」というのがちゃんと売られている。駅売店で買えるし、切符の自動販売機でも買える。地元の人なら、1駅や2駅くらいなら電車になど乗らずに歩くのだろうが、土地勘がない観光客は地下鉄に乗ったほうが確実に目的地に行けるので、このパスは非常に有難い。しかも850円。買わない手はないでしょう。

台風が近づいているため湿度が上がり、陽射しも強かったが、お城の周りはきれいに整備され、ちょっとした都会のオアシスといった感じである。「この辺に勤めている人はいいね〜」などと言いながら歩く。

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天守閣に上るのに、5Fまでしかエレベータが使えず参った。最上階までは自分の足で階段を上らなければならない。ふだんの運動不足がたたってへとへとに。それでも、てっぺんに上ると風が吹いて爽やかな気分になった。

難波に戻り、公約どおり自由軒に向かう。織田作之助が毎日のように通ったという店は、レトロな感じが残っており、来てよかったなぁと思わせる。
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写真を撮る前にうっかりかき混ぜてしまったが、ご承知のように、カレーソースをまぶしたご飯の真ん中には、生卵が載っていた。息子を見て、お店の人が「辛いけれど大丈夫ですか?」と訊いてくれたが、心配ご無用。私の分まで1.5人前食べた。家でハムスターの餌係を務めるおじさんのために、5人前セットのお土産も買って行く。
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その後は道頓堀をぶらぶら歩き、法善寺横町を目指す。水かけ不動尊にお参りしておみくじを引いたら「凶」が出てがっくり。息子は小吉だった。そしてこれも公約どおりに夫婦善哉の店に入りぜんざいを食べる。森繁久彌や淡島千景の書、映画のパンフレットが額に入れられ飾られている。ぜんざい(東京では田舎しるこ、と呼ぶようだ)はお椀2つ分合わせても多過ぎる量ではなく、甘過ぎることもなく、歩き回って疲れた身体を癒してくれた。お椀に1つずつ入った白玉が可愛い。
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再び道頓堀を歩き、食いだおれ人形や「グリコ」を見て、心斎橋方面に進む。途中、昔よく母が昆布を買っていた店があり懐かしかった。吹田(関大前)からわざわざここまで来ていたのだから、よほどよい品を扱っているのだろう。
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のんびりとではあるが1日歩き回って、最後はお楽しみ、国立文楽劇場。午前の部から三部通して観ようかな、とも思ったのだが、その辺は食い意地に負けて夜の部だけにした。
 東京の「小劇場」と違い、大阪の国立文楽劇場は大きい。エスカレータで2階に上がる。夕食の時間がとれないので息子には劇場で売られている幕の内弁当を買ってやり、自分は公演が終わってから考えることにして上演を待つ。息子にイヤフォンガイドを借りてやろうとしたら、「わかるからいい」と断られた。座席は中央9列目。公演日直前にチケットを入手したのに、こんなにいい席が残っているなんて夢みたいである。
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契情倭荘子 蝶の道行
相思相愛だったのに、主君の身代わりで亡くなった男女が蝶になって舞う、というもの。若手の太夫さんがずらりと並ぶ。太夫さん紹介の際、拍手が少ないのが気になった。大阪のお客さんはシビアなようだ。若手の人は、いつか自分も割れんばかりの拍手を貰おう、と修行に励むのだろうか。東京のお客さんがまんべんなく拍手するのを、どう思っているだろうか(案外、もののわからん客ばっか、と馬鹿にしてるのかなぁ……)。
 前半は明るい舞台で人形の着物もきれい、在りし日の恋の思い出が表現される。非常にきれいだが、だんだん眠たくなってきた。右隣の息子は初めての文楽鑑賞で興味津々、歩き疲れているはずだが若いので全然眠くなかったそうである。ハッと気づくと後半に差し掛かるところで、きれいな着物が一転して墨模様の白装束に変わった。ここからは飛ぶのも苦しそうになり、観ているほうもつらくなる表現。居眠りしてしまったので恥ずかしく、終わったときは正直に言ってほっとした。

伊勢音頭恋寝刃
休憩時間が20分もあって有難い。息子には弁当を食べるように言って、自分は売店のコーヒーを飲みながら一服。恥ずかしながらいまだスモーカーである私には、ちゃんとした喫煙所が設けてあることに感激する。中で煙草を吸っていたのは男性ばかりで少し居づらかったが、仕方がない。次の演目では絶対に眠りたくないんだもの。
 ついでに、断られたがやっぱりきちんと内容を理解してもらおうと、息子のためにイヤフォンガイドを借りる。息子がロビーに出て来て、「ええぇ〜借りたの? 550円もかかるのに勿体ない」などと言うが無視。そのケチな息子にねだられて売店で饅頭を買わされる。1個300円って。美味しいんだろうけれど、こっちのほうが高くないか? 2個買わされて、何となく納得できない母であった。

〜古市油屋の段〜
竹本住大夫さん、野澤錦糸さんに、今度は割れんばかりの大拍手。仕方ないのかなぁ、だって全然眠くなんてならないもの。

元侍の福岡貢は現在は伊勢神宮で禰宜を務める。主がなくした銘刀「青江下坂」を入手したものの、折紙(鑑定書)がない。遊郭「油屋」の上客、岩次が持っているらしい、ということで、恋仲である油屋の女郎お紺にそれとなく岩次を探るよう頼んでいる。「古市油屋の段」は、お紺が貢のため岩次になびこうと決意するところから始まる。
 住大夫さんの熱演のおかげでお紺のいじらしい気持ちが痛いほどよくわかるのに、何じゃい貢はっ! ホント、男って昔も今も変わらないわねぇなどと思いながら舞台に集中しようとすると、隣で息子がゲラゲラ笑っている。お鹿が貢に扇子で叩かれるシーンなどは弾けるように笑っていた。
 後で「何笑ってたの」と訊いたら、「イヤフォンガイド、お福の頭の説明とかさぁ〜。それに万野のことを“本当に嫌なババァなんです”とか言うんだもん」。なるほど、解説も東京とは違うらしい。「それに喜助が見てるのに全然気づかずに岩次が刀をすり替えたりして……貢は鈍いしさぁ」。いろいろとウケる要素があったようである。
 お紺が自分を見限って岩次に乗り換えたと勘違いしている貢に、情け容赦なく追い打ちをかける遣手・万野のすさまじさ。貢に向かって「斬れるものなら斬ってみろ」と煽る場面は客席も爆笑である。さすがに吉田蓑助さん、動きのキレは抜群。住大夫さんもよくまぁこれほど憎々し気に語れるものだと感服した。

〜奥庭十人斬りの段〜
ここからは豊竹咲大夫さん、鶴澤燕三さんに交替である。喜助の機転で正しく下坂を持って帰ったのに、中身を見もせず貢が血相を変えて油屋に欠け戻って来る。さぁ〜ここからが惨劇の始まり始まり。どんな演出なのか全然知らなかったので、腰が抜けるほど驚いた。隣では息子も飛び上がった。こ、これは……。貢が髪振り乱し、血まみれになって、刀をかざしつつ進んでいく様は、血も凍る迫力である。
 見終わった後、息子が、最初は貢の額にも血がついていた、と言うのだが、コンタクトレンズを入れていても目が悪い私にはそこまで見えなかった。終わりのほうではそんなものはなかったと思う。いずれにせよ、最初は一筋だった返り血がどんどん増えるなど、芸が恐ろしく細かかったのは間違いない。

「あ〜〜面白かった。また観たい」。せっかく大阪まで来て、もし「つまらない」と言われたら親もがっかりだなーと思っていたのだが、我が子の口からこういう言葉が出てきて、ことのほか嬉しかった。東京での公演は、一緒に観に行く人が決まっているので連れて行ったことがなかったが(9月のチケットもすでにゲット)、今度は日を改めて連れて行ってやろうかな、などと思った次第である。

そんなこんなで日が暮れて、大阪第2日はおしまい。夕食を食べ損なった母は、谷町九丁目の地下にある「成城石井」(東京のスーパーじゃん!)でますの寿司(富山じゃん!)を買ってホテルの部屋で食べたのだった(勿論、息子に半分持って行かれた……)。
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by slycat | 2007-08-05 23:28 | 旅行

通し狂言 絵本太功記〜こってりと盛り沢山

通し狂言『絵本太功記』  於:三宅坂 国立劇場小劇場

爽やかなそよ風が吹く週末、文楽五月公演に出かけた。14年ぶりの通しでの上演らしいのだが残念ながら第一部だけ観る。席は前から6列目、太夫さんたちのすぐ左である。
 今回、初めて「三番叟」を観ることができた。今まで、午後からの部ばかり観ていたため、上演前にこのような踊りが披露されることすら知らなかったのである。友人によれば舞台のお浄めの意味があるということだ。
 詳細はよくわからず、何の人形かもわからないのだが、冠っている帽子が何だかエキゾチック(虎のような縞に赤い丸がついている)。衣装は黒。袖の形から武士などではなく、宮中に関係する人なのかな。後でちゃんと調べよう。
 一人で操作する小さめの人形だが、踊りの際の袖の処理を観ていて、ああ着物の国ならではの動きだ、と思った。

発端 安土城中の段
こういう始まり方を観るのは初めてで、幕が開くと最初から登場人物の人形がでんと控えているのだが、主遣いの人がおらず、人形1体に2人ずつ。太夫さんも姿を見せない。
 泉州妙国寺から植え替えた蘇鉄の木が、毎晩「妙国寺へ帰らん、返せ返せ」とうるさく吠えるので、尾田春長(織田信長)が捕まえてあった僧を引っ立ててさんざん侮辱するのを武智光秀(明智光秀)が諌めると、かえって主の怒りを買い頭をバシバシ叩かれる、というシーン。現代の私たちが見ても「わーこれっていじめ。陰湿!」と思うのだから、この後本能寺の変に至る「発端」としてはなかなか天晴。

最近、ケーブルテレビで毎晩『人形劇 三国志』を見ており、息子とともにはまって原作の「演義」も読み返したのだが、この中でも横暴な主がいると、部下の者が「臣には礼を以てあたれば、臣もまた忠をもって返す」とたしなめる。
 たとえ組織のてっぺんにいる者でも、礼を忘れては人心が離れていくのは昔から世の常、人の常。春長が礼を欠いており、君主にふさわしくない人物であると納得されなければ(人形の頭は明らかに「悪い奴」だから皆すぐ理解するんだろうけれど)、光秀はただの謀反人、不忠の輩になってしまうので、当然だめ押しが続く。

二条城配膳の段
春長の子が朝廷から位を授かることになり、勅使のおもてなし役を光秀と森の蘭丸が務めることになっている。日頃から光秀の忠誠心に疑いを抱く春長にそそのかされた森の蘭丸が、お膳を運んできた十次郎(光秀の子)にいちゃもんをつけ、その上悪口雑言。さすがに怒った光秀を春長がねじ伏せ、そればかりか蘭丸に十次郎の前で光秀を打つように命じる。これも凄く陰湿な感じである。
 蘭丸に扇でさんざん打たれ、冠っていた烏帽子が落ちると、光秀の額には傷ができ、ぬぐう懐紙には血が滲んでいる。それでもじっと耐える健気な光秀を、春長は二条城から追い出す。このむごい仕打ちのお蔭ですっかり光秀の味方になり、次の段へ。

千本通光秀館の段
光秀の館で妻の操が、夫が無事大役を果たせるよう祈っていると、光秀親子が早々に帰ってくる。二条城で起こったことを聞き、家臣の田島頭(金時という頭らしい、顔が真っ赤でど派手な衣装)がいきり立ち蘭丸を討つと言うと、九野豊後守(白い顔、舅というらしい)がこれを止める。
 光秀はあれほどのいじめを受けながらも忠誠心篤く、春長はああいう気性だし、蘭丸は主人の言いつけ通りにしたまで、とただ耐えている。そこへ突然春長からの使者が到着し、中国地方への出陣と領地替えを命じられる。今住んでいる領地からは即刻出て行くように言われ、「委細承知」と答えるものの、さすがに「どうする? 光秀!」という感じ。
 ここで家臣の田島頭が喚き出し、しきりに謀反を勧めるのに対して、豊後守は「反逆謀反の輩が本意を達せし例はなし」と思いとどまらせようとする。沈黙する光秀。
 しばらく沈黙を続けた後、いきなり光秀が豊後守の首を刎ねてしまい、びっくり仰天した。これが「謀反の門出」となるのだが、えー何もそんな殺さなくても、と戸惑う。血気にはやる者の言葉に煽られて正しいこと(後世の人間から見れば)を言っているほうを斬ってしまうとは……。これはやっぱり、いくらお芝居とはいえ謀反を正当化するわけにはいかないから?ですか。

六月二日 本能寺の段
阿野の局、蘭丸とともに酒宴に興じる春長。訪ねてきた孫がおねむになったので春長らが宴をお開きにして去ると、蘭丸と腰元しのぶとが恋人たちのうれし恥ずかし恋のシーンを披露する。繰り返しいじめのシーンを見せられてきた観客にとってもしばし憩いのひととき(?)である。しかし当然のことながら、これは嵐の前の静けさ。夜も更けた頃、突然光秀謀反の報せが入り、寝間着姿の蘭丸、力丸(蘭丸の兄弟)が刀をとって応戦するも、多勢に無勢。女だてらに薙刀で敵を切り伏せ負傷した阿野の局(非常に格好いい)に別れを告げ、春長は覚悟を決める。
 可哀相なのはしのぶで、兄齋藤蔵之助が光秀方についたために自害、臨終の際に蘭丸と夫婦にしてもらったのがせめてもの救いだが、先ほど恋する乙女の可愛らしい姿を見ている者には同情を禁じ得ない。

ここでいったん休憩。天気がよいので劇場の外に出て、ベンチに座りコンビニで調達したおにぎりを頬張る。ふと足下を見ると雀が何羽もやってきて、もの言いた気な顔でこちらを見ている。周りを見渡すと、やはり外で昼食をとろうと出てきた人たちがパンくずなどを与えている。
「雀もランチタイムだって知ってるんだねー」などと友人と話しながら、ご飯粒を投げれば、我れ先にと雀が寄ってくる。国立劇場の隣のビルに巣を作っているらしく、餌をゲットすると巣に飛んでいく。久しぶりに野生の生き物と触れ合った、心和むひとときでありました。

六月五日 局注進の段
六月三日、四日のお話が飛んでいるので、ここからのお話がよくわからない。腹がふくれると眠気が襲い、ますます頭が混乱する。舞台は真柴久吉(羽柴秀吉)の陣に移り、そこへ久吉が攻めている清水長左衛門の使者と名乗る僧と娘が訪ねてくる。娘、玉露は久吉の陣に入り込んでいる浦辺山三郎に会いに来たのだが、山三郎は久吉を討つ気持ちは失せ、自害を決意している。何だかよくわからないうちに話が進み、とにかく久吉というのはなかなかの大人物なんだな、ということだけを理解する。山三郎と玉露は、久吉から書状を受け取り郡家に帰る。
 そこへ阿野の局が光秀の謀反と主君の死を告げに辿り着き、久吉は愕然とするが、ひとまずは混乱を避けて春長の死を秘密にしようとする。

長左衛門切腹の段
春長の死を立ち聞きした僧、安徳寺恵瓊が早速郡氏に報せようとするところ、久吉に呼び止められる。久吉が投げつけた袈裟は、以前自分が「天下を取るであろう」と与えたものだった。
 山三郎からの書状を読んだ長左衛門(吉田文吾さん、さすがにお顔を覚えた)は、味方の助命を条件に切腹。久吉と和議を結んだ援軍郡方の小梅川隆景に子を託し、安心して息を引き取る。

妙心寺の段
光秀が陣を構える妙心寺。光秀の母(吉田文雀さん)は主君を討った息子を許せず、“浅ましき”姿で寺を立ち去る。すかさず光秀が「母人の御行方何処までも見届けよ。御手道具の用意、用意」と宣えば、家来が一斉に箪笥、長持その他もろものを担いで後を追う。行列の最後の者は手桶に飯台(たらい?)まで持っており、ここでドッと観客が大笑い。私はボーッと観ていて笑い損なったが、別に笑ってもいいんだよね?
 母に拒絶され、ひとり主君殺しの罪に悩む光秀は、唐紙に辞世の句を書き残すと切腹をせんとする。「順逆無二門、大道徹心源、五十五年夢、覚来帰一元」。さらさらと文字が書かれるところはお見事。友人が隣から双眼鏡を貸してくれたのでくっきり見えた。
 と、そこへ立ち聞きしていた(またもや……立ち聞きする登場人物が異常に多いね)田島頭が飛び込んで来て、自害なんて馬鹿馬鹿しいと説得する。心の迷いを振り切った光秀は栗毛の馬に跨がり都に向かうのだった。

これからいいところ、なのに途中で席を立つのは無念だが、正直言って第一部だけでどっと疲れた。光秀らの人形が「でか!」と驚く大きさで、その人形がひらりと馬に飛び乗るところなど動きがあって面白かったし、いつにも増して豪華な舞台セット、何人もの人物が入り乱れる複雑な筋書、恋あり、親子の情ありと盛り沢山でお腹がいっぱいである。
 人形の数も多かったが、今回は「東西、と〜ざぁ〜い」の口上を務める黒子さんが交替で3人くらいいらっしゃった(ひとりは太夫さんの名前を告げる際、「噛んで」しまった)のも珍しかった。

劇場の右側に座り、舞台中央を観ようとする位置に、座高の高い男性が座っていて頭が邪魔で困ったのだが、幸い(?)途中で眠ってしまったようで頭を斜めに垂れてくださったので助かった。
 最近の映画館は席1列ごとに段差がついていて、前の人の頭はそれほど気にならなくなっているのだが、ここではほんとに困ってしまう。ひとりの頭が飛び出していると、後ろの人間(つまり私)が頭を左右に振ることになるので、そのまた後ろの人もさぞ迷惑だろう。椅子には深く座って鑑賞したいものだ。

かたや、左隣に座った女性は、人形にはあまり興味がないのか、太夫さんたちを一心に見つめ、三味線に合わせてリズムをとっていた。そういう観方もあるんですか……。ベテランの太夫さんには身を乗り出して拍手するが、若手(?)の方のときは拍手をしなかった。それっていいのかなぁ……。少し疑問が残った。

先日、『摂州合邦辻』をテレビで観て、やっぱり生で観たいもんだなーと思ったので、全体的な感想としては大満足。願わくば、生きてるうちにもう一度通しでちゃんと観てみたい。
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by slycat | 2007-05-13 14:44 | 文楽

待ってました!の楽しみ

昨日は映画『犬神家の人々』を観に行き、今日は文楽12月公演の千秋楽『義経千本桜』を観て来た。珍しく忙しい週末だった。

30年前に1作目の『犬神家の人々』が公開されたときは、中学生だったし、当時はおどろおどろしいものが嫌いだったので観に行かなかった。今回わざわざ観に行ったのは、息子のリクエストがあったからだが、いろいろと興味もあったからである。

最大の興味、というか疑問は、「どうしてまた同じ映画を撮ったの?」である。映画化されていない金田一耕助シリーズはまだ残っているし、何も「犬神家」である必要はないと思うのだが…。
 それに、石坂浩二、加藤 武、大滝秀治はオリジナル・キャストである。ほかが総入れ替えなのに、同じ役を演じるのはやりにくいのではないだろうか。

先日、深夜に『悪魔の手毬唄』が放映されていたので、ついつい観てみたら、これが結構面白かった。今は亡き若山富三郎が何ともいえずいい味を出していて特に印象に残ったが、『細雪』などの文芸大作を得意とする監督、と思っていた市川 崑ってこういう映画も撮る人だったのか、と今さらながら自分の無知を恥じた。
 今観てもびっくりするくらいだから、公開当時観た観客は度肝を抜かれたことだろう。カットバックというのかフラッシュバックというのか、現在と過去が行ったり来たり、それがとても鮮烈に映った。今度の映画はどんな風になっているのだろう。

結論から先に言えば…やっぱり「結構面白い」。30年前と比べるとだいぶ格落ちの感じがするキャスティングもあるが、美術が重厚で、最近の日本映画では珍しい出来だと思う。
 そして何より、加藤 武の「よし! わかった!」。まともに全部通して観たのはテレビの『悪魔の手毬唄』だけなのに、30年前から映画館の予告編で何度もこの「よし! わかった!」を見せられてきたので、すっかりお馴染みになっており、これを見るだけで何となく嬉しくなる。
 ほかにも金田一耕助の「フケ」、ガタガタ道を現場まで車で走って行く場面、見てもいないのに見た気になっていた数々のシーンが、また新しく命を吹き込まれて目の前に現れる。これが意外にも快感なのだった。

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『義経千本桜』
初段 堀川御所の段
二段目 伏見稲荷の段、渡海屋・大物浦の段

秋に『仮名手本忠臣蔵』を観てすっかりやみつきになったため、友人に頼んで今回の公演も連れて行ってもらった。今回のお話は前回よりわかりやすく、素人にも十分楽しめる見せ場がたっぷりあった。
 武蔵坊弁慶のキャラクターは現代人にも親しみやすく、深刻になりがちな場面を救ってくれる。伏見稲荷の段にみられる狐の描き方はユニークで笑いを誘う。最後の渡海屋・大物浦の段は話の筋が凝っている上に、派手で豪華な見せ方。CGに馴れてしまった目が見ても迫力がある。

「堀川御所の段」は、夫・義経を救うために自害する卿の君が哀れで、しかも自害の場に実の父親がいるのになぜむざむざと…と今の人間にはよくわからないところもあるのだが、すべては義経と兄 頼朝との和睦を図るため。それなのに、あんまり頭がよくないらしい弁慶のせいで何もかもおじゃんになる……。こういう運命のいたずらを、昔の人たちは涙ながらに納得したんだろうなぁ、と遠い江戸に思いを馳せる。

「伏見稲荷の段」は、都落ちする義経を追って来た静御前が、旅路の邪魔と木に縛り付けて置き去りにされ、義経を討たんと後からやって来た逸見藤太に見つかる。そこに突然現れる1匹の白い狐。しっぽでペチッと藤太の頭を叩いたりするところが面白い。
 この狐が実は義経の家臣、佐藤忠信…ではなくて、佐藤忠信に化けた狐が藤太をやっつける。狐のおかげで静御前は危機を脱し、戻ってきた義経は狐とは知らず忠臣・忠信に「源久郎義経」の名前と鎧を褒美として与える、というお話。
 何で狐が静御前を助けるのか、そのあたりの事情はさっぱりわからないが、見ていて理屈抜きに面白い。恐らく健気な美人はけものの心をも動かす、ということなのだろう。実は狐なので、忠信のはずなのに挙動がどうもおかしい。猫のように静御前に「すりすり」してみたり…。思い切り笑える。文楽は、肩が凝るような堅苦しいものでは全然ないのだった。

「渡海屋・大物浦の段」は、源平合戦の際に無念の死を遂げたはずの平 知盛が実は生きていた、というお話。九州に逃げるため舟宿に逗留している義経一行、しかし生憎の雨のためなかなか舟が出ない。宿は主の銀平と女将が切り盛りし、一人娘のお安を目の中に入れても痛くないほど可愛がっている…というのは世を忍ぶ仮の姿で、実は銀平は知盛、娘は安徳帝で、女将は帝の乳母、典侍局だった。
 知盛は舟を出すと偽って義経を討とうとするが、計略はすでにバレており、平家軍は無惨に敗れる。かくなるうえは…と帝とともに死のうとした典侍局を止めるのが義経。帝を義経に託して典侍局は喉を突き、知盛は大海に舟を漕ぎ出して岩の上から錨を背負って入水自殺する。
 岩の上で、知盛が両手に錨を掲げるところがクライマックス。友人にオペラグラスを借りて見せてもらったのだが、頭から海に落ちて行く知盛の死に様は、とても人形とは思えない壮絶なものだった。

私のごとき素人には何を見るのも初めて尽くしで、何を見てもほぉと驚くことばかりなのだが、千秋楽ということもあり、周りのお客さんたちは勝手知ったる人たちばかりのようだった。
 12月は若手による公演なのだが、それでも満員御礼、佐藤忠信(実は狐)が登場する場面や銀平(実は平 知盛)が登場する場面など、見せ場になると万雷の拍手が湧く。日本には、こういう「待ってました!」の芸が多いよね、と思う。

もちろん、客が「待って」いるのだから、演じるほうも絶対にヘマはできない。こういう緊張関係が伝統を守り、芸を育ててきたのだなぁ、と思う。
 かたちこそ違うが、市川監督が同じ映画を2度撮ったのも、待っている観客に対する挑戦だったのかもしれない。監督は現在91歳。全く頭が下がる。
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by slycat | 2006-12-18 01:00 | 文楽