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ミステリ・テニス・ハムスター・モルモットについてあれこれと……
by slycat
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またもやお預け…

Wimbledon 2006 Ladie's Final
J. Henin-Hardenne vs A. Mauresmo 6-2, 3-6, 4-6

私は今猛烈にがっかりしている。ジュスティーヌの生涯グランドスラム達成は叶わなかった。意外にあっさりと1セット取れたので、よ〜し!と喜んでしまったが、モレスモーは強かった(何とスザンヌ・ランラン以来のフランス人優勝、偉業だ)。また1年お預けだ……。

ドローがよくない、いつもキムと準決勝では身体がもたない、とブツブツ文句を言っているが、ハードな2週間を勝ち上がるのはモレスモーだって大変なので、言い訳はできない。素直に認めよう、おめでとうアメリー、あなたは素晴らしい!

5年前、19歳でヴィーナス・ウイリアムズと対戦したときのジュスティーヌは、ひょろひょろとしていかにも頼りなく、サーブも遅かった。決勝まで進んできたのが不思議なくらい、ひ弱な印象の少女だった。最近知ったことだが、決勝当日、祖父が亡くなったのだという。本人も、「あのときは子供でした」と言っているが、精神的・身体的なプレッシャーに耐えるには、あのときのジュスティーヌは幼過ぎた。

その後、結婚して新しい家族ができ(彼女は家出したので実家とは断絶状態だ)、病気や怪我などの困難を乗り越え、やっと今日の日を迎えた。勝って欲しかった、でも今日勝つべきだったのはアメリーだった。そして勝った彼女の涙は、とても美しかった。

簡単に勝てる実力がありながら、精神面での弱さを常に指摘され、本人もわかっていながらなかなか克服できずに苦しんできた。昨年の最終戦で優勝し、今年の全豪に進み、弱さを克服できたのか、と思われたがやはり地元ローランギャロスではプレッシャーに負けた。負け試合でのアメリーは、見ているほうも不思議になるほどの負けっぷり。どこをどう見ても負ける理由がないのに負けてしまう。第三者が感想を述べるのは簡単なことだが、自分に降り掛かってきたら耐えられない、つらいことである。
 シャラポワ戦でも第2セットでその弱みが見られたが、偉かったのは試合中にきちんと自分の弱さと訣別したことである。こうなったら、アメリーを止めるものは何もなかった。

対するジュスティーヌのほうが、「生涯グランドスラム」「5年前の悪夢」というトラウマから逃れ切れなかった。メンタルが強い、強い、と言われる彼女、しかし1ファンとして彼女を追いかけ続けて、それは違う、と思っている。そもそもそんなに強い人間がこの世にいるわけがないのだが。彼女の強さはあくまでも周囲の人々の支えあってこそ。それを越えるプレッシャーに見舞われたとき、堪えられるかどうかはまた別の話だ。
 一生再発におびえなければならない病気を抱え、2004年のシーズンを棒に振ったとき、彼女は「テニスが一番とは思えなくなった」と言っている。毎週毎週世界中を回って勝ち続けなければならないプレッシャーから離れて、家族の愛情に包まれて日々を過ごしていたら、自分がどんなに恵まれているか、改めて実感したのだという。幼少時、お母さんが「ご飯よ」と呼びに行かないと、日が暮れてもテニスに夢中になって帰ってこなかった少女が、20代になってやっと達した境地。その発言を知って、ジュスティーヌが二度とトーナメントに戻ってこないのでは、と心配したものである。

だが彼女はコートに帰ってきた。そして、母との思い出溢れるローランギャロスでタイトルをとる。Adidasの「Impossible Is Nothing(不可能なんてありえない)」のコピーにはしびれましたね。まさにジュスティーヌのためにある言葉だ、と私は拳に力を入れた(Nothing is impossible、何も問題ない、というのが普通の英語。このあたりがAdidasのニクいところ)。

ジュスティーヌも24歳なので、グランドスラム達成のために残された時間はあまりない。また病気が再燃するかもしれない。怪我に泣くかもしれない。だけど、そうだよ、Impossible Is Nothing、今日駄目だったら来年実現すればいい、来年駄目なら再来年。頑張れジュスティーヌ、あなたが引退するその日まで、おばさんは声を枯らして応援するから。
by slycat | 2006-07-09 01:14 | テニス
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